【阿部雅世さんの新連載 4】見えないものと生きてゆく時代に――生きる力の湧き出づる時

連載 4 生きる力の湧き出づる時

住み慣れた場所からの避難を余儀なくされる危機においては、持って逃げる「だいじなもの」を問われるけれど、行動を制限し、籠城して身を守らなければならない、逃げようのない危機においては、自分が生きてゆくうえで「だいじなこと」を問われる。

一瞬にして暮らしが一転するあやうさ、そこにある命のはかなさ、今日一日健康ですごせたことのありがたさ、明日は大丈夫だろうかという不安、そういうたくさんの目に見えないものを感じながら、自分自身をバランスよく維持していくために「だいじなこと」。私にとって、それはなんだろか。

意識の中で、じっと目を凝らしてみると、この状況で一番だいじなことは、自分の中に生きる力が湧き続けることかな、と思いあたった。

私は、自分の生きる力を元手に今まで仕事をしてきたこともあり、日々の暮らしを整えることで、生きる力は結構出てくるものだということを、体験として知っている。日々の暮らしを整える――すなわち、自分の生きる力を消耗させそうなものを、創意工夫で丁寧に取り除き、自分の生きる力が出そうなものを、手を惜しまずに用意すること。それほど大げさなことではない。自分が気持ち良いと思えるように暮らしの環境を整え、おいしいと思うものをちゃんとつくって食べ、あとは、しっかり寝るようにさえしていればよく、それで生きる力はそれなりに出てきていた。だからそれ以上、あまり深く考えたことがなかった。

しかし、この先、数えきれないほどの見えない脅威と共存しながら、考え出したらきりがないほどの不安と折りあいをつけて生きていかねばならないのだとすれば、今までののんきな生活とは比べものにならないほどの生きる力が必要になる。たびたび行動を制限され、外からは気が滅入るようなニュースしか聞こえてこない日々が延々と続いても、今まで通り、丁寧に暮らしの環境を整え、ご飯をおいしく食べ、ちゃんと寝るように心がけてさえいれば、自分の生きる力は湧き続けるだろうか……。

そもそも生きる力の源泉は、自分の一体どこにあるのだろう。どういうメカニズムで、どんな刺激があれば出てくるのだろう。「ひとりのじかん」は生きる力に、どう作用するのだろう。この先、どんな状況にあっても、生きる力を枯渇させずにすむ方法はあるのだろうか。

デザイン体操A.B.C|Design Gymnastics A.B.C. by Masayo Ave

生きる力が、体内からどっと湧き出すのを感じる瞬間がある。思いがけないところに、とんでもなく美しいものを発見した瞬間や、無意識に探していたものが、目の前に現れたのを、ぴたりと捕らえた瞬間。ぼんやりとしか見えていなかったものに、急に焦点が定まり、正体見たり!という瞬間。とっちらかったままにしていた中途半端な知識のかけらが、パズルのようにカチリと組みあわさって、わかった!という瞬間。そういうきわめて個人的な喜びの瞬間には、全身の細胞が一斉に活性化するような感じで、生きる力がどっと沸きだす。

それは、良いチャンスが転がり込んできたり、人に褒められたりという、外からやってくるものに対して感じる喜びとは、まったく別の種類の喜びである。外からやってくるものがもたらす喜びは、自分を一瞬、元気にはするものの、別の外からやってくるものによってたやすく打ち消されたりもする。しかし、この体内から湧いてくる喜びは、何物も打ち消すことができない、外の世界とは独立した強力なものだ。

数学者の岡潔※1は、自分が数学上の発見をした時に湧いてくる喜びを、「鋭い喜び」という言葉で表現している※2。それは、物理学者の寺田寅彦※3の文章から借りた言葉だそうで、そして「その喜びの感情が肉体に回る」と書いている。私の発見は、数学者や物理学者の発見とは程遠い、ささいなものばかりだけれど、それでも、出てくる喜びの鋭さはきっと同じなのではないかと思う。この喜びがくると、自分にまとわりついてくるさまざまな不安も、悩ましいことも吹き飛んで、体中の細胞が勝手に踊りだすような感じがする。

そういう発見の瞬間は、なにかを一生懸命急いでやっているような時ではなくて、これというほどのことはやっていない、雨宿りしながら空を流れる雲を見ている時とか、お湯が沸くのを待っている時とか、単純な手作業に没頭している時とか、脳のアイドリングといわれるような呆けた状態の時によくやってくる。閉門蟄居になってからも、住まいとアトリエの間の半径500mくらいの中で私が毎日続けている「デザイン体操」と名づけた宝探し。身のまわりの自然の中での単純な宝探しの遊びも、何を生み出すわけでもない、半分呆けてやっているところがよいのか、発見の鋭い喜びは必ずついてくる。観察力や発見力を鍛えることを目指すデザインの筋トレのつもりだったけれど、閉門蟄居の中で、ちょこちょこと生きる力を湧き出させるのに、これはかなり役に立っているかもしれない。

そういう鋭い喜びの瞬間というのは、どんなにたくさんの人と一緒にいようとも、その一瞬だけはすべての人と切り離される不思議な瞬間だ。電気が走るように、自分が発見した見えないなにか、あるいは、見えていなかったなにかと一瞬つながり、対話がなされる――ひとりだけれど、ひとりではない「ひとりのじかん」だ。

デザイン体操A.B.C.(ベルリンのリスも参加)|Design Gymnastics A.B.C. by Masayo Ave

アメリカの国民的な幼児教育テレビ番組、Mister Rogers’ Neighbourhood (ミスター・ロジャースのご近所さん)の制作と司会を40年以上務め、合衆国の良心と称えられていたフレッド・ロジャース※4は、子どもが自分で学ぶ力をつけるために欠かせない6つのことのひとつに「ひとりのじかん」を挙げ、こんな言葉を残している。

すべての雑音から自分を切り離した「ひとりのじかん」は、人が自分に与えることができる最高の贈り物だ。だから、子どもの時間を、活動やレッスンや刺激でいっぱいにしてはいけない。活動を停止して、ひとりになり、何もせずに、ただただ思い浮かぶことに身を任せているようなときに、子どもは、自分がなにものであるのかを知ることができるのだから。そして、それは、他者を、世界を理解するための準備の時間でもあるのだから。※5

仕事やレッスンや刺激でいっぱいの人生を送ることが、充実した人生の理想のように語られ、その理想に向けて、たくさんの人の間でもみくちゃにされながら追い立てられる社会の中で、多くの人が自分を見失い、他者も世界も理解できなくなり、生きる力を失いつつあるとしたら、そこには、圧倒的な「ひとりのじかん」の不足が、あるのかもしれない。

ならは、理由は何であれ、生身の人から切り離された、ひとりだけど、ひとりではない「ひとりのじかん」を持つチャンスが来たならば、それは、自分を知り、他者を知り、世界を知り、自分の生きる力を湧き出させるための、天からの贈りものだと思ってよいような気がする。End

※1 岡潔 (1901-1978) 日本の数学者
※2 「岡潔 数学を志す人に」平凡社スタンダードブックス
※3 寺田寅彦 (1878-1935) 日本の物理学者、随筆家、俳人
※4 フレッド・ロジャース Fred Rogers (1928-2003) アメリカのテレビ番組制作者、司会者、聖職者
※5 FRED ROGERS CENTER https://www.fredrogerscenter.org/より翻訳抜粋

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