REPORT | 工芸
13時間前
前編では、新たに開館した鳥取県立美術館の建築を中心に紹介したが、同館には江戸時代から現代に至るまでの倉吉や県内のさまざまな工芸品も収蔵されている。また、ミュージアムショップでは鳥取の民工芸品も購入することができる。
後編では、美術館を中心とした、倉吉のものづくりに注目する。ミュージアムショップで鳥取のセレクションを担当し、オリジナルグッズも監修するのは市内で「COCOROSTORE(ココロストア)」を運営する田中信宏。彼の案内のもと、倉吉で活動する3名の木工職人のもとを訪ねた。
鳥取は昭和初期に吉田璋也(よしだ・しょうや)が民藝運動を率いていたことで知られるが、豊かな森林の樹種を生かした木工や鍛造の鍛冶をはじめ、陶磁器や和紙、染織品など、さまざまな工芸文化が育まれてきた。今回は特に木工に焦点当てて紹介する。
「COCOROSTORE」は、国の重要伝統的建造物群保存地区である白壁土蔵群の赤瓦という江戸・明治期の建物が数多く残る地域に13年にわたって店を構えている。職人から直接仕入れた陶器や木工、テキスタイル製品など、生活に関するさまざまな道具を扱い、つくり手と使い手のハブとしての役割を果たす。
スギやヒノキの柔らかさを感じる、軽やかな椅子
ひとり目は「木の椅子JUN」という屋号で活動する、藤本順正だ。東京で椅子の試作会社に就職し、1998年から奈良で木工製作を始めた。2015年、出身地である鳥取県の三朝町に、工房を構えてから、本格的に木工家具を製作している。
藤本は「とにかく軽やかなものがつくりたい」と針葉樹をはじめとするあたりが柔らかい木材や広葉樹でも軽い材料を好んで用いている。針葉樹は手に入りやすく安価で、製品の価格を抑えられることから、最近ではスギや赤松を素材に考えはじめることが多いという。彼の椅子は実際に座ってみると、スギの柔らかさを感じ、木のぬくもりに包まれるような優しい座り心地だ。
椅子の背と座面が紐で結ばれており、背にもたれるとちょうどよいしなりを生み、それが座り心地のよさにつながっている。
工房は藤本自身が大工とともにつくり上げた。天窓から自然光が入る空間で、工房の裏手には、林が広がる自然豊かな場所だ。
使い手とともにつくる、伝統の技
ふたり目は、鳥取の民藝運動を先導し、河井寛次郎に「民藝の母」と呼ばれた吉田璋也や、河井が監修した木工品を、現在鳥取ではただひとり製作する木工職人の福田 豊。吉田璋也から直接指導を受けた、父である先代の福田 祥の技術を引き継いだ。
伝統を守るという意識ではなく、「今まで守られてきたものを淡々と、しかし非常に愛情を持って丁寧につくることが第一」と福田は語る。注文を受けると、依頼主と手紙や電話、対面で丁寧に対話を重ねる。使い手の背格好や住まいの状況など、座り心地や他の家具との調和を考えながら、受け継がれてきた造形に落とし込んでいく。すべてが手作業だからこそ、依頼主に合わせて柔軟につくり上げることができるのだ。高齢となり、大型家具などの大きなものを手がけることは難しくなってきたが、今でも吉田がデザインした電気スタンドの製作を続けている。
電気スタンドを製作する様子。工房は自宅横に設けられ、年季の入った、さまざまな道具に囲まれている。
仕上げに施される漆は、冬期には塗ることができず、作業できる期間が限られる。作業は常に自然の条件と隣り合わせだと福田はいう。
直感的で率直な態度が現れた道具たち
3人目はユニークな経歴を持つ朝倉康登。木製のスプーンづくりをきっかけに、木工の魅力にのめり込み、木工職人になった。東京から地元である鳥取県の湯梨浜町に戻ったあと、1年間家具の製作工場で働き、そこで道具や木工機械の使い方を学び、現在は家具やカトラリーを中心に製作している。
木材は鳥取産を使うことが多いという朝倉は、時折、林業従事者と共に山に入り、自ら材料となる木を調達する。材料として使えるまで、乾燥は最低4、5年ほどかかるが、朝倉はその材料・木目を見て、いつ切り出し・板に挽いたかわかるという。
COCOROSTOREの田中によれば、朝倉が手がけるものは使いやすさや温かみに定評があるという。朝倉はつくりたいものを思いついたときには、スケッチをするのではなく、まずは木に向かい形をつくり始める。そうした直感的な態度がプロダクトにも反映され、人間味のあるぬくもりにつながっている。
朝倉がつくる木ヘラは手に馴染むカーブで、使い勝手がいいと評判だ。
もともと音楽が好きだったという朝倉。アトリエには、ストリートカルチャーを感じさせる、さまざまなアート作品が飾られている。
紹介した3人は、鳥取県中部で生まれ育ち、倉吉に工房を構える木工職人という共通点を持ちながらも、そのバックグラウンドも製作するものも、異なる個性を持つ。日常生活に根ざした工芸文化に下支えされた街だからこそ、こうした自由で懐の深いものづくりが受け入れられてきたのかもしれない。(文/AXIS 荒木瑠里香)