【阿部雅世さんの新連載 3】見えないものと生きてゆく時代に――嵐の中の静けさ

連載 3 嵐の中の静けさ

今からもう40年近く前の高校時代、文化祭の前日、クラス総出で準備に追われていた日に、大型の台風が東京を直撃し、台風の目の中にすっぽりと入ったことがある。午前中からぽつぽつと降り出した雨は、やがて窓の外の景色がかすむほどの横殴りの大雨になり、看板やら大きなシートなどが、右に向かって飛ばされていくのが見えた。それから、急に雨が弱くなったかと思うと、台風の目の中にすっぽりと入り、90分ばかりは突き抜けんばかりの青空と静寂が続いた。そのあいだに、そーれっと外に出る用事を済ませ、また教室に戻ると、今度は左向きの横殴りの大雨がひとしきり窓をたたいて、台風は通過していった。

パンデミックの嵐が吹き荒れる中での閉門蟄居というのは、台風の目の中にいるのに、とてもよく似ている。その目の円から一歩外に出れば、なにもかも吹き飛ばされてしまいそうな暴風雨だが、この目の中にいる限りは、静かで平和で安全だ。

2020年、第一波の感染拡大を抑えるため、世界中の都市が同時多発的に封鎖され、ごく一部の必需を除いて、企業も工場もすべて操業を停止し、人々が一斉に自分の家に籠るという、ありえないことが現実になった時、都市騒音がひどく、空気汚染がひどく、空などかすんでしか見えなかったたくさんの都市が、驚くような静寂に包まれ、空気は透き通り、その上空には見たことがないような青空が広がった。それぞれの台風の目の中で「ひとりのじかん」を過ごしていた都市生活者の多くが、鳥の声だけが響き渡る街の静寂に息をのみ、窓から見上げる空の青さに目を見張った。人間がちょっと動きを止めただけで起こすことができた、魔法のような奇跡に感じ入り、「地球が深呼吸をしているようだ……」とつぶやいた人が、世界各地にいた。

フィンセント・ファン・ゴッホ※1が、弟テオにあてて書いた手紙※2の中に「There is peace even in the storm(嵐の中にも心の静寂がある。阿部訳)」という一文がある。パンデミックという未曽有の嵐の目の中で、このゴッホの一文の意味を理解した人は、ずいぶんいたのではないかと思う。

日本野鳥の会の創始者で、伝説的な野鳥研究者であった中西悟道※3の随筆集の中に、1950年に書かれた「ブラインド」というエッセイがある。それは、野鳥の生態観察用の隠れ蓑のようなテントと、露営観察に必要な道具を詰め込んだリュックサックを担いで深い山の中に入り、鳥の孵化から巣立ちまでの生態を詳細に観察し記録しながら、山中唯一人の露営生活をする話だ。

中腰でしか立ち上がれず、横たわれば足が出てしまうような、防水の工夫を凝らしたテントを野鳥の巣のそばに張り、鳥に気づかれないようにひっそりと、何日間もその中に籠ってひとりで露営する。そのために、リュックサックに詰め込むもののリストには、食料、野営用の食器、虫刺されの薬や包帯などが入った薬袋、観察用具、ローソクやチリ紙などの雑品等、何しろ自分で担いでいかなければならないので最低限にきりつめられた必需品があり、最後に「他に書物を少々」とある。図鑑などではなく、主には、リルケやジャムやホイットマンの詩集であるという。これは、露営中に天候が変わり、山が鳴るような大嵐に見舞われたときに、テントの中で読むための本。携帯ラジオも携帯電話もない、GPSももちろんない、今から70年以上も前の真っ暗な山の中。テントの天井をシンバルのように大雨が打ちつけるという環境の下で「ひとりのじかん」を過ごすための必需品が、その小さな詩集であるという。

そんな山中に一人っきり。まことに情けなくなるような境涯である。しかし、それにも堪えて、慣れ来たった者は、寂しいなどとは思わぬものだ。私は起き上がって蝋燭をつけ、携えてきた詩集を読みだす。なんとそれらの詩がよくわかることか。※4

パンデミックの嵐の中で私が過ごしている「ひとりのじかん」は、中西悟道のそれとは、比べものにはならぬ、都会の快適な箱に守られたものだけれど、この未曽有の見えない大嵐の中、その箱の中にひとりで座って、いつも本棚に並んでいた本、何度も読んだはずの本、気になって買ったけれど読まないまま積んであった本を手に取って開き、その多くはもうこの世には存在しない「目には見えない人たち」の声を目で追っていくと、「なんとそこに書かれていることがよくわかることか。」という気持ちになる。探している答えは、びっくりするくらい、みなその中にあった。不安を数え上げればきりがない、目に見えない未曽有の嵐の中で、この「目には見えない人たち」、開けば必ず何か答えてくれる人たちの確かな気配がそこにあるというのは、なんと心強いことなのだろう。本を持っている、ということの意味を、私は初めて理解した。

読みたいと思って買ったまま、なんだか時間がなくて読めていない本が、ソファーの横に積みあがり、世にいう「積読(つんどく)」状態になっていたことは、ずい分長いこと私のストレスだった。「いつか読む、といいつつ、こんなに積み上げちゃって、いつ読むのよ」と自問して、それに答えられない自分がいた。でも、そうか、こういう「ひとりのじかん」が到来した時に読むんだ、そのために積み上げていたのだと、今の私は答えられる。

紙の本というのは「目には見えない人たち」が、形を変えてそこにいる「存在」である。だから普段は積んであるだけでもよいから、いざという時にそこにいてくれることに意味がある。これはデジタル書籍ではだめだ。無期限の停電やネットが切断された中で孤立するような、心の助けが必要な時にこそ、読むものなのだから。そしてそれに気づいた瞬間に、本をデザインするとはどういうことなのか、その本質に触れたような気がして、心の中に電気が走った。

ある日突然やってくる「ひとりのじかん」のために、用意しておくべき必需品はいろいろあれど、「他に書物を少々」、あえて言うなら「良い書物を少々」。それを、いざとなったらもってゆく袋の中に入れておくなり、いつでも手に届くところにおいておければ、この先どれだけの見えない嵐が、繰り返しやってこようと、私は大丈夫な気がする。End

※1 フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Van Gogh (1853-1890) オランダの画家
※2 The Letter of Vincent Van Gogh, Penguin Classics
※3 中西悟道 (1895-1984) 日本の野鳥研究者、歌人、詩人、僧侶
※4 「中西悟道 フクロウと蕾」平凡社スタンダードブックス P102-128ブラインドより抜粋

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