vol. 49 見えない虫除けのデザイン

この原稿を書いているのは、大阪城天守閣近くのベンチである。

夏の夕方になるとこの辺りには蚊柱が立ち、移動手段として使っている自転車でうっかり突っ込んでしまうと、慌てることになる。日本であれば、蚊はその程度の不快さ、あるいは実際に刺されてしばらく痒みに悩まされるくらいで済む。

しかし、スリランカでは依然として蚊が媒介するデング熱に年間3万人が感染し、幼児を中心に命を落とす人も少なくない。ちなみに、デング熱は予防ワクチンのない感染症である。

化学物質を多量に含む殺虫剤や、蚊取線香、あるいは電気蚊取りなどを使って蚊を駆除する方法もあるが、どれも余計な出費がかかるうえ、意識的に取り組まなくては普及しない対処方法と言える。特に殺虫剤は環境汚染の原因ともなり、使用には細心の注意が必要だ。

そこで、現地の新聞マウビマ紙は、世界有数の広告代理店であるレオ・バーネットと組み、世界で初めてシトロネラの成分を含むインクで紙面を刷るというユニークなアイデアを実行に移した。シトロネラは、蚊の忌避成分を含む植物で、その精油はアウトドア用のキャンドルなどにも用いられている。しかも、スリランカが、その主たる原産国なのだ。

人々が新聞を広げて読むだけでその成分が周囲に拡散し、蚊が寄りつかなくなるため、意識せずに感染症の予防となる。この取り組みに関する告知には、タイポグラフィを利用して、蚊が文字によって身動きが取れなくなった様子を描いた、象徴的なイラストが用いられた。

また、マウビマ紙には無料の電子版も公開されているが、この虫除け効果は、もちろん実物の新聞でのみ有効なので、ペーパーメディアの販売を促進する効果もある。

地元の文化的背景や独自の環境に根ざして、自然に普及させることができ、しかも重大な感染症の予防にもつながる。このようにして見えない虫除けをつくり上げることも、無形のデザイン作業と考えて良いだろう。

ところで、マウビマ紙ではホロスコープが人気コンテンツのようで、インライン版でも結構目立つ位置を占めている。残念ながら筆者には現地語を読む知識がないのだが、その文様のようなフォントと併せて、文化の違いを興味深く感じるのである。




大谷和利/テクノロジーライター、東京・原宿にあるセレクトショップ「AssistOn」のアドバイザーであり、自称路上写真家。デザイン、電子機器、自転車、写真に関する執筆のほか、商品企画のコンサルティングも行う。著書は『iPodをつくった男 スティーブ・ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』『43のキーワードで読み解く ジョブズ流仕事術:意外とマネできる!ビジネス極意』(以上、アスキー新書)、『Macintosh名機図鑑』『iPhoneカメラ200%活用術』(以上、エイ出版社)、『iPhoneカメラライフ』(BNN新社)、『iBooks Author 制作ハンドブック』(共著、インプレスジャパン)など。最新刊に『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社)がある。