落語と照明の関係

あるきっかけで、数年前より日本の伝統芸能である落語を聴きに行くことが趣味になりました。普段、舞台や演劇にはほとんど興味のなかった自分が究極の一人芝居スタイルの落語という生の舞台にこんなに惹きつけられたのはなぜだろう? と思ってもよくわからないのですが、大変はまっています。

レストランや公共施設のような環境の照明と、音楽や演劇といったパフォーマンスなどの舞台照明は違います。そして落語となると、さらに一般の舞台照明とも少し違う考え方なのです。これがよく観察していくと興味深い点がありました。

落語は基本的に、落語を演じる高座といわれる場所と客席のどちらにも照明を点灯します。開演中、客席を暗くしません。高座の照明は陰影をつくらず、均一の明るさで調整されています。客席と高座で多少の明るさの強弱はあるものの、この形式が標準なのです。そこにはちゃんと腑に落ちる理由があるのですが、それは後ほどお話するとして。

この私の落語好きという趣味が、仕事で関わるデザイン関係の方々に知られるようになり、どうもデザイン関係にも落語が好きな人たちがいるらしい、聴いたことはないけれど興味ある人たちがいるようだということを耳にするようになりました。これも不思議な関係です。落語とデザイン。そして、AXIS編集部が落語会を開催したいということで照明のお手伝いをさせていただく機会がめぐってきました。好きなものを引き寄せてしまったような感じです。

2カ月前の10月13日に第1回が開催され、このjikuでも情報が何度かアップされていました。AXIS落語会——落語はデザインに通ず 「花緑 seasoning 『心』『音』『花』『水』 」

柳家花緑さんは戦後最年少で真打に昇進した、実力とともに実績の多々ある噺家さん。テレビやCMでも活躍し、広くさまざまな分野にもチャレンジしています。

落語会当日、緊張の下、細心の注意をはらい、花緑さんが会場に入る前にAXISの方と一緒に照明の調整と準備をしていました。もちろん自分のこれまで見て聴いてきた落語会の経験値で、高座と客席の照明をキツすぎない程度の明るさに保ち、花緑さんが会場に入るのを待っていました。

花緑さんがいらして、会場をご覧になってリクエストされたのは、「高座には影をなるべくつくらないでください」「客席もあまり暗くしないでください」。

やはり基本でした。しかし、準備していた高座の照明は若干、影ができやすいバランスになっていたので、照明の灯数を足したり向きを調整したりで対応しました。ふだん陰影を強調し空間に立体感を与える照明演出をすることがあるので、影をつくらないようにして空間を平面的にしてよいのか?と思ったものの、意味があることなのです。 そして、なんとか本番を迎えることができました。

一席めが「目黒のさんま」。よく題名は知られているとても馴染みやすいお話。二席めが、「紺屋高尾」という感動の人情話。男性のお客さまで二席めをすすり泣きながら聴かれている方もいたようです。ここで私が思ったのは、もしかしたら照明の重要な役割がココにあるのではということです。どうして落語は客席を暗くしないのか。影をつくらないようにするのか。演者である噺家さんは高座に上がり、まず最初に客席の様子をうかがいます。マクラといわれる本題のネタに入る前の短いお話をすることがあります。お客様の様子、表情を見て時候の話題や本題のネタにちなんだ話をし、客席の雰囲気を掴み、と同時に客席を和ませていったりします。そのためには、ほどよい明るさがないと噺家さんはお客さんの表情や会場全体の雰囲気がつかめません。明るすぎても暗すぎてもいけないのです。そして、いざネタに入ると、噺家さん自身がその登場人物になりきるので、噺家さん自身の輪郭を消すほうがよい。だから陰影は出ないほうがよいのではないでしょうか。余計な演出が邪魔になることもあるのです。

この日は、その雰囲気を花緑さんは高座に上ってすぐに掴んだのでしょう。初めての人にも馴染みやすい「目黒のさんま」の中のお殿様をオモシロ可笑しく演じ、みんながだんだん花緑さん落語の世界に引き込まれていく様子が伝わってきました。そしてゲストとのトークをはさみ、客席がだいぶ落語の空気に馴染んで、和んできた様子を感じて最後に人情噺である「紺屋高尾」というグッと聴かせて泣かせるお話をされたのではと思いました。

落語というのは噺家さんと客席とで一緒につくっていくものかもしれません。客席にも照明があたっているということは、そこも高座の世界の中の1つなのでしょう。そんな気がしました。このときの客層は、半分以上が落語が初めての方で、デザイン関係の方が多かったようですが、みなさん感動され、大きな大きな拍手で大成功となりました。

江戸時代に発祥したといわれる落語。階級の名称である「真打」という言葉ですが、その昔、電気のない当時、照明の替わりに高座の脇には燭台に蝋燭が灯されていました。
最後にトリをとるのが真打の噺家さん。終わると蝋燭の炎を消す役割だったそうです。最後の蝋燭の「真」を「打つ」という意味で「真打」のいう所以。

落語においても照明は大きな役割を担っています。今回はとても貴重な経験となりました。客席と高座、この2つを離れないようにくっ付けておかなければいけません 。

「点(つ)けないと噺(はなし)になりません」
あれっ(笑) 失礼しました。。

次回のAXIS落語会「柳家花緑独演会」は2011年2月10日の木曜日です。詳細はこちら。(文/マックスレイ 谷田宏江)

この連載コラム「tomosu」では、照明メーカー、マックスレイのデザイン・企画部門の皆さんに、光や灯りを通して、さまざまな話題を提供いただきます。