【阿部雅世さんの連載11】見えないものと生きてゆく時代に――新しい作法を遊ぶ

連載11 新しい作法を遊ぶ

感染症予防のため、人とは1.5mくらいの距離をとるように心がけましょう、というソーシャル・ディスタンシングの概念が、暮らしの新しい作法として定着しはじめてから、すでに1年半になる。握手やら、ハグやら、ほっぺにキスキス、という習慣を持つ欧州人にとって、この新しい概念は、これまでのソーシャルマナーに大層な転換を強いるものだったが、ビジネスの世界では「肘をあてっこする」という相手の皮膚に触れない新しい作法が生まれ、気がつけば、皆もうそれに慣れてしまっている。

2020年の春には、「ソーシャル・ディスタンシングはいいが、この手持ぶたさをどうすればいいのだ」という、多くのビジネスパーソンの困惑に答える、ありとあらゆる提案が、ネットの情報空間に溢れていた。シンガポール大学の教授は、自然に距離が取れてしまう日本人のおじぎを「実に健康的な習慣である」と紹介し、欧州人の中には胸の前で手をあわせるナマステジェスチャーを取り入れる人も出てきた。互いのつま先をぶつけるHand shakeならぬFoot shakeのバリエーションはSNSに乗って世界中を駆け巡り、握手の強さで互いをけん制するというマッチョな習慣を維持しようと思うなら、いっそこぶしで胸をたたくゴリラのドラミングはどうだろうという提案など、よくもこんなことまで思いつくものだという泣き笑いの提案がいっせいに開花した。

握手の原点は、手に武器を持っていませんよ、と、空の手を互いに示すことにあるそうだが、そのような物騒な心配のない場であっても、それが延々と続いてきたのは、相手に対する信頼や敬意や平等をアピールする形骸化した型として定着していたからだ。2009年に世界70カ国に広がった豚インフルエンザのパンデミック以来、握手が持つ潜在的なリスクについての警告は何度も出されていながらも、本格的に変えようという動きにはならなかった。しかし、しがみついていた習慣も、今回の超特大パンデミックの到来であきらめざる得なくなったら、もう次の瞬間には、さっそく新しい作法をあれこれと遊びはじめている。やっぱり人類は、ホモ・ルーデンス――新しいことを思いついたり、試したりしているときが一番キラキラしている。

この非常時に突入した瞬間から、見事なホモ・ルーデンスぶりを発揮していたのは、子どもたちだった。欧州第一波の中、2020年4月末のベルリンでは、全市民自宅蟄居の対策がとられ、学校はいっせい休校、児童公園は閉鎖され、屋外に一歩でも出るならば、大人にも子どもにもソーシャル・ディスタンシングの作法が課せられることになった。しかし、距離を取ってこそできる遊びというのはずいぶんあるもので、学校が休みに入るや否や、スタジオのある集合住宅の上の階に住む小さな姉妹は、まったく車が通らなくなった道を走り回りながら、凧揚げに夢中になっていた。ふたりが距離をとって初めて、凧は揚がる。

翌日には、もうひとり近所の子が入って、何本かの縄跳びの縄をつなげて長い長い縄をつくり、3人で大縄跳びをして遊んでいた。しばらくすると、縄をほどいて、それぞれの縄で円をつくり、それを、芝生の上のあちこちに置くと、いっせいのせ、で、違う輪に走る、という遊びをしていた。それもひとしきり遊ぶと、今度は、バケツのようなものを持ってきて、それをひっくり返して芝生の上に置くと、バケツを囲んで三方向等距離に立ち、バケツに向けて大きな投げ輪を始めた。大人たちが、おたおたしている間こそが、子どもにとっては天国で、大人が邪魔さえしなければ、ホモ・ルーデンスは、永遠に遊び続けることができる。

イタリアのデザイナーであり、教育者でもあった ブルーノ・ムナーリ※1は、「遊び」という行動は、気晴らしのための遊戯ではなく、認識のための行動であると捉えていたという。不可思議な世界を理解するための「遊び」の中で、ムナーリがとりわけ大事にしていたのは「他にどんなやり方があるだろうか」と、問い続けることだったという※2。そして「新しいやり方」を発見すると、まるでそれが今までにもずっとあったかのような自然さで、優雅に、スマートに、次々と披露して見せる――それが、ムナーリのデザインの仕事だった。ムナーリという人は、ホモ・ルーデンスのロールモデルのような人だった。

ムナーリが未来の世代に残していった最後の教本「空想旅行」※3は、「他にどんなやり方があるだろうか」と自分に問い続け、新しいやり方を無限に発見するための演習帳だ。この閉門蟄居の時間に、ホモ・ルーデンスとしての本能を磨こうと、繰り返しチャレンジしているが、ムナーリがいとも簡単にやってみせる、優雅でユニークで楽しいヒットというのは、なかなか飛ばせられるものではない。なにかにつけて本然発揮を阻害されがちな現代人が、よきホモ・ルーデンスであり続けるためには、空想力と創造力の持続的な筋トレは欠かせないということを、しびれるような空想力の筋肉痛は、私に教えてくれる。

ソーシャル・ディスタンシングという新しい作法によって、気づかされたことはいろいろあるが、最も印象的だった気づきのひとつは、人と人とのあるべき距離というのは、置かれたた椅子の距離や、机の幅といった、暮らしという舞台の上の小道具のしつらえによって、ごく自然に調整できるということ。思えば、コロナ禍に至るまでのひと時代というのは、経済効率と経済成長の旗印のもと、世界中の都市で、本来あるべき距離をちょっとずつ縮め、大勢の人を限られたスペースに押し込むようなことを、意図的にやってきた時代ではなかったか。それは、空間の設計士たちが、限られた空間をやりくりし、ひとりでも多くの人を詰めこんでみせれば、上手上手と褒められた時代で、そのなれの果てにあるのが、感染症の拡大に最適で、心の余裕を持つことすら難しい、現代の暮らしの環境だ。

人間が健康や精神的な余裕を保つのにふさわしい、社会的な距離とはどういうものか――もう一度そこに立ち返り、暮らしの小道具を意識的に微調整する。そうして、誰もが人間らしく健康的に生きていけるような、余裕を整える――これが、この先、暮らしの環境をデザインする者に課せられる新しい任務となるのだろう。それは、誰にも気づかれないようにちょっとずつ小道具を動かして、暮らしのあり方を修正する遊び――人間らしさを取り戻すための壮大な遊びでもある。さて、上手にできるかな。End

※1 ブルーノ・ムナーリ Bruno Munari (1907-1998) イタリアのデザイナー、教育者
※2 2013年ヴァンジ彫刻庭園美術館でのムナーリ展のカタログ「ブルーノ・ムナーリのファンタジア 想像力ってなんだろう」(NOHARA BOOKS)でのアルベルト・ムナーリの寄稿文より。
※3 ブルーノ・ムナーリのデザイン教本「空想旅行」(ブルーノ・ムナーリ著、阿部雅世訳)。ムナーリの伝説のデザイン教本BLOCK NOTE SERIESの一冊。同シリーズの「点と線のひみつ」とあわせ、2018年に邦訳本が復刻され、トランスビュー社より出版されている。

ーー本連載は毎週火曜日に更新します

ーー連載一覧へ

コロナ禍のベルリンで生まれたオシドリたちのソーシャル・ディスタンス。この杭を、気づかれないように、ちょっとずつ動かして調整すれば、オシドリの社会的距離もデザインできる……。
Stay Healthy, Stay Happy!