アートのプラットフォームを通じて個人と個人をつなぐ
「わわプロジェクト」と
「つくることが生きること」展

震災から1年ーー。改めて被災地では今何が起きているのか、この1年間に誰がどんな想いでどのような復興・支援活動をしてきたのかを見つめ直す展覧会「つくることが生きること 東日本大震災復興支援プロジェクト」が、3月11日(日)から25日(日)まで東京・千代田区の3331 Arts Chiyodaで開かれる。


「つくることが生きること 東日本大震災復興支援プロジェクト」展

会 期: 2012年3月11日(日)~25日(日)
     12:00〜19:00 (最終入場は18:30まで)
     会期中無休

会 場: 3331 Arts Chiyoda 1F メインギャラリー

入場料: 無料


展覧会を主催するのは、一般社団法人 非営利芸術活動団体コマンドNが立ち上げた「わわプロジェクト」。3331 Arts Chiyodaの統括ディレクターを務める中村政人さんらが中心となり、同施設を拠点に被災地と東京をつなぐ活動を震災直後にいち早く立ち上げた。

わわプロジェクトは、被災地でのクリエイティブな活動を紹介するフリーペーパー「わわ新聞」の発行や、ウェブサイトでの情報発信、3331 Arts Chiyoda内のプロジェクトルームでの資料展示、海外での展覧会などを実施してきた。複合的な取り組みのなかで、例えばクリエイターから「この支援活動に参加したい」といった申し出があれば、現地コーディネーターを通じた人材のマッチングも行う。

▲「わわ新聞」

3月11日(日)から始まる「つくることが生きること 東日本大震災復興支援プロジェクト」展では、わわプロジェクトがリサーチしたなかから約80組のアーティストや建築家、団体などによる活動を時間軸やテーマごとに紹介する。なかでも“復興リーダー”と呼ぶ15組の復興プロジェクトの推進者にインタビューをした映像は注目だ。わわプロジェクトが出会った復興リーダーたちは、自身が被災者でありながら自身の生活や事業だけでなく地域の再生をも視野に入れ、創意と情熱溢れる活動を展開している。展示会場では大型モニターを等身大の高さに据えて放映。時期をずらして行った複数回にわたるインタビューを通して、それぞれの苦労や想いの変化、未来に向けた展望といったリアルな言葉が見る人の心に力強く響くはずだ。

▲“復興リーダー”のひとり、特定非営利活動法人吉里吉里国の代表、芳賀正彦さん。「映像ではなるべく余計なものを見せず語りだけ。言葉や眼、表情などににじみ出てくるものから、彼らが何をしてきたかという思いや内面を感じ取ってもらいたい。まさにそこがいちばん伝えにくいところだと思うので」と中村さん。写真/細川 剛

実際に復興リーダーを取材した中村さんは次のように話す。「彼らはアートという言葉を使いませんが、その表現意欲やつくることに対する情熱は、日頃アートに接している自分たちですらたじろぐほど。その切実さはかないません。本来のアートやクリエイティブが持つ純粋性がそこにあるような気がします。展覧会では被災者の苦労や活動の事実だけを紹介するのではなく、そこで活動する人の強い人間性や社会性に焦点を当てたい」。

ここでは、わわプロジェクトが1年をかけて被災地をまわり、そこで展開されるさまざまな復興・支援活動を見てきたなかで感じたクリエイティブの役割と現状について話を聞いた。


アートを通じた復興支援プラットフォームとしての可能性

中村さんが復興支援の目的でわわプロジェクトを立ち上げたのは震災直後のこと。3月11日の震災発生時、東京・千代田区の3331 Arts Chiyodaでは多くの帰宅困難者を受け入れるとともに、情報を求めた地域の人々が集まってきたという。

▲3331 Arts Chiyoda

2年前に旧中学校を改修し民設民営のオルタナティブ・スペースとしてオープンした3331 Arts Chiyoda。大小のギャラリーのほか、広場やコミュニティスペース、クリエイターのオフィスなどパブリックからプライベートまで多様な空間で構成されている。「もともとアートの敷居を下げ、領域横断的なプラットフォーム(基盤)をつくりたいという思いがあったので、改修計画の段階から人が入りやすい動線や自由な使い方を考慮した空間にしています。それが震災時に防災や危機管理のプラットフォームとしても有効だということを改めて実感したのです。今後の復興期においてもプラットフォームとしてのニーズがより高まるのではないかと考えました」(中村さん)。

わわプロジェクトはまず現地に赴いてリサーチを始めた。避難所から仮設住宅に移り、少しずつインフラが整っていくなかで生活そのものの不便さに加え、被災者の心のケアが必要だと感じたという。中村さんは「僕たちは最初の命を助けるという段階では動けなかったが、復興に向かうなかでアートを通じて役に立てることはないかと考えました」と話す。同氏によると、津波などでまちの姿が見えなくなってしまったときに、アイデアを絵に描いたり、模型にするなど、ビジョンを視覚化することは復興を進めるうえで重要な一歩になるという。見えにくい物事を具体化することが得意なアーティスト、デザイナー、建築家の役割は、今後ますます求められるという考えだ。

▲プロジェクトのロゴマーク。「わわ」というプロジェクト名は、輪、我、和、環などの“わ”をつなげるといったいくつもの意味を重ねた。東北地方の方言で「わ」は「私」であり、私(個人)と私(個人)を結びたいという思いも込めている。

次に、わわプロジェクトが取り組んだのが被災地と東京をつなぐコーディネーターを探すことだった。わわプロジェクトのメンバーは頻繁に被災地に赴くことができないため、現状を知るためにもコーディネーターの存在は必須だった。リサーチ中に出会った岩手、福島、宮城の人々に現地コーディネーターの役割を担ってもらい、わわプロジェクトは“彼ら”を支援する。コーディネーターが動きやすくなることを念頭に置いたという。

「例えばコーディネーターのひとり、石田朋子さんは盛岡在住でもともと地域資源プロデューサーとしてコミュニティ関連の仕事をしている方。自分のクルマで寝泊まりしながら、ボランティア活動を続けています。彼女は頻繁に通っているので現地の人から信頼され、行けば皆さん『こんにちわ』と笑顔で挨拶してくれる。石田さんを支援すれば自ずと支援のバランスや方向性が見えてくるだろうと思いました」(中村さん)。

石田さんらコーディネーターからの情報をもとに、三県での支援活動や連絡先を紹介する新聞やウェブサイトを制作。今はとにかく「現場で何が行われているかを広く伝える」ということが最大のミッションだと中村さんは考える。「震災から1年経ち、メディアの情報も薄くなって忘れ去られようとしている。このままでは被害や震災が教訓にならないことに現地の人は大きな危機感を持っています。今だからこそクリエイターが始められることもあるし、僕らもアートのプラットフォームをフルに使って日本だけでなく海外にも伝えていかなければ」(中村さん)。

▲わわプロジェクトのプロジェクトルーム。「この場所がある限りは、支援活動をしている人、団体には無償で取り組みを紹介する場を提供していく」と中村さん。会議やワークショップなどの場としてスペースを無償で貸し出している。場があることで活動は活性化するという考えだ。


今のタイミングだからこそ紹介したい活動

現地では無数の復興・支援活動が行われているなかで、特にわわプロジェクトが取り上げるのはクリエイティブであると同時に、何らかの支援の機能や効果があったものだ。単に震災をテーマにアーティストが絵を描いたり、単発的に音楽コンサートを開いたといったものでなく、一定の時間のなかで現地の人とのコミュニケーションが生まれたり、コミュニティやまちづくりにつながっているものを選んでいる。

例えば、岩手県大槌町吉里吉里の「復活の薪」は、住人の芳賀正彦さん(特定非営利活動法人 吉里吉里国)が中心となり瓦礫から薪をつくって販売するプロジェクトだ。売り上げは吉里吉里町で使える「吉里吉里銭ンコ」という商品券としてメンバーに還元。プロジェクトは廃材がなくなったことで成功し、昨年のうちに終了。現在、彼らは「復活の森」プロジェクトを始動させている。芳賀さんはわわプロジェクトのインタビューのなかで、「心と同時にお金も大事。貴重な収入源となるプロジェクトを今後も持続させていくために林業の学校をつくり、間伐整備をしていきたい」と展望を語っている。「犠牲者に恥ずかしくない生き方をしていこう」という強い思いが伝わってくるインタビュー映像は、3月11日(日)からの展覧会で放送されている。

▲「特定非営利活動法人 吉里吉里国(当初はNGO吉里吉里国) 復活の薪」。写真/細川 剛

岩手県盛岡市で靴店を営む菅原 誠さんらが発起人となって進める「AD BOAT PROJECT」は津波で漁船を失った漁師たちのためのプロジェクト。企業や団体からの支援金を船の購入資金に充て、代わりにスポーツ選手とスポンサーの関係のように、企業ロゴを船全体にデザインする。このプロジェクトを受け、すでに4艘の漁船が漁を再開しているそうだ。中村さんは、漁から戻って港に入ったレースカーのような漁船を目の当たりにして感銘を受けたという。「漁師の人たちも漁に復帰できたことはもちろん、ロゴがたくさん張ってあるのも格好良くて、嬉しくて仕方のない感じでした」。このプロジェクトは被災地に限らず全国で展開できると、今後、各地へ広めていく予定だ。

▲「AD BOAT PROJECT」

なかには、わわプロジェクト自体が支援活動に参加しているものもある。「ユイノハマプロジェクト」は、発起人である美術家の岩間賢さんをはじめ、建築家やデザイナーなどのクリエイターが集まり、宮城県石巻市の桃浦地区を拠点にしたプロジェクトだ。地域の人が復旧作業の合間に休んだり気軽に集まれる集会所を建設したり、離ればなれになった子供たちを一同に集めてものづくりのワークショップを開くなど、人の心をつなげる取り組みを重ねている。わわプロジェクトは、ここでもやはり現地の人々を支援するかたちで参加する。中村さんは「比較的大きなまちでは、すでにさまざまなプロジェクトが動いている。わわプロジェクトは、なかなか支援の行き届かないところに目を向けたい」と話す。

▲「ユイノハマプロジェクト」 写真/岩間 賢


継続していくためのシステムづくり

こうしたプロジェクトが一同に紹介される「つくることが生きること」展以降は、海外向けの巡回展の企画が進んでいる。復興支援に対する海外からの関心は高く、これまでにもソウルと台北で展覧会を実施しており、ヨーロッパや北米からも打診があるという。「わわプロジェクトはオルタナティブスペース、プラットフォームとしての仕組みを活用するというコンセプトをはっきりさせているので、海外でも同様の仕組みを持つところは受け入れやすく、話も進んでいます」と中村さんの表情は明るい。

一方で課題は、プロジェクトを継続していくための人材や資金を含めたシステムづくりだ。中村さんによれば、現地では復興に向けたフェーズがすでに次の段階に入っており、新しい建物を建設する必要性もさることながら、今後それらをどう使い、どういった活動がそこに芽生えるのかを考えていかなければならないという。そうしたときに、どのような支援をしていく可能性があるのか。中村さんはワークショップやフィールドワークなどを通じ、議論を重ねていくことで見出していきたいという。

また同氏は、「わわプロジェクトが紹介した以外にもさまざまな活動があるため、今後はそうしたものが見えてくるような“場”を提供したい」とも。活動がすでに終わったもの、方向性が変化したものもあるため、時系列での内容の整理も求められるだろう。

そうした活動を続けていくなかで特に注意しているのが、「できるだけニュートラルな状態を保つ」ということだ。「自分たちの存在を主張するよりは、あくまで目指すのは支援する人たちにとって動きやすくなる“場づくり”。自分の考えを出し過ぎると色がついてしまうので、それはなるべく避けたい」。また、無数の復興・支援プロジェクトをすべて網羅するのは無理なこと。「特にここを支援するというホームエリアを持ったほうが良いのではないかと思います。そのホームエリアに通いやすくなるような活動を継続していくことがポイントではないか」という中村さんの言葉は、これから活動する人にとっても参考になるのではないだろうか。


人と人をつなげるために

中村さんは活動を振り返って次のように言う。「吉里吉里の芳賀さんは、自然に学び、一緒に生きていく術を見つけていくことが大事だと言う。実際にそこで生活をしているなかで震災に遭い、それでもなおそうした言葉が生まれること自体が1つの人間性であり、自然観であり、文化意識だと思うのです。僕個人はそこに対する興味もあって、わわプロジェクトを通してこれからも伝えていけたらと考えています。僕らのような者に一体何ができるのか。例えば雑誌をつくる、服をつくる、作品をつくることはできても、それ以外に被災の現場に対して何ができるかを今、問われている。そこを通過しなければ、人間の欲望と自然の関係の複雑さ、難しさ、本質といったものは見えてこないのでは。この時代にこの震災が起こったということに対して、僕たちは正面から向かうべきではないでしょうか」。

厳しい状況のなかで立ち上がろうとする人間の強さ。そうした人間性や意識の有り様を伝えることで個人と個人を結ぶという支援の取り組みは、アートのプラットフォームならではといえるかもしれない。3月11日に東京で展覧会を開くことについて、連携する被災者のなかには「静かに過ごしたい」という声もあったという。もちろんそれも尊重する。一方で3月11日でしかできないこともある。今この瞬間も被災地で生きるためにものづくりを続けている人がいるということを伝え、その力強い想いを共有してもらうこと。人間と人間がつながる、そんな場を1つでもつくっていこうと、わわプロジェクトの取り組みは続く。(文/今村玲子)

▲東京藝術大学で教鞭もとる中村政人さん 写真/武田陽介



プロジェクト名:
わわプロジェクト

プロジェクトの主体:
一般社団法人非営利芸術活動団体コマンドN

メンバー:
中村政人(プロジェクトディレクター、3331 Arts Chiyoda統括ディレクター、東京藝術大学准教授)
新堀 学(プログラムディレクター、新堀アトリエ一級建築士事務所主宰、NPO地域再創生プログラム副理事長)
石田朋子(岩手エリア プロジェクトリーダー)
高田 彩(宮城エリア プロジェクトリーダー)
森隆一郎(福島エリア プロジェクトリーダー)
松渕得雅(プロジェクト・マネージャー)

サポート・スタッフ:
渡部浩明(グラフィックデザイン/イネガデザイン)
坂野充学(取材・映像/3331 Arts Chiyoda)
宍戸遊美(制作・進行/3331 Arts Chiyoda)
小西七重(取材・編集/3331 Arts Chiyoda)

主たる期間:
2011年4月~

活動内容:
・被災地域で活動する人と、それを支援したい人をつなぐマッチング
・さまざまなクリエイティブ活動を伝える「わわ新聞」の発行、ウェブサイトを通じた情報の発信
・国内外での展覧会の実施、プロジェクトルームでの資料展示やミニ展示

活動のポイント:
・東京におけるアートのプラットフォームArts Chiyoda 3331が協力
・被災三県で活動するプロジェクトリーダーと密に連絡を取り、情報共有を図る
・ウェブ、新聞、展覧会、展示などさまざまなメディアを駆使して情報を発信
・被災地にホームエリアを持つことで継続的に支援活動を行う

現在進行中の課題:
・プロジェクトを継続していくための資金や事業計画の策定
・海外での展覧会の企画や、海外向けの情報発信

ウェブサイト:
わわプロジェクト http://wawa.or.jp/