深澤直人(デザイナー)書評:
ライアル・ワトソン 著『未知の贈りもの 』

『未知の贈りもの 』
ライアル・ワトソン 著/村田惠子 訳(ちくま文庫 660円)

評者 深澤直人(デザイナー)

「自己のうちにある地球感覚」

最近、一部の仲間の間でイカの話がよく出る。皆がこの本を読んでいるわけではないと思うが、不思議である。毎号この書評を書いていると「この本、面白いですよ」と、私が好きそうな本を推薦してくれる人たちが増えてきた。デザインも芸術も科学も医学も哲学も宗教も、思考のアプリケーションは違っても根っこでは繋がっている。だから、皆、その繋がりを確認するように、このコーナーを読んでいることがわかって面白い。

この本、『未知の贈りもの』は科学者ライアル・ワトソンの体験をもとに描かれた、地球を1つの生命体とし、そこに生まれた生物とが織りなす交流を描いたライフサイエンス書である。著者はインドネシアの孤島ヌス・タリアンの海で自分の船を取り囲む巨大な光の輪に遭遇する。それはブルーや白や緑色の光に変化するイカの群れなのだが、その動きは1つの生命体として感じざるを得ないような全体的な動きをなし、1つの思考を持っているかのごとく著者や船の動きに反応していたのだ。著者はイカが持つその単純で原始的な脳と、複雑で莫大な情報量を取得できる、高価な望遠レンズのような眼球とのバランスが取れていないことに、興味と疑問を持ち仮説を立てる。イカは海洋の目なのではないか、それは地球の感覚器官なのではないかと。

「昔からふたつの世界観が存在してきた。ひとつは、互いに因果関係をもち、互いに影響している事物や事件でも、実はまったく別個のものであるという日常的な現象である。もう一方は、すべてがより大きなパターンの一部であると考えるやや特殊な見方である。(中略)万物は全体の部分であり、全体はすべての部分に包含される、という考えは決して新しいものではない。新しいことといえば、物理科学がやっと追いついてきて、非常に古い、基礎的な生物学的観察を立証しはじめたということだろう」。

個という自覚と全体の一部をなすという自覚なき感覚の共存は、私のデザイン観で重要な部分である。全体の中の一部としての行為は自覚することによって崩れ去る。同じものをたくさんの人が使うという意味でのデザインは、すべてが大きなパターンであるという秩序への理解が必要になる。デザインがその全体をなす1つの細胞になるという概念と、別個の意思の表現であるという考えは、常に相対している。

著者はヌス・タリアンで11、12歳の超能力を持つ少女ティアに出会う。その少女がある男の統合失調症を、良性の熱病を通して治療するシーンがある。治療手段は現代医学が辿り着いた薬物の処方や処置の方法に似ている。それは紛れもなくエコロジーの本質に迫っている。その一体感、全体の中の一部としての動きに歪みが生じたものが病気であることが理解できてくる。

著者は言う。「地球意識をもつことによってはじめて高度の意識に到達できるのだと思う。自分の環境を十分に把握し、理解しないかぎり、そこを越えて意味のある、関連のある場にまで自分を高めようなんてことはありえない。脈を察知してそれとともに流れることだ。それができないものはバッド・トリップに出かけるはめになる。飛ぶ前に、まず足が地についていなければならない」。

意識と物質の関係や、光と物質の関係は、あるいはその相互作用の原理そのものがデザインであるような気がする。最近は光の力に興味がある。それがものの力をなしているからかもしれない。いつも夏から秋に変わるその瞬間がはっきりわかる。久しぶりに訪れる場所への郷愁が、その空気と光にあるのではなどと考える。自己の“地球感覚”を呼び戻すためにこの書は悪くない。(AXIS 106号 2003年9・10月より)

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