【阿部雅世さんの新連載7】見えないものと生きてゆく時代に――星の目で見る

連載7 星の目で見る

パンデミックとよばれる地球規模での感染症の拡大が始まって以来、地上では、常にどこかの都市が封鎖され、多くの国境が閉じられている。目に見えないウイルスは、海越え山越え一人で旅するような力は持っておらず、人間を乗りものにして世界に広がってゆくものなので、人という乗りものの動きを制限して、その拡大を抑制することは、多くのパンデミックを生き延びた先祖たちが残してくれた、経験的な生き残りの知恵だ。

「ちょっと前までは、何も考えずに、あそこを飛んでいたのよね」と思いながら、飛行機雲が引かれなくなって久しい空を、何度となく仰ぎ見る。人々は大地に固定され、引かれた境界線の枠の中での試行錯誤に右往左往をしているが、その上空では、大きな雲が形を変えながら、人間の引いた境界線を悠々と超えて流れていく。

雲だけではない。窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素、あるいは、リンやカリウムやセシウム、森林火災の煤と灰やマイクロプラスチックに至るまでのさまざまな物質を含む粉塵も、大気の風に乗って悠々と流れていく。命を支えるものも、命を脅かすものも、流れていく。それらは、どこかで雨粒に紛れて地上に落ち、地中に浸透し、木々に吸い上げられ、その葉先から蒸発し、あるいは、どこかの誰かの肺に吸い込まれ、吐き出されて再び空に戻り、延々と地球の上空を流れ続ける。

誰がどう地上に線引きをしようと、これらの目に見えないものを、自分の領域内に囲い込んだり、領域内から排除したりすることはできないわけで、地球上に暮らす者は、その流れていく「見えないもの」に命を預けている運命共同体であることを、ふいに実感する。「見えないもの」と共に空を飛んでいた時ではなく、こうして大地に自分を固定して空を見上げた時に、初めてそれに気づくというのも、なんだか不思議なものだけれど、最も近しい微細なものに気づくためには、目を近づけるミクロの視点よりも、遠く離れた望遠の視点、マクロの視点が必要なのかもしれない。

実際、今、私たちの命がかかっている大気の成分や、微細な粉塵一粒一粒の行動を克明に追っているのは、宇宙空間に浮かぶ「星の目」だ。地上から約400キロ上空の宇宙空間を秒速7.7Kmの速度で飛行している国際宇宙ステーションISSの目や、各国が打ち上げている人工衛星の目。それらが、地球の表面を覆う薄い大気の層を流れる「見えないもの」の行動を、観察し続けている。そして地上では、多くの科学者が、その目から送られてくるデータを解析し、地球環境の複雑な仕組みの謎を解きながら、そこに暮らすものの命への影響を分析し、ほんの少し先の未来を予測している。

アフリカのサハラ砂漠から舞い上がった紅砂とよばれる粉塵が、貿易風に乗って大西洋を渡り、5,000キロ先の世界最大の熱帯雨林アマゾンに到達する様子を、2009年から継続的に宇宙衛星の目で観察し解析しているのは、NASAの大気科学者ホンビン・ユー博士の研究チームだ。ユー博士は、多様性の宝庫であるアマゾンの木々の繁栄が、サハラから運ばれる紅砂に含まれる栄養素に依存していることに気づいた、最初の科学者である※1

大西洋上においては、わずかばかり紅みを帯びたスモッグとしてしか知覚できない、目に見えない紅砂の粉塵。それが、400キロ上空のISSの窓からは、うねりながら大西洋を渡る深い紅色の帯として、肉眼でもはっきりと見てとれるという。ISSに長期滞在した宇宙飛行士たちが、その目で見た紅色の帯の様子は、2018年にナショナルジオグラフィックが公開したアメリカ合衆国のドキュメンタリー番組One Strange Rock(邦題 宇宙の奇石)※2の中で、宇宙飛行士たちの証言と共に紹介されている。

同映像の中ではまた、アマゾンに降り注いだサハラの粉塵に含まれる栄養素が、アマゾンの木々に吸い上げられて大気へ放出され、上空を流れる雲に乗ってアマゾンを横断しながら、雨になって再び大地に降り注ぎ、やがてそれが川を下って太平洋に放出される時――顕微鏡でしか見ることができない小さなプランクトンがいっせいに繁殖して海に広がるのが、宇宙から鮮明に見える様子も紹介されている。この珪藻(けいそう)とよばれる小さなプランクトンこそは、地球表面積の7割を占める海洋で酸素をつくり出し、大気に放出している生物だ。私たちの命がかかっている、目に見えない酸素誕生の瞬間は、宇宙までの距離をとって初めて見ることができるわけだ。

今でこそ、宇宙から見た地球の姿を誰もが知っているけれど、人類が初めてその姿を見たのは、そんなに遠い昔の話ではない。人類初の月面着陸を目指したNASAのアポロ計画の一環で、宇宙船アポロ8号が、史上初の有人月周回飛行に成功した1968年12月24日、人類は初めて、月の裏側から昇ってくる地球の姿を見た。それは、私が6歳の時で、残念ながら私の中にはその瞬間の記憶にはないのだけれど、その地球の映像が地上に送られ、全米にテレビ中継された時のエピソードはOVERVIEW※3というドキュメンタリー映像の中に、瑞々しく紹介されている。

人類史上初めて月の裏側へ回り込んだ、宇宙船アポロ8号。その小さな窓から見える月の裏側の景色を、リアルタイムで地上に送るためにカメラを構えていた宇宙飛行士ウィリアム・アンダース※4が、ふと月の地平線から昇ってくる地球に気づき、その地球に焦点を当てる。地上の宇宙センターのスタッフたちは、思いがけずモニターに飛び込んできた地球の姿に息をのみ、なにか神々しいものを見るように、その姿にじっと見入っている――。

ウィリアム・アンダースは、「月を探検に行った私たちが発見したのは、地球という星でした。しかし、実をいうと、ひたすら月のことだけを考えて計画に邁進していたので、地球を振り返ってみることなど、当時は誰も考えてもいなかったのです」と、それから50年後に告白している。1968年のテレビ中継で地球を見たという哲学者のデイヴィッド・ロイ※5は、それは、人類の新しい自己認識の瞬間、すなわち、人類が「自分たちは宇宙空間に浮かぶ星の上で暮らしている」ことを悟った決定的な瞬間であったと、その映像の中で語っている。

それから半世紀を超えた2021年、民間宇宙時代の幕は上がり、気がつけば誰もが自分の机の上に、カバンの中に、ポケットの中に「星の目」を持っている。自分の視点を大気圏の上空のどこかの衛星にセットし、モニターという窓から、地球を、大地を、そして自分自身の暮らしを、いつでも眺めることができる夢のような道具――それは、すでに私の手の中にある。

そうか、このスマホやらタブレットやらというデジタルデバイスの究極の存在意義は、そこにあったのか。これは、地上からは見えないものを見るための道具、新しい自己認識を更新するための究極の道具だったのだ。地面に固定されて初めて、そう気づいた瞬間の私は、思いがけず地球の姿を見た、1968年に宇宙センターのスタッフのような顔つきで、この誰もが持っている道具に見入っていたかと思う。

以来、地上でどんなに目をこらしても見えないもの、答えが見えてこないものについては、デバイスの中の星の目を使って、自分が固定されている現在地、地球という星を眺めながら、つらつらと考えることにしている。End

※1 大気科学者Dr.Hongbin Yuのチームによる研究は、NASA Goddard Space Flight Center (GSFC) のサイトに公開されている。
※2 One Strange Rock(邦題 宇宙の奇石) 記述の映像は、エピソード1 Gaspの中に収録されている。
※3 OVERVIEW Frank Whiteの著作「The Overview Effect」(1987)で指摘された、宇宙視点での人類と地球の新しい自己認識を、5人の宇宙飛行士の証言と共に紹介するショートフィルム。現在Planetary Collectiveにより、vimeoで無料公開されている。
※4 ウィリアム・アンダース William Anders (1933-) アメリカNASAの宇宙飛行士。Frank Borman, Jim Lovellと共に、アポロ8号に乗船し、人類史上初めての有人月周回飛行に成功した。
※5 デイヴィッド・ロイ David Loy(1947-)アメリカの哲学者、禅の研究者、作家。1990年から2005年まで、日本の文教大学の国際学部教授も務めた。

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▲The first photograph taken by humans of Earthrise during Apollo 8. NASA Apollo Archive | Photo ID AS8-13-2329 | Creative Commons CC0 License http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/alsj/a410/AS8-13-2329HR.jpg