ドイツの隠れた名所「ヴァルトフリーデン」
アートに溢れた心安まる彫刻公園

ドイツ・ルール地方の都市、ヴッパータールに「ヴァルトフリーデン(Waldfrieden)」という、ドイツでも他に類を見ない、それは心安まる彫刻公園があります。ヴァルトフリーデンを漢字にすると「森和」あるいは「森平和」となるでしょうか。ヴッパータールを第2の故郷とする英国出身アーティスト、トニー・クラッグのビジョンが実現された、自然と建築、アート、音楽の総合芸術空間。ドイツの森の中の小さな芸術理想郷です。

彫刻公園が位置する広大な森林は、元は企業家クルト・ヘルベルツ博士(1901〜89)の私有地。ヘルベルツ社はイノベーティブなラッカー塗料メーカーで、特に車体用ラッカーの開発でドイツ産業に貢献しました。ヘルベルツ氏はルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィー(人智学)の支持者で、戦後1946年から3年がかりで、角のないオーガニックな空間構成の「ヴィラ・ヴァルトフリーデン」(設計:フランツ・クラウゼ)を建設。見た目はオーガニックでも、当時としてはハイテク満載で、エアコンもあれば、窓ガラスが地下に沈んだり、どこにいても連絡がとれるように、敷地内数十カ所で通話可能なシステムになっていたそうです。

氏の死後、遺族間で揉めた結果、長年放置され、朽ち果てた哀れな状態でどうしようもないため、近くの火葬場に属する追悼場として再利用するという案まで出ていました。そこに救世主としてトニー・クラッグが現れます。2006年のある冬の日のこと、芸術家はこの地を初めて訪れ、一目惚れしてしまうのです。実はクラッグは1977年からヴッパータールに住み、かつて戦車倉庫だった彼のスタジオもほんの数キロしか離れていないのに、それまで全くヴィラ・ヴァルトフリーデンの存在を知りませんでした。以後、彼はヴィラを修復し、彫刻公園を建設するという大プロジェクトに驚くべきエネルギーで尽力します。

ヘルベルツ氏はナチス・ドイツ時代には退廃芸術の刻印を押され絶望のどん底にあったクリエイターを庇護しました。バウハウスのオスカー・シュレンマーやヴィリ・バウマイスターも芸術的創作における塗料の応用可能性実験研究や印刷物のデザインなどの仕事をもらうことで、サバイバルできたのです。

彫刻公園は街より200mほど高い丘陵状の森林の中にあります。ヒルシュ通りを上って行きますが、「ヒルシュ(鹿)」の名のとおり、鹿が顔をのぞかせても不思議ではない自然環境。3年前の2008年9月にオープンして年間約3万人の訪問者を数えます。ヴッパータール市民が主ですが、外国からのゲストも増加傾向。地形に寄り添うそうなエントランスビルを抜け、長いスロープを渡って入るので、なかなかドラマチックです。

5ヘクタールに広がる彫刻公園には、クラッグの彫刻をメインに約20作品が常設展示されています。宝探しでもするかのように子供でも未知の形態との遭遇を楽しめます。自身の作品が大半なのはアーティストのエゴイズムではありません。本当は他の作家の作品もあればよかったのですが、なにせプライベートなプロジェクトのため、膨大な工事コストで新しく作品を購入するお金がなかったのでした。

鋳造され積層されて何トンもの重量があるのでしょうが、ブロンズやスチールのマテリアルが森の木々同様に、何十年もの時間を経て森に根を張ったかのようです。ふと青空を見上げると天国からピナ・バウシュがふわっと下りてきて「私と踊って」と手を差し伸べてくれそうでした。

プールの跡地にガラスキューブの新しいエキシビションホールができました。設計はルドルフ・ホッペ/HRS建築事務所。こけら落としはマリオ・メルツ展で、今シーズンは9月までノルベルト・クリッケ(1922〜1984)展が開催されました。

メタルのマテリアルが3次元に描く繊細な線によって空間のエネルギーが表現されています。これからはアレクサンダー・カルダー&カール・アンドレ展が続き、来年の春にはナイジェリアからの彫刻展が予定されています。

見学の後は公園内の山荘風のカフェ「ポデスト」でちょっと一息。もとはヘルベルツ家お抱えの庭師の家だった建物です。当初は温室だったガラス張りの部分が、今はカフェのウィンターガーデンになっています。

彫刻公園ではアートだけでなく、春から夏にかけ独自企画のジャズ&ワールドミュージックの催し「クラングアート(サウンドアート)」も楽しめます。夏の夜には庭園の芝生の丘を会場にオープンエアのコンサートも。世界的なジャズピアニストのオマール・ソーサなど、いったいどうしてこんなすごいミュージシャンがここまで来てくれるのか不思議なくらいです。ヴッパータール初のジャズクラブを半世紀前に開設して以来、地域文化の発展に貢献してきたというエルンスト・ディーター・フレンツェル氏(なんと76歳!)がオーガナイズしているそうで、プログラムの内容の濃さにもなるほどと頷けました。(文・写真/小町英恵)

この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。今までの連載記事はこちら