“音楽×映像”の共感覚な鑑賞体験:東京文化会館
「Visual Harmony for All 〜クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、
新たな芸術体験〜」レポート

「Visual Harmony for All 〜クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、新たな芸術体験〜」

「Visual Harmony for All 〜クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、新たな芸術体験〜」公演風景より。All photos by Tadayuki Uemura

開かれた鑑賞体験の可能性を広げてきた東京文化会館。さる2025年11月8日(土)、東京都と東京文化会館の主催により、同館の小ホールにて開催されたのが、デジタルテクノロジーを駆使したコンサート「Visual Harmony for All 〜クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、新たな芸術体験〜」だ。データ解析を駆使し“音楽の可視化”に挑んだ映像演出、だれもが楽しむための鑑賞サポートの取り組みなど、新たな音楽コンサートのあり方を提示した公演の模様をレポートする。
(なお、本コンサートは12月11日(木)より、当日のコンサートの様子をアーカイブ配信中。記事と合わせてお楽しみください)

“クラシック音楽 × デジタルアート”による、拡張型の公演企画

東京都が誇る芸術文化の発信拠点の一つ、東京文化会館。数多くの文化施設を擁する上野恩賜公園の玄関口に位置し、前川國男の設計によるモダニズム建築の威容とともに、音楽やダンスをはじめ、より開かれた鑑賞体験のあり方を探求してきた。「Visual Harmony for All 〜クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、新たな芸術体験〜」は、東京都および公益財団法人東京都歴史文化財団 東京文化会館が、都の文化施設の活動や収蔵品などの文化資源をデジタル化し、多様な鑑賞体験を提供する「TOKYOスマート・カルチャー・プロジェクト」(※1)の一環として企画したコンサート企画だ。

今回のコンサートに先立ち3月には、自宅にいながら音楽を視覚的にも楽しめるライブ配信公演「音楽をみる、映像をきく、オンラインコンサート」を実施(※2)。配信限定で行われたこの企画に続き、今回はオンラインに加えて客席にも観客を入れ、さらにさまざまな鑑賞サポートを導入するなど、多様なアプローチを駆使したプロジェクトとなった。

(※1)「TOKYOスマート・カルチャー・プロジェクト」
都立文化施設における情報通信基盤整備や、データベース拡充等による収蔵品の利活用、デジタルを活用したプログラムの企画開発、最先端技術を活用した新しい鑑賞体験の創出などを一体的に推進し、「誰もが、いつでも、どこでも、芸術文化を楽しめる環境」の創出を目指す。

(※2)AXIS Web「音楽をみる、映像をきく、オンラインコンサート」レポート記事(前編後編

コンサート開演前の様子。

コンサート開演前の様子。

東京文化会館からの依頼を受け、コンサートの演出を担ったのはクリエイティブチームの「アブストラクトエンジン」。タイトルに掲げられた「クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、新たな芸術体験」を、いかに実現するか。アブストラクトエンジンは、「音楽を耳でも目でも楽しめる」コンサートをつくるというテーマに対し、公演全体の体験設計の段階から構想に取り組んできたという。「触覚デバイスやロボティクスを活用するなど、数多くのアイデアが浮かびましたが、単純な音の可視化は数多く試されているため、説明的ではない方法を模索したうえで、結果的に演奏の音を解析したデータを利用して可視化するプランが最適だと判断しました」(アブストラクトエンジン)。

“音の可視化”がもたらす、共感覚的な鑑賞体験

ここからは、“映像による音の可視化”の試みがどのような形で結実したか、公演の模様をたどりながら見ていこう。東京文化会館の小ホールは全649席、ほぼ正方形の会場の一角をステージが占める構造だ。彫刻家の流 政之が手がけた、舞台正面の反射板と打放しコンクリートの内壁の造形が特徴を放つ。今回はステージ後方のスクリーンに加え、ステージの左右、客席側に斜めに張り出した壁面にも映像が投影され、ビジュアル表現による臨場感を高める仕様となっていた。

公演の冒頭シーン。左より、東京文化会館ワークショップ・リーダー2名と、ろうナビゲーターの奈苗(日本手話)およびSasa-Marie(国際手話)。

最初に登場したのは、公演のナビゲーターを務める東京文化会館ワークショップ・リーダーと、ろうナビゲーターたち。同館のワークショップ・リーダーは演奏する人と聴く人の垣根をなくし、だれもが音楽を楽しめる場をつくり出すためのコミュニケーション技術を身に付けたスペシャリストだ。ろうナビゲーターは、日本手話を担当する奈苗と、国際手話のSasa-Marie。ともに当事者として、手話による音楽表現を探求しているアーティストでもある。「今日のVisual Harmony for Allは、クラシック音楽と映像を融合したコンサートです」。音声と手話による案内とともに、演奏がスタートした。

J.S.バッハ『イタリア協奏曲 へ長調 BWV971』より第1楽章の演奏風景。

J.S.バッハ『イタリア協奏曲 へ長調 BWV971』より第1楽章の演奏風景。

1曲目は、J.S.バッハ『イタリア協奏曲 へ長調 BWV971』より第1楽章。ピアニストの角野未来による軽快で華やかな独奏に合わせ、映像では柱状のオブジェクトがシンメトリーな幾何学パターンを織りなしていく。続いては、ピアニストの黒沼香恋を加えた連弾で、ドヴォルザーク『スラヴ舞曲第1番 ハ長調 Op.46-1』。チェコのボヘミア地方の変則的な反復リズム「フリアント」に合わせ、スクリーン上に布がはためき、音や空気の流れを感じさせる。音楽と映像の見事なシンクロに目を奪われるが、楽器の音をセンサーで感知し、正確な同期を実現している。映像についても、演奏の解析データを元にビジュアルを構成することで、より本質的な“音楽の可視化”を企図したという。

ファリャ バレエ音楽『恋は魔術師』より「火祭りの踊り」の演奏風景。

ファリャ バレエ音楽『恋は魔術師』より「火祭りの踊り」の演奏風景。

その象徴ともいえるのが、公演中盤に現れた火と水の映像。3曲目、ファリャによるバレエ音楽『恋は魔術師』より「火祭りの踊り」では、ダイナミックなリズムを刻むピアノ2台のメロディに対し、渦を巻く炎の粒子が人の姿を垣間見せ、呪術的な感覚へと誘う。黒沼香恋によるピアノ独奏曲、ラヴェル『水の戯れ』では、水の波紋や光の反射を思わせる演奏の緩急につれて、映像の動きがぴたりと呼応する。

これら楽曲による公演の構成もまた、東京文化会館をはじめとする制作スタッフとアブストラクトエンジンによる綿密な協議の賜物だ。
「打ち合わせをしていく中で、リズムのある曲や、もともと音と映像の共感覚を題材とした楽曲は映像化しやすいというお話を伺い、それを踏まえて、親しみやすく聴いていただけるクラシック作品を選び、構成しました」(東京文化会館)。

従来のクラシック公演における表現性と、新たな技術の組み合わせをいかにして最大化するか。技術的な検証とともにテストやリハーサルを重ねてきた成果が、両者の相乗効果に結び付いたといえる。

サン=サーンス『動物の謝肉祭』より第7曲「水族館」の演奏風景。

サン=サーンス『動物の謝肉祭』より第7曲「水族館」の演奏風景。

5曲目、ピアノ連弾に打楽器を加えたサン=サーンス『動物の謝肉祭』より第7曲「水族館」では、浮遊する生き物の群れが揺らぎながら変化する水中世界が出現。続く6曲目は、打って変わって静謐な演出となった。ドビュッシー『ベルガマスク組曲』より「月の光」。ピアノ独奏の柔らかな旋律に合わせて光の粒子が立ち昇り、幻想的な雰囲気を醸し出す。

東京文化会館ワークショップ・リーダーのかけ声による、ラヴェル『ボレロ』のリズム体感の一コマ。

東京文化会館ワークショップ・リーダーのかけ声による、ラヴェル『ボレロ』のリズム体感の一コマ。

そしてフィナーレは、ピアノ連弾と打楽器によるラヴェルの『ボレロ』。演奏に先立ち、東京文化会館ワークショップ・リーダーとろうナビゲーターがステージ上に現れ、楽曲の最大の特徴であるリズム表現について解説し、手を叩いてみるように呼びかける。「この曲は、小太鼓の一定のリズムが最初から最後まで刻まれていき、メロディが次第に華やかになっていきます。ボレロのリズムをみなさんでやってみましょう」
音楽のリズムを観客と体を使って共有することで、クラシックの知識や鑑賞経験、知覚の特性などを問わず演奏に対する理解を深め、より体感的な鑑賞体験につなげる試みといえる。その後の演奏では、建築物や都市を思わせるブロック状の構造体が伸び縮みしながら、リズムを繰り返すうちに高揚していく楽曲の流れに合わせて成長していき、最終盤の打楽器と相まって、見事なフィナーレを迎えた。

ラヴェル『ボレロ』の演奏風景。

ラヴェル『ボレロ』の演奏風景。

多様な鑑賞サポートを実施

そしてもう一つ、先端技術による演出に加えて本公演の大きな柱となったのが、鑑賞サポートによるアクセシビリティ向上の取り組みだ。東京文化会館では以前より、だれにでも快適な鑑賞体験を提供するべく、さまざまな鑑賞サポートを実施してきた。特に今回の公演では、聞こえない・聞こえにくい人、見えない・見えにくい人に向けて、より一層の充実が図られている。

会場の受付にて、鑑賞サポートのツール例。

会場の受付にて、鑑賞サポートのツール例。左より時計回りで、網膜投影視覚支援機器「RETISSA ON HAND」、イヤーマフ、点字および白黒反転の曲目リスト、ヒアリングループ用の受信機。

例えば視覚面のサポートについては、点字、拡大文字、白黒反転といった数種類の曲目リスト、内蔵カメラで捉えた映像を網膜に直接投影する手持ち型の網膜投影視覚支援機器「RETISSA ON HAND」などのツールを用意。また聴覚面においては、会場受付に手話通訳者を配置し、舞台上ではろうナビゲーターが楽曲の内容を説明。客席前方に補聴器や人工内耳の使用者に向けて音声をクリアに伝達する「ヒアリングループ」の対象ゾーンを設置したほか、音声情報を文字で表示する字幕タブレット、音の大きさを減衰するイヤーマフの貸し出しを行った。

「Touch the sound picnic」および字幕タブレットの使用例。

「Touch the sound picnic」および字幕タブレットの使用例。

これらに加えて本公演では、楽器インターフェイス研究者の金箱淳一が開発した「Touch the sound picnic」を用意。マイクが捉えた音の抑揚を振動に変換することで、新しい音の鑑賞方法を提供する手持ち型デバイスだ。

こうした鑑賞サポートと、“音の可視化”のアプローチの掛け合わせによる体験を、来場者はどのように楽しんだのだろうか。「Touch the sound picnic」については、ろう者・難聴者を中心とする使用者へのアンケートで「音を感じることができた」「面白い経験でした」といった回答が寄せられた。また公演には、ろう者・難聴者の学生たちが数多く参加。彼らの言葉のなかから、いくつかを抜粋して紹介したい。

「音だけでなく目で楽しむような内容で非常に楽しめた。小太鼓のリズムで手を一緒に叩いたりするなど、ろう者でも健常者でも気軽に参加できる形で良かった」
「聞こえない部分を映像で表現することで、どんなテンポなのか、どんなリズムなのかを映像で把握できた。とてもいい演出だった」
「こんなに楽しい音楽発表会は初めてで感動しました。ろう者でも楽しめるような映像やライト照明など、視覚的にわかりやすかったです!」

東京文化会館ワークショップ・リーダー、ピアニスト、ろうナビゲーターによるクロージング風景。

東京文化会館ワークショップ・リーダー、ピアニスト、ろうナビゲーターによるクロージング風景。

「Visual Harmony for All」のタイトルを掲げ、約半年の準備期間を経て実現した先進的な本公演。音楽の楽しみの可能性をより積極的に探求する気運がそこにはあった。同じ空間を分かち合う体験が感覚の共有につながり、より豊かな芸術表現の土壌を育んでいく。視覚、聴覚、触覚……それぞれの体感から始まる、新しい鑑賞体験の展望に期待したい。

TOKYOスマート・カルチャー・プロジェクト
「Visual Harmony for All 〜クラシック音楽とデジタルアートが織りなす、新たな芸術体験〜」

アーカイブ
www.youtube.com/watch?v=3yMzCxLNMz4
ピアノ
角野未来(第21回東京音楽コンクールピアノ部門第3位)、黒沼香恋
打楽器
齋藤綾乃(東京文化会館ワークショップ・リーダー)
ナビゲーター
伊原小百合、坂本夏樹(東京文化会館ワークショップ・リーダー)
ろうナビゲーター(日本手話)
奈苗
ろうナビゲーター(国際手話)
Sasa-Marie
映像演出・照明
アブストラクトエンジン
映像配信
合同会社小声
主催
東京都/東京文化会館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
特別協力
株式会社レイ
企画制作
東京文化会館 事業係

オールウェルカム TOKYO は、芸術文化を中心に、アクセシビリティ向上に取り組むみなさまとともに、障害の有無や、言語・文化の違いを超えて、もっとだれもが楽しめる東京を目指すキャンペーンです。