日本最古の学生自治寮「吉田寮」の存続と継承に
市民のアイデアが今できること(前編)

京都大学吉田寮。その名は京都だけでなく広く知れ渡った大学寄宿舎だろう。

京都大学の学生寮のひとつとして学生の生活を支えてきた吉田寮は今、存続をかけて大きく揺れている。老朽化を理由に大学から通告された退去期限が迫るなか、実施された「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」の再生提案の募集(以下:コンペ)と退去期限1週間前に実施されたシンポジウムの様子をレポートする。吉田寮で、今、何が起きているのか。

105年の歴史を自治がつないできた現役最古の学生寮の地層

その前にまず、そもそも吉田寮がどのような特徴の寮なのかを紹介したい。

「現棟」と呼ばれる築105年の木造の寮舎は、2階建ての「北寮」「中寮」「南寮」、平屋建ての「管理棟」からなり、管理棟と居住区はRC造の防火壁によって隔てられつつ接続している。2015年に竣工した「新棟(西寮)」は、現棟との景観を考え、地上部分は木造3階建の低層にし、地下は共有スペースとして使われている。

同じく2015年に旧建物の古材や雰囲気を継承して建てられた「食堂」は、給食機能はないものの業務用ガスコンロなどの炊事設備が備わり、吉田寮自治会とも連携しながら、食堂使用者、厨房使用者からなる団体が自主管理し、現在は主にイベントスペースとして活用されている。バンド・劇団の公演、各種講演会、映画上映会や勉強会などの催しがほぼ毎週末何かしら開催されている。

▲階段のケヤキの床板は100年以上休まず寮生らが上り下りしてきたことで中央部が磨かれ木目が浮き出ている

▲吉田寮は物で溢れた無秩序で雑多なイメージが先行するが、清掃局や有志主導で定期的に清掃している。また、各所に消化器が複数台あるだけでなく、AEDまで設置されているというから驚きだ

寮内には混沌としたアナーキーな時空間が流れているかと思いきや、吉田寮には文化部、庶務部、厚生部の3つの専門部があり、入寮するといずれかひとつに属することになる。それら3つの専門部はいくつかの局・係で構成され、例えば文化部の中には、寮内新聞を発行する新聞局、食堂(イベントスペース)の管理会議を主催する食堂局、寮内PCやプリンターを管理する電算局などがある。庶務部には、自治会費などの管理を担う会計や、裏庭の駐車場に停車する寮生のクルマの管理を担う自動車係など。厚生部には、シャワー室や洗濯機まわりの管理を行う衛生局、3、4カ月に一度の大掃除を計画する清掃局などがあるといった具合だ。また、学年や年齢より個を尊重するため敬語を使わないなどの独自ルールがあり、トイレは男女サインが外されたジェンダーレストイレにするなど、個の尊重を重視する工夫や配慮が至るところに感じられる。

1913年の開寮以来、その管理や運営の方針は全会一致を原則とし、吉田寮自治会を中心に行ってきた。入寮選考は寮生自ら行い、それぞれの経済事情やその他の事情に基づいて入寮者を決定するなど、あくまで寮生らの自律性と自治によって105年もの間、他者と共に暮らす生活の場を続け、学生の社会性と寛容を育んできた歴史がある。2018年9月時点では、100人ほどの寮生が居住している。

▲「たまり部屋」と呼ばれる居室。現棟の各居室の多くに床の間が設えられ、開寮当時は将来国家を担う官僚クラスを輩出する学徒の格式を重んじた寮であったことが伺える

▲寮内には至る所に学術書や漫画がランダムに配架されている。時には書棚の奥から明治期や戦前にまで遡るような古書が発掘されることもあり、105年の歴史が蓄積された地層を感じさせる

近所に住む筆者も何度か吉田寮を訪ねているが、そのたびに管理棟での子どもたちの遊びや学びの場、食堂でのイベントなどの光景に遭遇した。吉田寮という場の持つイメージの強さから寮挙げての企画運営のように誤解されやすいが、あくまで寮生有志と外部者による協働の企画であり、自律性を重んじる吉田寮自治会はさまざまな企画に対して協力という立場を保っている。

このように「京都大学の学生自治寮」である一方、「京都市左京区吉田近衛町の吉田寮」として、さまざまな人々が集う地域に開かれた受け皿であり続ける工夫や努力もされてきた。

▲吉田寮の内部空間はさまざまな物で溢れている。学生寮を舞台にしたテレビドラマやイベントのチラシ、チベット語の旗、掛時計からどこかの民族の仮面まで、誰が持ってきたのかもはや不明なものが置かれつづけ、105年の営みの蓄積が物や痕迹から伝わる

▲2018年9月に吉田寮食堂で行われた、近所で閉店を余儀なくされた居酒屋「村屋」が企画したイベント「村おこし」でのライブ(撮影:本間智希)

吉田寮が直面する存続の危機を受けて

かねてより老朽化と耐震性の問題に見舞われている吉田寮だが、現役最古の学生寮として文化的価値のみならず建築学上も重要な意義があるとして、日本建築学会や建築史学会が以前より現棟の保存活用を要望している

1913(大正2)年に山本治兵衛と永瀬狂三の設計で建築された京都帝国大学寄宿舎の現棟には、1889(明治22)年に建設された第三高等中学校寄宿舎の部材や部分が随所に転用され、建築的な見所も尽きない。

▲ゼツェッション(分離派)と呼ばれる直線の幾何学模様を組み合わせたデザイン様式で第三高等学校(旧制三高)のモチーフが彫り込まれた階段の親柱

そんな吉田寮に対して2017年12月、京都大学は現棟の老朽化と耐震性を理由に「新棟を含む全吉田寮生の2018年9月末までの退去」という通告を出したことが事の発端である。現棟は補修するのか、建て替えるのか。築3年の食堂や新棟はどうするのか。学生が退去後の吉田寮をどうするのか、大学側は何も明かしていない。

そのような危機的な状況に直面した寮生有志らが、大学との対話の場を取り戻すために建設的な代案を提示するべく企画したのが、「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」だ。ウェブサイトの開設が7月3日、宣伝ビラが完成し情報が拡散され始めたのが7月10日。2カ月ほどの短い募集期間で、図面などの吉田寮資料のウェブ上で公開され、複数回の見学会が実施された。

▲吉田寮には寮生だけでなくさまざまな動物も共に暮らしている。例えば猫は7、8匹棲んでいて、本来は床の明かりとりとして設計された開口部は建て具が外され、掃除の際の吐き口として、また猫の入り口として使われている

この企画も「寮挙げて」のものではなく、吉田寮自治会はあくまで後援。主催は、寮生有志で現役学部生である喜友名正樹氏、繁澤良介氏、本母将輝氏の3者による「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」実行委員会が務めた。3者とも建築を専攻しているわけではなく、文系と理系の学年も混在で、彼らを友人の寮生らができる範囲、できるかたちで協力・サポートする。コメンテーターには錚々たる名が連ねているが、すべて実行委員3者のこれまでの個人的な人脈から芋づる式に人を紹介してもらい、直接自分たちで経緯と企画の主旨を説明し、賛同してくれた人たちだという。

▲本プロジェクトの節目ごとにアップデートされていった宣伝ビラ

▲「きてみな吉田寮」というイベント時に食堂で展示されたパネル。右の2枚は、今回コメンテーターも務めた岩井清氏(岩井木材株式会社代表取締役・木材アドバイザー)からの解説も参考にしながら、繁澤氏が作成した吉田寮に関する解説パネル(撮影:繁澤良介)

吉田寮の再生と継承のための提案アイデアコンペ

本プロジェクトのコンペは、応募資格を設けず建築の専門外など誰にでも開かれていることが募集要項でも明示されているなど、一大学内の話題に幅広く市民がどのようにクリエイティブに関われるか、というところに意義があると言える。2部門あり、「再生デザイン部門」は修繕・リノベーション・一部改修を含む築105年の吉田寮建築の再生デザイン提案作品で、「継承プログラム部門」は建築の枠にとらわれず、自由な発想やアイデア、表現作品が広く募集された。

▲56組のエントリーのうち、26題が展示された吉田寮食堂

建築のコンペを建築の学生が企画運営することすら珍しい昨今、建築専攻でもなく建築のコンペに応募した経験もない学部生が、このような大規模なコンペを企画し、特徴的な募集要項をまとめ、コンペから当日のシンポジウムまでの運営を遂行したことも特筆すべきことと言える。また彼らを一貫して陰から支えた大島祥子氏(都市居住推進研究会)、河野康治氏(京都市文化財マネージャー)、平塚桂氏(ぽむ企画)の3者の存在も大きかっただろう。

募集期間から建築系メディアやマスコミで注目され、京都内外で話題を呼び、9月13日の応募締切までに56組のエントリーがあった。そのうち提案作品が提出されたのは再生デザイン部門13題、継承プログラム部門13題の計26題。全ての提案作品が9月18日から22日までの5日間、吉田寮食堂を会場に展示された。

9月23日のシンポジウムではコメンテーターが一堂に介し、一般来場者を巻き込む形で議論が展開され、公平な投票によって提案作品の中から注目作品などを全会一致で選定した。提案作品や議論の様子は後編でレポートする。End

*本レポートの後編はこちらまで。

▲9月18日から22日まで開かれた展示の様子

▲「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」実行委員会の3人、左から本母将輝氏、喜友名正樹氏、繁澤良介氏(記載のない撮影はすべて永井麻実)