連載14 おいしい備蓄
30年近くの欧州暮らしで、友人たちの暮らしを垣間見る中で感心したことのひとつに、必需品の供給が絶たれることを想定した籠城暮らしのための準備を、みな普段からしっかりやっている、ということがあった。
いつ何時でも開いているコンビニや自販機もなく、基本的には日曜祝日は店が休み――という日本的便利が存在しないこともあるけれど、日本とはちょっと別の種類の「だって、いつ何があるかわからないでしょう」という危機感を、みな、常に心のどこかに持っている感じだ。それは、同じ大陸の大地を共有し、国境を接して多くの国がひしめきあう中で感じる危機感、周辺国の政治的な紛争や自然災害も自分の生活につながっていて、ある日さまざまな供給がぱったりと止まることはいつでもありうるという危機感であり、また緯度の高い北国ならではの長く厳しい冬に蓄える習慣の名残もあるかもしれない。さらには、長期にわたってじわじわと暮らしを困窮させるタイプの災害が、感染症や気候変動の副産物として目の前にも控えているわけで、長期籠城暮らしのための準備をしておくことは、もはや日常の作法になっている。
ドイツでは、パンデミック以前から「救援が来るまでに自力で生き延びることを想定した必需品備蓄10日分」を各家庭で常備することが推奨されていたが、それ以上のストックをしている友人は多い。普段から基本3カ月分を備蓄していると言っていたのは、有事想定の危機管理意識は世界一と言われる、スイスのチューリッヒの公共住宅に住む友人。今まで見た中で、もっとも充実した備蓄をしていたのは、ワークショップのために泊まり込みで滞在させてもらったイタリアの地方都市の親子職人の家だった。
これでうちの家族が1年は食べていける、という食糧庫を見せてもらったが、通常のローリングストック用の棚とは別に、有事に備えた棚というのがあって、そこには特別においしいものを揃えてあると言う。緊急時に備える食べものと言えば、そのまますぐ食べられて、カロリーがあって、おなかが満たされることが大事で、おいしいかどうかは問うてはいけないように思っていたけれど、「そういう有事の時こそ、うまいものを食べなきゃ元気が出ないだろう。腹を満たすだけじゃなくて、心を満たす食材をストックしなきゃ、有事は乗り切れないよ」と言われて、はっとした。まったくもって、その通りだ。イタリア人よ、あなたたちは、どこまでも正しい――。
2020年の春、欧州中で同時多発的な都市封鎖が始まり、食糧の供給は大丈夫だろうかという不安がひたひたと社会の空気の中に広がり始めたとき、まず思い出したのは、この職人さんの言葉だった。イタリアは、前代未聞の全土封鎖で、終わりの見えない自宅待機を全国民が体験した欧州で最初の国だったが、あの職人さんの家では、いつも以上においしいものを食べて自分たちを励ましながら、事態が収まるのを悠々と待っているのだろうと、容易に想像できた。
私も、自分が疎開する田舎もない都会暮らしの外国人であることを肝に銘じて、基本的な必需品と食料は、それなりに常に備蓄するようにしていた。出張が多い生活をしていたので、それはいつ戻ってきても、そこにあるもので、その日に食べたいなと思うものを、ちゃんとつくれるようにしておくための備えでもあり、肝心なものが切れているということがないように、普段使う食材や調味料の予備を、日ごろから多めにストックしておくというものでもあった。だからこの蟄居籠城の暮らしが現実のものとなったとき、ひとまず基本的な食材は備蓄されていたけれど、問題は――この限られた食材で、心が満たされるようなおいしい料理を、どれだけつくることができるのかだった。籠城生活を想定した詳細なメニューまで考えてはいたわけではなかったので、私の最初のパンデミック対策は、備蓄の食材とにらめっこしながら、丸一日かけて、思いつく限りのレシピのリストをつくってみることだった。
まずは、ライフラインは大丈夫だが、物流インフラが停滞する状況を想定してみた。日ごろから備蓄しているのは、基本的には原材料だ。豆や米、麦、小麦粉、クスクス、いろんな種類のパスタ麺類、サラミ干し肉、ハードチーズ、ドライトマト、ドライフルーツ、ナッツ類、クラッカーなどの乾きもの。酢漬け、オイル漬け、ジャム、はちみつなどの瓶詰、サバ、ツナ、イワシの缶詰、濃縮トマトペーストの缶詰、暗いところにストックしておけばかなり長持ちの玉ねぎ、にんにく、生姜。オリーブ油、ゴマ油、ヴィネガー各種。ロングライフの牛乳。おいしいチョコレート。マジパンというアーモンドの粉を練ったねりきりのようなお菓子(これは十字軍の携帯食だったというおいしいパワーフードだ。なぜか日本茶にあう)。お茶各種。香辛料各種、等々…。普段はこれに新鮮なものをあわせて料理しているわけだけれど、もし、この備蓄の組み合わせだけでしばらく暮らさねばならないとしたら、どんな料理を、何食分くらいつくれるだろうか。
戦後ドイツを代表する作家、ジークフリード・レンツ※1の「愉しかりしわが闇市」という本の中に「欠乏ほど、創造的な可能性に富んだものはない」という言葉があるが、あるものだけで何とかしようとするとき、人間の創造力というのは飛躍的に豊かになるものだ。なんということのないものを、途方もなくおいしいものに化けさせる料理という技――これこそは、最高のデザインの技だと日ごろから思っていたが、驚くなかれ、悠々2カ月間、引き延ばせば3カ月間、毎日ちょっとずつ違う、自分を幸せにするおいしいものを、自分に食べさせていけるくらいの数のメニューが出た。同じ材料でも、捻り方ひとつ、スパイスの使い方ひとつで、和風、欧風、中華風、東南アジア風、インド風、ロシア風、中東風、アフリカ風、中南米風と、いくらでもバリエーションを広げられるのが料理の楽しいところで、これだけのメニューが出たからには、友人たちを呼んでみなに振る舞いたいくらいだが、パンデミックの行動制限下、今になってもそれができないのは残念でたまらない。
私の個人的な有事用の貴重品、滋養があるうえに心を満たしてくれる肝の食品は、殻付きのクルミ、練りごま、生姜、はちみつ、柚子ジャム。紀元前7000年から人類が食用にしていたと言われるクルミは、おいしい滋養の王様だ。殻つきのままだとかなり長期保存できると聞いたので、収穫時期には10キロくらい買って、一年かけて消費するような備蓄をしている。料理に使ってもよし、お菓子にしてよし。はちみつ漬けのクルミひとつ、お茶うけにしただけでも、かなり心は満たされる。基本的に現地で手に入るものを自分流に料理するという、無国籍料理で生きてきて、ちゃんとした和食からは程遠い生活をしているが、それでも、練りごまと生姜は、私の和の心を元気にしてくれる魔法のような食品だ。コルシカ島で日本の柚子を育てている方から毎年いただく柚子ジャムは、神棚に載せておきたいくらいの貴重品で、これをほんのちょっと隠し味に加えるだけで、ほとんど具のない澄まし汁であっても、なんとも香り高い上品な和風になる。
使うお皿や盛りつけまでイメージした具体的なメニューを、あれやこれやと空想夢想して書き出してみると、これだけいろいろつくれれば、どれだけ籠城が長引こうとも、「今日は、何食べようかな」という楽しみを維持し、心を満たしておくことができそうで、「なんか私、だいじょうぶなんじゃないか」という気持ちになった。ライフラインが切れることを想定したプランB、C、Dのメニューも同じように考えてみたが、ソーラークッキングの技やら、保温調理の技やらと、デザインのプロジェクトの中でいろいろ実験して、生活に取り入れてきた技もあるし、それなりに結構いけそうだった。あくまでも想定だから、実際にはどこまでいけるかはわからないけれど、こんな空想も本気でやれば、根拠のない不安から自分を解放するのに、ずいぶん役に立つ。
ごはんがおいしいと元気が出ます。※2
――トミー・スタビンス
これは、朝日新聞朝刊の教育面で連載されている「福岡伸一の新・ドリトル先生物語-ドリトル先生ガラパゴスを救う」に出てきた、スタビンス少年の言葉。ちょうど、籠城用レシピを書き出していた頃に目にしたこの一言は、職人さんの言葉と重なって、ことのほか心に響いたので、この基本を常に心しておけるよう、書き出して印刷し壁に貼っている。
※1 ジークフリート・レンツ Siegfried Lenz(1926-2014)戦後ドイツを代表する小説家。「国語の時間」(丸山匠訳、新潮社、1971年)、「愉しかりしわが闇市」(加藤泰義訳、芸立出版、1978年)、「遺失物管理所」(松永美穂訳、新潮社、2005年)、「黙祷の時間」(松永美穂訳、新潮社、2010年)など、多くの著書が邦訳出版されている。
※2 「福岡伸一の新・ドリトル先生物語-ドリトル先生ガラパゴスを救う」(2021年4月1日より、朝日新聞朝刊の教育面で連載)60 洞窟へ出発 11 より、抜粋。
ーー本連載は火曜日に更新します
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