使うごと味わい深く——11回目を迎えた「日本の道具」展

LIVING MOTIF1階で開催される「日本の道具」展。今年は11回目の開催。テーマは「使うごとに味わい深く」。筆者は今年の3月に「台所道具の選び方、使い方、繕い方」(グラフィック社)を上梓した。本の出版を後押ししてくれてたのは「モノ・モノ」の菅村大全代表。モノ・モノの創立者である秋岡芳夫氏の名著「食器の買い方、選び方」へのオマージュなのか、引っ掛けてなのか、このタイトルを提案してくださった。筆者がもっとも影響を受けた方の著書だが、氏の本は15刷以上。この刷数、あやかりたいものだ。

冗談はさておき、今年も「日本の道具」が開かれている。30名のつくり手に参加していただいたこの展示会のなかから12名を紹介しようと思う。

*添付写真の中にはすでに完売しているものもございます。ご了承ください。
*会期中、オンラインショップでの販売もございます。

荒賀文成(京都府)

20年ぐらい前に知り合った荒賀さん。器を見るだけで美味しい料理が盛られた景色が思い浮かぶ。上手なろくろは相変わらず。粉引がトレードマークだったが、加えてオリジナルの「ヒビ粉引」と「焼き締め」を出展いただいている。あらためてキャリアを伺ったところ、歴史ある京都の窯業訓練校で、優秀な成績を収めていた学生時代に夢中になったのがビリヤード。コロナで通っていたビリヤード場が閉店してしまったことをきっかけに、今は、自分と仲間が楽しめるプールバーのオーナーもしているとか。惚れ惚れとする気負いないろくろの腕は天性のもののよう。料理をする人が「盛りたい」と思える作品群。

池本惣一(愛媛県砥部)

染め付けのファンも多い池本さんだが、今回は白磁でお願いした。池本さんが父親の忠義さんと仕事した時期はごく僅かで、ほぼ独学。引き継いだ工房と残された作品に囲まれて、制作に没頭する毎日。今は亡き父への尊敬を照れもせずに口にし、父を追う姿勢は、反発する親子が多いなか、羨ましい関係だ。根っからのものづくりの人で、工房にお邪魔すれば、自家焙煎の珈琲に手づくりケーキ、渡された土産は自ら染めた手拭い、駐車場にはメンテナンス中のヴィンテージの中古車……と、1日24時間では絶対に時間が足りないのではと思える日々。そんな池本さんのつくる器は、多彩かつ使いやすい。今回はたくさんのヴァリエーションを送っていただいたので、選び甲斐がある。

OIGEN(岩手県水沢)

水分や塩分と反応する鉄は“錆”との戦い。一般的な南部鉄器の調理器具は、錆止めのために南部鉄器用カシュー塗料でコーティングする。が、会場に置かれた鉄のフライパンは、鋳込んでそれをさらに炉に入れ焼くことで、“酸化皮膜”が鉄表面に施され、錆止めとなっている。“酸化皮膜”はいってみれば鉄そのもの。この皮膜は実によく油が馴染む。最初に使うときは、一般の南部鉄器のフライパンと同じく油を敷いて葉野菜を炒めて、“油慣らし”をするが、その油の吸い込みが半端なくおもしろい。そして焼き具合もまた独特。肉や卵の料理、炒め物などをする際、鉄の蓄熱が伝わり「フライパンでこんなに味が変わる?」と、試し使いしたスタッフも大興奮のフライパン。そのほか、山田耕民デザインの鉄鍋「SHA RA KU MONO」。餃子もつくれるすき焼き鍋などもある。

大谷桃子(滋賀県信楽)

桃子さんとの出会いは1999年。現在は人気陶芸家の大谷哲也さんがまだ公務員だった頃、フィアンセの桃子さんを紹介してくれた。素敵な作品に感激し、その場で筆者にとって初の大仕事、新宿のリビング・デザインセンターOZONEで開催された “おいしいごはんとおわん展”(ご飯茶碗を50人のつくり手に依頼した企画)に出展を頼んだ。学生時代にバリにいたという桃子さんはコロンとした蓋付き碗に大胆な芭蕉の葉を描いた作品を出品してくれた。それから四半世紀。気づけば手に届かないほどの人気者になっていた桃子さんに参加していただけ感無量。大谷家が引っ越すたびに信楽に遊びに行き、その度においしい手料理をご馳走になり、実際の料理映えの素晴らしさを実感している。無地ばかり使っている方もぜひ、桃子さんの絵付けと料理とのマリアージュの楽しさを知っていただきたい。

kaico(東京)

琺瑯は、鉄板などの金属板にガラス質の釉薬をかけて焼き付けたもの。その独特の質感は、他の素材とは一線を画してるが、素材としての性質も独特。鉄鍋や銅鍋と違い、表面はガラス質なので素材の変化が少なく、汚れが落としやすく、酸にも強い。かかったガラス質のふっくらとした表情は愛らしい。この琺瑯という素材を好む人が多いにも関わらず、今、日本の琺瑯工場は風前の灯。ごく数社しか残っていない。その火を消してはいけないと立ち上がった、デザイナーの小泉 誠さん、鉄板プレスの東京・下町の昌栄工業、そして販売の大阪・フォームレディ。三者の連携でkaicoというシリーズは成り立っている。今回は、究極のドリップができる自慢のドリップケトル。軽さと衛生面、素材を選ばぬ気楽さで群をぬく鍋類。そして見た目よりもたくさん入り、お行儀良くスタッキングができるキャニスターを展開。

鈴木 稔(栃木県益子)

マグや丼、ピッチャーに縦に入る線。これは何かというと、型の跡。「型打ち」という、不定形の石膏型ろくろでひいた土を被せて型に押し付ける技法がある。ろくろのスピード感を必要とする量産の技法だが、稔さんの方法は、型の内側に土を貼り付け、かたちが出来たら、型を取り除くというもの。型がいくつに分解されるかは、外側に見えるバリの数で分かる。型を使うというと、数がこなせるイメージがあるが、稔さんの場合は、逆に手間がかかる。皿の幾何学模様の色分けも、マスキングテープを使って細かく作業をし、これまたとてつもない手間がかかっている。デザインが好きな稔さんは、ろくろのスピード感と手づくり感を捨て、型によるプロダクト感を出すために、敢えてこの手間のかかる独自の技法をとる。使うのは地元、益子の土と伝統的な釉薬。制約のある型と、表情のある素材との組み合わせで、唯一無二の作品となってる。定番のマグやカフェ・オ・レ・ボウルに加え、今回、丼を出展。作家ものでいい丼を探されている方にぜひお勧めしたい、おおらかなサイズ。

takara glass atelier(富山)

ガラスの制作は、溶解のためのガラス炉を24時間炊き続なければならない。自分が使わないときも燃料が燃え続けるので、地球に負荷を与えていることに憂慮するガラス作家は少なくない。ガラスは再生可能な素材だが、製造メーカーが異なるガラスは組成が異なり、一緒に溶かして再溶解した場合、成形後に素材の膨張率の不具合で割れる危険性がある。砕いたガラスを再溶解する際もカロリーを使い、地球に負荷をかけている。その点、ガラス瓶をそのまま熱して溶かし再加工すれば、使用カロリーはグッと減る。始めた頃は、熱の加減がつかめず、割れとの戦いだったようだが、今ではガラス瓶を炉に入れれば、どのくらいが適温か加減が以前よりわかるようになってきた。takara glass atelierの木下宝さんは、ガラス瓶を熱で再加工し、グラス、ピッチャー、花瓶などに“bottle origin”と名付け、新しい命に生まれ変わらせた。

泥々(岐阜県美濃)

日本一の窯業の地・美濃。人々の努力により、日本一量産ができるが、その結果、価値を低く見る人も多い美濃焼。だが良質な土と、歴史に残る多くの陶芸家と名品を産んだ土地だ。「泥々」のブランドを立ち上げた堀 太一さんの父の堀 俊郎さんは、志野焼など、伝統的な美濃の土と技法で制作する茶道具の陶芸家。その父が、家族のためにつくった食器で育った太一さんは、この美濃の土で日々食すことが、いかに心豊かになるか身をもって感じていた。武蔵野美術大学では建築を学び、就職もしたが、美濃に戻り、多治見市陶磁器意匠研究所という歴史ある陶芸作家の養成校に通い技術を習得。途中、アーティストの集まる「丸沼美術の森」で創作活動をしたのち、満を辞して地元で「泥々」を立ち上げる。父・俊郎さんをアドバイザーに迎え、志野焼、織部釉、粉引、黄瀬戸そして焼き締めを。美濃の伝統のつくり方は今、かえって新しく感じる。これらは、使えば使うほど深みが出てくるのがおもしろい。会場には実家で使い続け、味の出た器も並んでいるので、ぜひご覧になっていただきたい。

さて、堀 太一さんと地元の料理屋さんで食事していた時のこと。ふっと太一さんが湯呑みを指差した。それは、美濃でつくられた印判染付という技法のもの。それも時代が入っている今ではつくることができない、ちょっと不器用な感じがなんとも心惹かれるものだった。他の食器に紛れて筆者は気づかなかったのだが、即座にその良品に気づいた太一さんの目が羨ましくなった。良き食器に囲まれたから育った、堀 太一さんの目だ。

野口悦士(鹿児島)

なんとも挑戦的に見える灰が被ったような器の数々。作者の野口さんがにこにこしながら「たわしで洗ってください」と勧める独特の表現は、修行先の種子島の薪窯の焼き物に端を発する。種子島に行ったきっかけは、種子島の焼き物を再興させる活動をされていた中里 隆さんの作品に心打たれたから。種子島では会えなかったが、のちに中里さんの海外の活動にお供することになり、その魅力を十分に吸収することとなる。海外でも料理の腕を振るわれる中里さんに触発され、野口さんも旅先で自身の器に料理を盛って振る舞うこともあるとか。野口さんの器のざらっとした質感に一瞬怯まれた方も、ぜひ、料理が盛られた情景を想像していただきたい。何度も焼いて初めて出る深い緑青や赤錆は、どんな器とも比較できない独特の料理映えがある。

最近、定期的にデンマークの陶芸窯に行かれている野口さんにそこでの話を聞いた。彼らが使う土は一種類で、釉薬も自分で調合せずに売っている状態そのまま。普通だったら面白みのないものが出来そうだが、釉薬のかけ方が独特でそのためにものすごく豊かな表現ができている、とか。野口さんはこうやって海を渡り、人と交流し、楽しみながら自身の焼き物を追求している。最初に書いたが、野口さんの器はぜひたわしで洗ってほしい。ジワリと表情が変化していくさまも、また一興だ。

ノモ陶器製作所(沖縄・読谷)

ヤチムンは焼き物、ワンブーは碗、マカイは飯碗。こんな言葉を知っていると沖縄の陶芸にちょっと詳しくなった気分になれる。そしてオーグスヤー。これは銅などを反応させた緑青色の釉薬のこと。沖縄の工芸を扱うお店「ゆいま〜る」さんの店で、ノモ陶器製作所のオーグスヤーを初めて見た時、独特な光り方と滲みにグッと惹かれた。ノモ陶器製作所の野本 周さんの出身は埼玉。縁あって沖縄で陶芸を始めることになる。入った工房は、人間国宝の金城次郎さんの親戚筋である「陶芸城」。共同窯での窯焚きや作業をしながら、古き良きやちむん文化や、土の扱い、釉薬のつくり方などを教わることができた工房だった。独立し、陶芸の里・読谷の住宅でコンパクトに作業をされる野本さん。「工房が狭いから、つくったら出荷し、つくったら出荷し。つくり溜めなんて出来ません」と苦笑い。制作に追われているようだが、つくりながらの研鑽も怠らない。オーグスヤーは、師匠から教えてもらったレシピを、さらに磨くべく、常に調整を加えている。SNSに見向きもせず、「何も知らないんですよ」と言うが、ふと、本土の陶芸家の話になり、益子の作家のマグを見せてくれた。自分のことはあまり話さないのに、いかにその作家が魅力的かとうとうと語ってくれる。陶芸が大好きな野本さんは、今日も焼き物のことだけを考え、淡々と作り続けている。

木漆工とけし(沖縄県名護)

この数年ずっと、「日本の道具」展に出品してくれている中山木工。実は、「木漆工とけし」の木工部門として始めた工房だ。沖縄の訓練校で修行後、二人で輪島に渡り、夫の渡慶次弘幸さんは輪島キリモトで木地の技術を、妻の愛さんは福田敏雄さんと赤木明登さんの元で漆を学び、2010年に沖縄に戻り木漆工とけしをスタートさせた。琉球漆器は宮廷への献上物などとしてつくられたことから、華美な装飾をイメージする方が多いだろうが、渡慶次夫妻は、「日々の器」をつくり続けている。使うのは沖縄の木。沖縄の木は風雨で曲がっていたり、性質として暴れやすかったり、一筋縄では行かないものが多いが、渡慶次さんは粘り強く、それらの木の性質を見極め、適材適所で木地に生かしている。今回はトレーをたくさんつくってくださった。琉球漆器の伝統技法の「箔」の技法で、銀を貼ったトレイは、燻し銀とはこのことか、という渋さ。「道具のお手入れ」コーナーには、渡慶次さんの沖縄での初個展の際に筆者が購入したお椀(平椀)が展示してあるが、この使い込みの艶は、渡慶次さんにも褒められるほど。ぜひ、ご覧いただきたい。

RITOGRASS(長野県松本)

2018年にご参加いただいた、永木卓さん。今回は屋号でご出展いただいた。前回から7年たち、その技術とセンスはさらにブラッシュアップされている。
制作風景に関しては、こちらを。

最後に。泥々と「柴田慶信商店」(こちらの欄では紹介していないが、展覧会にはご参加いただく)を、雑誌「民藝9月号 再興」で取り上げているので、お時間がある方は、手に取ってください。

「日本の道具 使うほど味わい深く」展

会期
2025年9月19日(金)〜10月21日(火)
会場
東京都港区六本木5-17-1 AXISビル1F リビング・モティーフ