第1回 FLA Eventi、ロベルト・ズナイデロ社長インタビュー

第54回ミラノサローネ国際家具見本市が4月14日から19日まで開かれ、310,840人に上る業界関係者が訪れた。これまでミラノサローネを運営してきたCOSMITが、その親会社であるFLA家具工業連盟と合併し、新たな組織「FLA Eventi 」となって初めての開催。新体制のもと、ミラノサローネを取り仕切るFLA Eventiのロベルト・ズナイデロ社長にイタリア家具産業を取り巻く現在の環境、そしてミラノサローネの存在意義、さらにこれからの展望について、話を聞いた。

文/長谷川香苗

First photo by Saverio Lombardi Vallauri


初日にはマッテオ・レンツイ首相、ミラノが州都のロンバルディア州のロベルト・マロニ知事も来場。イタリアの家具産業が、いかに国の関心事かをうかがい知ることができる。出展企業は2,100社以上に上り、海外の見本市の主催者が嫉妬するほどミラノサローネの集客力や発信力は群を抜く。ズナイデロ社長をはじめ若手デザイナーの展示である「サテリテ」をキュレーションするマルヴァ・グリフィン・ウィルシャー女史は、「家具を見せて売る場として、他に追随を許さない」と言ってはばからないほどだ。

世界中からバイヤーが集まるミラノサローネは、イタリアの企業にとっても手堅いビジネスの場だ。なぜならイタリア家具産業の最近の売上は約70%が輸出で占められ、輸出先は180国を超える。サローネの来場者も、全体の69%が海外勢だったという数字が出ている。

イタリアのものづくりは、生き残る術として輸出に活路を見出した。それゆえ、海外の志向に合わせたデザインを探るべく、企業の多くは国際的に活躍する才能を求めてきた。18年前、サテリテを立ち上げたウィルシャーは、「ちょうど企業が海外にデザイナーを求め出した頃でした。サローネ本会場で忙しくしていて市内の展示まで見る時間のない経営者でも、同じ敷地内であれば見る余裕があると思い、若い才能に出会う場としてサテリテをスタートさせたのです」と振り返る。そこから数々の才能が大手企業と出会ったのは周知のことだ。

さらに、昨年からはサテリテのなかから審査員が選んだ作品を市内の百貨店「リナシェンテ」で期間限定販売するという企画が実現した。サローネサテリテが、発表して評価を得るだけでなく、実際に販売するという拡がりを持ったことは意欲的な取り組みと言えるだろう。

700人の若手デザイナーの作品、プロトタイプを展示したサテリテ会場。約70%は海外のデザイナーが占める。   Photo by Andrea Mariani


一方で、サローネが年々拡大し、海外からの来場者が増えるのにともない悩みもあるという。年々増加する中国からの来場者のなかには、最新の商品が発表されるサローネで得た情報をもとに、自国ですぐに違法コピー商品をつくるケースが多く、イタリア企業が手を焼いているという話も聞く。こうした事態に対してズナイデロ社長は、「コピーをする企業を摘発することよりも重要なのは、中国の人たちにコピー商品ではなく、‘本物’を買い、所有することに価値を見出してもらうよう、考え方を変えてもらうことです。そのためにFLA家具工業連盟で対策を講じています」と語った。とはいえ、イタリアをはじめヨーロッパのデザインの多くがそうであるように、デザインとは形だけでなく、それらが生まれた文化や暮らし方を物語る存在であるため、そう簡単ではないかもれしれない。

同時に、韓国やフィリピン、タイなどアジアのさまざまな国の企業が出展していたのに対し、中国企業が一社もブースを構えていないことは意外だった。「マーケットとして重要であることは確かです。今後、中国に求められるデザインを届けることができるよう、2016年暮れには上海でサローネを開催する予定です」とズナイデロ社長は明かした。

自国の家具産業を守るために、メイド・イン・イタリーは譲らず、デザインは市場に合わせていく姿勢。上海で開催するサローネは、今後、大きなニュースになりそうだ。

ロベルト・ズナイデロ氏は1946年創業の世界屈指のシステムキッチンメーカー、ズナイデロ社の御曹司。ミラノサローネの体験は幼い頃、父親に連れられて見本市をそぞろ歩きした頃に始まっている。「幼いながらも、これだけのものを生み出す人間の創造力に圧倒され、わくわくしました」と語った。