市民が一致団結して増築 ハノーファー市民に愛されるモダンアートミュージアム
「シュプレンゲル美術館」

ハノーファーのモダンアートミュージアム「シュプレンゲル美術館」では、ロビーに陣取るカラフルなショベルカーが来館者を出迎えてくれます。この動くオブジェは美術館増築事業を推進する募金活動に一役買っているのです。ドイツでは、地方自治体の多くが慢性的な財政赤字に悩んでおり、公立ミュージアムの建設事業も民間からの援助なしには実現が難しい。企業や団体だけでなく、塵も積もればでどんなに少しずつでも、市民からの支援が欠かせません。

しかし現実は、電力会社が多額の寄付を公表した途端、市民から「モダンアートにお金を回す余裕があるなら電気代を下げろ」と抗議する声が上がったほどです。どうすれば市民の共感を得るようなかたちで、寄付を呼びかけるかことができるのか。コミュニケーションデザインにも斬新なアイデアが要求されたのです。

シュプレンゲル美術館の増築に必要な資金総額は2,850万ユーロ。ハノーファー市とニーダーザクセン州の負担額とEUからの奨励基金を合計しても、あと500万ユーロを民間から集めないといけません。そこで1年半前にまず美術館の友の会がゲーテの言葉「もっと光を」にかけて「もっとミュージアムを(Mehr Museum)」と市民に応援を呼びかけるイニシアチブを立ち上げました。ショベルカーは街中を移動して注目を浴びたのでした。

多くの応援メッセージも集まりました。世界的なピアニストのアルフレッド・ブレンデルは、ハノーファーで生まれ育った前衛芸術家クルト・シュヴィッタースの作品を愛し、シュプレンゲル美術館には何度も足を運んでいました。その彼が「芸術は目を開かせるから」と、またブンデスリーガのサッカーチーム、ハノーファー96のミルコ・スロムカ監督は「芸術もアリーナを獲得すべきだから」と応援しています。

さらに「建築材料取引」と銘打ち、10〜100ユーロで大工仕事用の鉛筆や、ジョウロ、折り尺、木鎚、シャベル、塗料などを、「もっとミュージアムを」というロゴ入りで販売。売り上げが増築資金になっています。協力してくれた市民が大工道具を持ってポーズをとる写真撮影イベントも開かれました。

シュレーダー元ドイツ首相もひょっこり立寄り、自宅の庭で使うためのジョウロを確保。

増築はスイスの建築事務所マルセル・マイリ&マルクス・ペーターの設計で今秋着工、2014年中に落成の運びとなる予定。建築家が「ダンシング・スペース」と呼ぶ、空間にイレギュラーに散らばった展示キューブが特徴です。

世界最大のシュヴィッタース・コレクションをはじめ、シュプレンゲル美術館の所蔵作品は5万点を越えます。フランスの芸術家ニキ・ド・サン・ファル本人のたっての願いで生前に400点の作品群が寄贈されていたり、エル・リシツキーの「抽象キャビネット」やシュヴィッタースの廃物などをコラージュした作品「メルツバウ」の復元は世界中でここでしか体験できない建築的総合芸術です。

先日、オープンスペースで2011年度クルト・シュヴィッタース賞の受賞記念展として、スイス出身のトーマス・ヒルシュホルンのアナーキーなインスタレーション「低位置の制御」が行われました。展示ホールへの扉を閉め忘れたら、夜中に誰かが侵入して住み着いてしまった、という想定です。

大空間を占領するプロダクトとマテリアルの複雑なコラージュは、1つの決まった位置から全貌をつかむことは不可能。文字は逆さになっていて、時には寝転がって下から見上げたり、あちこちくぐり抜けたりして視点を変えて新しいパースペクティブを探していかないと世界が見通せません。

さらにヒルシュホルンは美術館を出て、ヴァルトハウゼン通りの、かつてシュヴィッタースの「メルツバウ」が存在した地点に「クルト・シュヴィッタース・プラットフォーム」をインスタレーション。期間限定の“巡礼地”にしました。。

Photos by Sprengel Museum, Mehr Museum, Hanae Komachi

アイレンリーデという街の中の森から小川に架けられた仮設の橋を渡ります。「クルト」と書かれた黒いソファに座って森を眺めていると、ナチスからの度重なる逃亡、亡命生活を余儀なくされ、どんな苦境下にあっても「メルツバウ」建設を諦めることはなかったシュヴィッタースの芸術家としての創造への限りないエネルギーに包まれるようでした。(文/小町英恵)

この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。今までの連載記事はこちら