【阿部雅世さんの新連載 2】見えないものと生きてゆく時代に――ひとりのじかん

連載2 ひとりのじかん

パンデミックの嵐が始まって以来、感染によって隔離生活を余儀なくされる人はもとより、都市封鎖や外出制限によって、たくさんの元気な人が「ひとりのじかん」を一斉に経験するという、誰も想像をもしていなかったことが現実になっている。世界中の誰もが、他人との接触を少なからず制限され、孤独という目に見えないものとどうつきあっていくのか、という問いに直面している。その現実に目を凝らしてみると、「ひとりのじかん」を、寂しく辛く耐え難い孤独の時間として捉える人と、創造的な楽しみをつくり出す時間として捉える人と、なにか人類が、ざっくりと二種類に分類されたように見える。

次々と都市封鎖が始まった2020年の春以降、大学キャンパスが閉鎖され、級友たちにも、家族に会うこともままならず、自分の部屋に閉じこもることになった欧州の学生たち、そして、100%自宅に籠って快適なリモートワークができているはずの若者たちの多くが、この嵐の中で最もつらいこととして孤独を挙げている。

隣の席に座っていても、スマホでメッセージのやり取りするような世代なのだから、彼らこそは、この危機を軽々と乗り越えられるのではないか、と思っていたけれど、辛いという学生や若者たちと話してみると、そういうものではないと言う。友達や教室のにおいが恋しい、人混みの騒音が恋しい、誰でもいいから人がたくさんいる雑踏に出たい、オンラインの空虚感には耐えられない、刺激が足りない、力が出ない、漠然とした不安に押しつぶされそうになる、と言う。

その一方で、「ひとりのじかん」の中に、人恋しさや不安をかき消してしまうくらいの極上の楽しみを見つけて、充実の時間にしてしまっている人も、学生、社会人に関わらずそれなりにいる。私自身も、もともと単独行動型の人間だからか、ネットの時代の閉門蟄居ならではの楽しみを存分に見つけ出せてしまった部類の人間だけれど、ネットなど存在しなかった時代でも、突然降りかかった「ひとりのじかん」を、充実の時間にしてしまった人は、いくらでも見つかる。

イギリスの自然哲学者、アイザック・ニュートン※1は、ペストというパンデミックが起きた1665年、通っていた大学が完全閉鎖になり、1年半もの間、田舎の実家での隔離生活を余儀なくされていたひとりだ。彼はその「ひとりのじかん」を、創造的休暇と呼んで、至福の自由研究の時間にした。万有引力の法則や、プリズム分光による可視光線のスペクトル等、彼のその後の人生をつくった大きな発見の大半は、その「ひとりのじかん」の間になされたという。ペストの嵐を無事に生き延びたばかりでなく、そんなにたくさんの発見ができたなんて、どれだけ幸せな「ひとりのじかん」だったことだろう。

孤独をめぐる個々の事情はさまざまで、たくさんの要因が絡むものだから、簡単に説明がつくものではないけれど、それにしても、なぜこれほどまでに、とらえ方が違うのだろう。なにがちがうのだろう……。頭の中でじっと目を凝らしていたら、「あ、もしかしたら、人間に対する興味の度合いが違うのかな」と気づいた。

「ひとりのじかん」を楽しめる人というのは、人間に対する興味が、ないとは言わないまでも比較的希薄で、人間以外のものへの興味が強い。動物でも、植物でも、虫でも、空でも、星でも、風でも、光でも、色でも、音でも、数でも、紙でも、粘土でも、自分のまわりにあるいろんなものが、人間と同じかそれ以上の存在であって、そういう人間以外のなにかと対話し、新しい発見をし、刺激を受けることさえできれば、なんだかもう充分に満たされてしまう。

一方、「ひとりのじかん」は辛いだけでしかないという人は、人を見てなにかを発見し、人と対話することで刺激を受け、人の集団の中で生きる力を満たす。人間がすべて、と言ってもいいくらい、人間に対する興味が突出した世界に生きているように見える。だから、人との関わりを制限され、断ち切られてしまうと、もうなにも残らないような、空虚な気持ちになってしまうのだろう。

これは、持って生まれた個々の内面的な性格の問題なのだろうか。それとも、環境や教育という、外部からの影響に左右されてつくられる違いなのだろうか。どちらもあるのだろうけれど、その辛さには、現代という、なにごとも人間が中心、人間至上主義の時代が、少なからず影響しているような気がする。

ここ10年ほどの間、ソーシャルネットワークの時代がつくり出す新しい孤独が、公衆衛生的な社会問題として、頻繁に取り上げられてきた。建築家のオスカー・ニーマイヤー※2は、2012年に出版された彼の最後の本「ニーマイヤー104歳の最終講義」※3の中で、「今の若者が直面している最も深刻な問題は『孤独』ではないかと思う」と、指摘している。また、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン※4は、その著書「スマホ脳」※5 の中で、他者からの承認欲求に依存してしまうSNSの中毒性に、言及している。

SNSの世界には、目には見えないけれど、人間(と、人間のふりをしたBOT)しかいない。木々の緑が入ってきてなにか語りかけてきたり、偶然飛び込んできたミツバチが、いいね、とメッセージを発したりすることはない。発信するのも、受信するのも、いいねと相槌を打つのも人間だけだ。

現実の世界は違う。そこには、人間以外のものがたくさん暮らしており、それらが常に、目の前をうろちょろしている。テラスカフェで誰かと話をしているときでも、鳥のさえずりが聞こえていたり、虫が飛んできたり、木の梢が見えたり、空を流れていく雲が見えたりする。「これはどうするかなあ」となにかを決めかねているとき、「よし、これでいこう」と決心がつくきっかけは、そのときに見えていた異様なほどきれいな満月とか、なぜか自分の前に繰り返し現れる数字とか、人間以外のなにかが発するメッセージであったりする。

でも、人間しかいないSNSの世界に、無自覚な依存症と言われるほどにどっぷり浸っていると、現実の世界の中でも、人間しか見えなくなり、人間の声にしか反応しなくなり、人間以外のなにかに問いかけたり、耳を傾けたりすることすら、忘れてしまうのではないだろうか。そして、そのために「ひとりのじかん」を、楽しめなくなっているのだとしたら……?

先見の人と呼ばれ、時代が生み出した新しいメディアを多角的に分析してきたイタリアの知の巨人ウンベルト・エーコ※6は、SNSは孤独を深めるだけ、と警鐘を鳴らしていたという※7。どのようなメカニズムで孤独を深めるのか、それを聞かぬうちに、エーコは亡くなってしまったけれど、「人間以外のなにかに対する興味の喪失」は、現代の孤独を深める大きな要因のひとつではないかと、私は思い始めている。

そして、もしそうだとすれば、「ひとりのじかん」の辛さというのは、この世に生きているのは人間ばかりではないのだぞ、ということを思い出し、知らないうちに奪われてしまっていた「人間以外の何かに対する興味」を活性化させてみることで、少しばかりは和らげられるのではないだろうか。End

※1 アイザック・ニュートン Sir Isaac Newton (1642-1727) 。イングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者
※2 オスカー・ニーマイヤー Oscar Niemeyer (1907-2012) ブラジルの建築家
※3 「ニーマイヤー104歳の最終講義」オスカー・ニーマイヤー著 阿部雅世訳 平凡社
※4 アンデシュ・ハンセン Anders Hansen (1974- ) スウェーデンの精神科医
※5 「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン著 久山葉子訳 新潮社
※6 ウンベルト・エーコ Umberto Eco (1932-2016) イタリアの小説家、文芸評論家、哲学者、記号学者
※7 2016年3月9日付けで朝日新聞に寄稿された、東京外大教授和田忠彦の追悼文より

――本連載は毎週火曜日と金曜日に更新します

――連載一覧へ

Stay Healthy, Stay Happy!