【阿部雅世さんの連載13】見えないものと生きてゆく時代に――持続可能な暮らしの心得

第13回 持続可能な暮らしの心得

地球上のどこかの暮らしに壊滅的な被害を及ぼしている気象災害のニュースを、毎日のように目にする。WMO世界気象機関※1は、暴風雨、干ばつ、猛暑、海水温上昇などを引き起こしている気候変動は、もはや新しい平常なのであり、地球上の暮らしは「未知の領域」に向かっていると、2021年版の気象報告書で発表している。ここは大丈夫、と言える場所が、世界のどこにもないのは明白で、コントロールが不可能な気象災害は、誰にとっても「明日は我が身」の問題だ。「まさか自分の身に起きるとは」という常套句が、これほどむなしく響く時代もないだろう。

晩秋の一滴が残るベルリンでは、朝からIgnazという大嵐が通過中で、雨は時折降るだけなのに、轟轟と空が鳴るような暴風の波が押し寄せている。どこまでもぺったんこな平野にある内陸の都市だからだろうか、私が生まれ育った東京では聞いたことがないような音だ。刻々と光の濃度が変化する不思議な色の空の下、木々の枝は狂ったように暴れ、大きな波が押し寄せるごとに、しがみついていた紅葉が、紙吹雪のように宙に舞う。緊急体制に入っている消防から、ベルリン各地での倒木や停電、交通網遮断のライブニュースが、頻繁に更新されてはいってくる。

地震も火山もなく、大規模な洪水に見舞われた記録もないという意味では、自然災害に対しては比較的のんびりしていたはずのベルリンでも、近年は、大風が吹くと聞いては倒木や停電に身構え、大雨が降ると聞いては地下室の浸水に身構え、流通のインフラが脅かされるたびに、備蓄の必需品を確かめて籠城を覚悟する――そういう暮らしが、いつの間にか新しい日常になっている。

都市の暮らしの便利の裏には、必要なものを必要なだけ効率よく運び入れ、運び出すネットワークがあり、都市住民の暮らしは、その複雑な蜘蛛の巣の糸の上を、毎日綱渡りしている。食糧は常にどこかから絶え間なく届き、エネルギーや水は住まいまで届けられ、出したごみはどんどん回収されてゆく――そういう、魔法のような手際の良さに目がくらんで、つい忘れてしまいそうになるが、都市の暮らしというのは脆いものだ。物流や送電、ごみの回収という生活を支えるインフラが同時多発的に絶たれれば、恐ろしい数の人々が、瞬時にして命にかかわる困窮に直面するのであり、都市の上空を通過してゆく暴風の轟音は、「都市の脆さに備えよ」という警告を、声を限りに叫んでいるかのようだ。

イタリアの国際デザイン実験校であったドムスアカデミー※2で、1990年に私が受けた最初の授業は、共同創設者で副校長でもあったアンドレア・ブランジ※3の「ごみの問題は、デザイナーの机の上から始まっている」という一言で始まった。当時のイタリアは、ごみの分別すらろくになされていない状況にあったが、哲学者として、理論家として、批評家として、暮らしの環境の現実を注視し、新しい暮らしのあり方を模索することは、デザイナーの仕事だった。今振り返ってみると、あれは、環境問題に対するデザイナーの責務を教育の場で問うた、世界で最初のマスターコースだったのではないかと思う。おそらく私は、環境の質を問うデザイン教育を受けた第一世代だ。だからだろうか、暮らしの環境を整えるという問題は、衣食住のどこからアプローチしても、かならずそこにぶつかる、私のデザインの課題で、デザインを学ぶ根本は、自らの暮らしの環境を理解することにあると、ずっと思ってきた。

私が教育活動に関わるようになったのは2000年。MDGs※4と命名された、地球上の暮らしの環境をめぐる8つの持続可能な開発目標が国連で採択された年だ。以降、時代時代の学生たちとともに、ひ弱な都会人としての自覚と危機感を頼りに、持続可能な暮らしのあり方を模索し、実証実験に取り組む機会を多く得たが、あのさまざまな実験はすべて、このような状況の中で「自分の暮らしを持続させる」ための実験であったことに、はたと気づく。

最低限のエネルギーで快適な室温を保つ技も、極力ごみを出さない暮らしの技も、電力に頼らずに暮らす技も、必需品を吟味し備蓄する技も、限られた食糧を最大限に活用しておいしく暮らす技も、自給自足の技も、持ちうるものを分けあう技も――いつ何時、生活インフラが途絶えるかわからぬ、見えないものと生きてゆく時代、どんな事態に遭遇しても、慌てふためかずに、人間らしい暮らしを持続させるための心得であったのだ。

環境問題を語るときによく使われる「地球のために何ができるか」という大きなスローガンを前に、自分ひとりが暮らし方をちょっと変えたくらいで、本当に地球のためになるのだろうか、正直なところ、今ひとつピンとこない――と思っている人も多いかと思う。しかし、地球上で繁殖に繁殖を極めた人間の多くが、それぞれにちょっとずつ、いらぬ便利に流された暮らし方をした結果が、この環境の大惨事を引き起こしているのならば、そのひとりひとりが「明日の自分のためになにができるか」という小さなスローガンを自分のために掲げ、そのために暮らし方をちょっとずつ整えることは、この惨事を悪化させないための、一番確かで、理にかなった方法なのではないかと思う。

それは、動物も含めた、ひとりひとりの命と暮らしの問題です。
たとえ自覚はなくとも、ひとりひとりが、役割と責務を持っていて、
ひとりひとりが、毎日、何かしらの影響を与えているのです。
――ジェーン・グドール※5 (阿部訳)

これは、環境教育を普及させ、青少年が主導する環境活動を支援するためにRoots & Shoots※6を立ち上げたイギリスの動物行動学者ジェーン・グドールが、設立当初の1991年から今日まで、一貫して発信し続けているメッセージだ。ひとりひとりの命の価値とその暮らしの持つ力を自覚すること――彼女が呼びかけるメッセージに育てられた、世界中の子どもたちや若者による過去30年間の活動と、そこに見出されるたくさんの希望は、発売されたばかりの彼女の最新の著書「The Book of Hope: A Survival Guide for Trying Times(希望の本―挑戦の時代を生き延びるためのガイドブック)」※7の中に紹介されている。

常駐するパンデミックの波の上に、気象災害の波が複層するのが見えるようになり、都市生活を支えるインフラの破綻という惨事は、言いようのない大きな不安として、人々の心の中に鎮座している。ならば、理解しきれぬ地球の壮大な目標からはいったん距離を置き、「ごみの回収が滞るたびに、自分のごみに埋もれて暮らさずに済むよう、極力ごみを出さない新しい暮らし方の技を、身につけておくのはどうでしょう」とか、「たびたび停電に見舞われるようになっても、暑さや寒さに怯えることなく、快適に暮らせる新しい暮らしの技を身につけておくのはどうでしょう」とか、「食糧の供給が滞るようなことになっても、飢えずに暮らしてゆけるような暮らしの技を身につけておくのはどうでしょう」というアプローチで、新しい暮らし方を提案するのがよいのかもしれない。

ひとりひとりが、それぞれに、明日の自分を守る暮らし方を心得てさえいれば、いつそのような惨事に見舞われようと、慌てふためき人間らしさを失うような混乱と恐怖に満ちた、阿鼻叫喚の地獄は避けられる。地獄は物理的な不自由や被害の中にではなく、恐怖に駆られて人間らしさを失った社会の中に生まれるものだ。新しい暮らし方を身につけるということは、見えない危機への恐怖に負けないだけの備えをし、助けたり、助けられたりする心の余裕を維持するためのための技、人間らしさを持続させるための技を身につけるということ。それを模索し提案し続けることが、これからのデザイナーに課せられる、より大きな責務となるのではないだろうか――耳の中に残る暴風の轟音を思い出しながら、そんな考えにたどり着いた。End

※1 世界気象機関 WMO World Meteological Organization 国連の気象専門機関として、191の加盟国のの気象業務を調整し、標準化、改善推進に必要な企画・調整活動を行っている。
※2 ドムスアカデミー DOMUS ACADEMY 1982年に設立されたデザインマスタークラスの実験校。アンドレア・ブランジのディレクションのもと、現役のデザイナーや研究者、企業家等よる、いくつものワークショップと講義で構成された実験的な教育を10年間続けた。
※3 アンドレア・ブランジ Andrea Branzi(1938-)イタリアのデザイナー。1966年にArchizoom Associati、1976年にStudio Alchimiaを結成。1980年にMenphisのメンバーとなり、70-80年代のイタリアのデザインを牽引した。
※4 MDGs Millennium Development Goals ミレニアム開発目標。2000年の国連総会で採択された、持続可能な暮らしの環境を目指すための8つのゴール。
※5 ジェーン・グドール Dr. Jane Goodall(1934-)イギリスの動物行動学者、霊長類学者、人類学者、国連平和大使。引用の言葉は、COP26に際してジェーン・グドールが発信したメッセージより。 
※6 ルーツ&シューツ Roots & Shoots 幼児から大学生、そして教育者のための環境教育支援、青少年が牽引する環境活動の支援を国際的に展開するNPO団体。1991年に、ジェーン・グドール博士が、タンザニアの12人の高校生の活動を支援するために創設したもので、以降30年にわたって、140カ国以上の環境教育の普及に貢献し、2021年11月現在、65カ国で70万人以上の若者が関わる7,000を超える地域活動を支援している。
※7 The Book of Hope: A Survival Guide for Trying Times. Jane GoodallとDouglas Abramsの共著で2021年10月に緊急出版されて以来、瞬く間に五大陸でベストセラーとなっている。

ーー本連載は火曜日に更新します

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冬の備蓄として木の実を埋めておくのは、持続可能な世界のためのリスの心得。消費しない備蓄は、春には芽を出しやがて木になるので、これは植林の心得でもある。なんと無駄がないのだろうか。見習いたい。
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