【阿部雅世さんの連載15】箱庭の中の小宇宙

連載15 箱庭の中の小宇宙

物流インフラの機能不全がもたらす都市の食糧危機。その見えない危機への対策として、この20年ほどの間に強く意識されるようになった目標のひとつに、都市の地産地消がある。人口が密集し、耕す農地のない世界中の都市で、その危機をいち早く察知した人々が、廃工場や、集合住宅のテラス、屋上、さらには運河や海上に浮かべた浮島までを使って、大小さまざまな都市農園の実験プロジェクトを稼働している。彼らの自発的な地道な活動の意味を、今ほど誰もが痛切に感じる時もないだろう。

ベルリンには、都市農園のパイロットプロジェクトとして世界に知られるようになったプリンセッシネンガルテン※1という実験的なコミュニティー農園がある。すべての開発から取り残され、不法投棄のゴミ捨て場のようになっていた空き地を、地域住民総出で片付けるところから始まったそのプロジェクトは、地面に触れることなく菜園をつくる技を磨くための市民主導の実験場だ。

そこでは、業務用の四角い籠のようなコンテナボックスを二段重ねにし、中に段ボールを敷いて土を入れたものを鉢にして、野菜やハーブを育てることから始め、そこで培われた知恵や技を広く啓蒙するためのワークショップを開いている。地面から切り離されて宙に浮く50リットルそこそこの土からでも、びっくりするほど立派なサラダ菜やハーブやカボチャが育っていて、2010年に初めて訪問して以来、いつか私もやってみたいと思っていた。

2012年に入居した今のスタジオには大きなテラスがついてきたので、見よう見まねで、土を入れた二段重ねの箱庭をずらりと用意したが、いかんせん出張が多く、水やりもろくろくできないし、パンデミック前の特に忙しかった数年は「放任の箱庭」と化していたのだが、それでも学んだことはいろいろある。

放任といっても、ここは日本のような湿気のある土地ではないので、箱や鉢にただ土をいれて放置しておいただけでは、ゲジゲジもダンゴ虫も住まないカサカサの砂になってしまう。だから、時々の思いつきで、土をほぐして空気を含ませたり、お茶殻や砕いた卵の殻を土に混ぜ込んだり、空気孔になるかもとパイプの筒を差し込んだり、冬には落ち葉の布団をかぶせたりと、土を整えることだけは、あれこれやっていた。

そうすると、それなりに微生物や細菌が息づいて生態系をつくろうとする力が働き始めるらしく、いくつかの箱の中は、風や鳥が運んでくる主種雑多なタネが、思い思いに根づいては芽吹き、次々と勝手に育ち、それぞれが小指の爪ほどの小さな美しい花を咲かせるという、多様性のお手本のようなミニチュアの草原になった。

環境の変化に強い、生命力に満ちあふれた野菜を育てる自然農法の基本は、土を整えることに尽きる――肥料を与えて育てるのではなく、自分で育つ環境を用意すること、という話を、天然菌でのパンづくりを営み、里山資本主義を唱える渡邉格さんの本※2で読んだことがある。これこそ、教育の理想だと思って、心に止めておいた言葉だ。ほおっておいたら砂になってしまうような箱庭を前にして、とりあえず土づくりと思ったのは、その言葉を思い出したからだけれど、どんなに根を伸ばしても、地下の水脈や大地の中のネットワークにつながりようのない箱庭の中でも、それが機能するのかどうかは半信半疑だった。それでも、自力で育つべきものだけが育った結果が、この箱庭の中の草原なのだろう。大地から切り離された箱の中に生まれた、この小宇宙の姿には、育つということの本質を教えられる。

パンデミックの襲来で2020年2月に、無期限の「出かけない生活」を始めると、それまで目の端で追ってきただけだった箱庭の小宇宙をじっくりと観察する時間ができたので、箱庭の中に、どんな草が次々と姿を現すのか、本格的に調べてみることにした。すると、どの草も立派なラテン語の名前を持ち、詩的な呼び名があり、出身地があり、特性があるもので、雑草とか、名もない草などと呼んでいたのが申し訳ないほどのコレクションだ。北ドイツ古来の種も多く、農作地のわきに自生して病害虫から作物を守る、伝統的なコンパニオンプランツとして知られる種もたくさん見つかった。

それにしても――農作地もクラインガルテンも近くにはない、大都会ベルリンの真ん中の集合住宅のコンクリートテラスの箱の中に、周囲であまり見かけることもない、何種類もの古来種の野草が集まるというのも、なんだか不思議なことだけれど――ひとつ思い当たることがある。

生物の多様性を維持することを心にとめ、野生のハチにとって良いことをしましょう。
それは、ある人にとっては些細なことに思えるかもしれませんが、国家にとっては、
大変大きなことです。
      ――アンゲラ・メルケル首相、2018年の国会の予算演説より(阿部訳)

ドイツでは、2018年に、持続可能な都市環境づくりのバロメーターとして、多様な種の野生のハチが生息できる環境づくりを目指す、ということが正式に目標化され、以降ベルリンでも、古来種の野草を上手に組み合わせて、市内の緑地を草原化するプロジェクトが動いている。単一種の芝で覆われている従来の緑地帯を、年に2回ほど刈り取るだけで、あとは何もしなくても恒久的に自生するような野草の緑地帯にアップグレードし、多様な野生のハチが生息できるような都市環境をつくろうという試みだ。2019年の春から、近くの大通りの中央分離帯で、そのパイロットプロジェクトが動いているので、私の放任の箱庭は、そこから飛んでくる種のおこぼれにあずかっているのかもしれなかった。

4月半ばになり、目に見えて日照時間が伸び、日差しが強くなってきたころからは、うまくいっている草原箱庭をいくつか残し、残りの箱庭は土を整え直し、念願の「食べられるもの」を育ててみることにした。素人の箱庭菜園であるから、たいした収穫は期待しないにしても、自分のテラスで、何がどのくらい育てられるのかを知っておくのは悪くない。おいしい備蓄に新鮮なビタミンを添えるくらいのことはできるだろう。そして、こんな日もこようかと、カボチャを食べた後にとっておいた種、しわしわになり始めていたミニトマト、芽が出てしまったジャガイモなど、あれやこれやを適当に植えてみた。スーパーで買った温室栽培のミニトマトなどは、半信半疑ながら適当に輪切りにして埋めておいたら、あらあら、かわいいことにどんどん芽が出て育ち始めた。「私が食べていたのは一代限りのF1種じゃなかった!」と確信できるのも、なんとも心強い。夏の終わりには、収穫と呼ぶにはつつましい量ながら、一時期の食卓と心を満たすには充分すぎるほどの実をつけてくれた。

ベルリン周辺の農家が青空市場に持ってきたカボチャの中にあった、大変な数の種からも、びっくりするくらい元気な芽が出てきて、いちばん強そうなのを選ぶのに難儀するほどだったけれど、何しろ限られた土で育てるので、箱ひとつに1つか2つを根づかせる。すると、大きな葉っぱがわさわさと茂りはじめ、テントウムシなどもやってきて、せっせとアブラムシをやっつけているなと思っていたら、まもなく甘い香りのする大きな黄色い花を、毎日たくさん咲かせるようになった。カボチャの花は、天ぷらにしても、おひたしにしても、チーズを詰めて揚げてもおいしく食べられるので、実がつく雌花は残し、雄花はごちそうだ。この黄色い花は、ハチにも大人気のごちそうなので、花が開いている午前中には収穫しないようにして、何種類くらいのハチが来ているのか、水やりをしながら目を凝らしてみる。8種類のハチがが確認できたが、現在、ドイツ全体では585種、ベルリンには322種の野生のハチが生息しているというから、私が見ていなかったか、私の素人の目では見分けられていなかっただけで、本当はもっとたくさんの種が来ていたかもしれない。

ポリネーターとして目立って大活躍していたのは、Bumble Bee(セイヨウオオマルハナバチ)。黄色と黒の縞々の毛皮を着た、ずんぐりむっくりのかわいいハチだ。アニメのミツバチマーヤのモデルは、このハチだったのだと気づく。足に大きなオレンジ色の花粉団子をつけ、せっせと花の中に潜り込む姿もかわいいが、おかげで結実した産毛の生えたカボチャの赤ちゃんもかわいい。秋には、直径10〜20センチくらいのカボチャを8個ほど、厳かに収穫した。

食糧危機を乗り越えられるほどの収穫はなくても、この箱庭の小宇宙から得る環境情報の収穫は大きい。野生のハチは、多くの植物や虫の生態系を守る傘としての役割を果たしているので、その何種かでも来てくれたということは、ほかの植物や虫、人間もまだ大丈夫ということかと、ほっとする。ハチの姿を確認することは、見えない不安から自分を解放する行為でもあると同時に、もしこの先、このテラスにハチが来ない「沈黙の春」※3 を迎えることがあったら――いよいよ覚悟をしなければならない時なのだろう。――そうはなりませんように、来年も、野生のハチが集まる古来種の野草がたくさん育ちますように、と願いながら、箱庭にたっぷりと落ち葉をかぶせて、閉門蟄居2年目の凍れる冬を迎えた。End

※1 プリンセッシネンガルテン Prinzessinnengärten。キューバの都市型農園にヒントを得たRobert ShowとMarco Clausonの発案で、2009年にベルリン市内に開園した実験コミュニティー農園。
※2 「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」渡邉格 著(2013年、講談社)
※3 「沈黙の春(Silent Spring)」1962年に出版されたレイチェル・カーソン Rachel Carsonの著書。農薬の残留性や生物濃縮がもたらす生態系への影響を告発し、鳥たちが鳴かなくなる春という生態系存亡の危機について訴えた本。のちの国連人間環境会議のきっかけとして、また多くの環境活動の先駆けとしても知られる。日本では1964年に「生と死の妙薬-自然均衡の破壊者〈科学薬品〉」というタイトルで講談社より邦訳出版され、現在も「沈黙の春」というタイトルで版を重ねている。

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