英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの卒業制作展より、ペニントン教授のふたつの学科をピックアップ

ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)イノベーション・デザイン・エンジニアリング(IDE)学科を10年間牽引してきたマイルズ・ペニントン教授が、2017年9月1日に退任し、東京大学生産技術研究所の教授に着任した。

今年のRCA卒業制作展にはペニントン教授の指導を受けた最後の学生たちの作品が並んだというだけでなく、彼の10年間の集大成とも言えるようなレベルの高い作品が発表された。ペニントンは前任から引き継いだグローバルカリキュラムを拡大し、慶應義塾大学やニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインと提携したグローバル・イノベーション・デザイン(GID)学科の設立にも尽力した。ここではそれらふたつの学科の卒業制作展から、目を引いた作品をピックアップする。

ナット・マーティン/Nat Martin(IDE卒)「Scroll」

人々をスクリーンやキーボードから開放し、空間にデジタルエクスペリエンスを実現する「拡張現実」の新しい提案。拡張現実のプロダクトとしては「グーグル グラス」が記憶に新しいが、目の動きでの操作が難しいなど身体への負担が大きかった。ナット・マーティンは、ジャイロスコープを内蔵したリングを人差し指にはめ、スクロールを親指で行う仕組みを考案した。

「AXIS」2017年7月号で取り上げたグーグル・シドニーのクリエイティブディレクター、ティー・ウグローは「次世代のデジタル業界は、ハリー・ポッターの魔術に傾倒した人たちが中心となる。彼らはPCやVRといったスクリーンからデジタルを開放し、魔法の杖ならぬシンプルなデバイスを開発して、誰もが自然とデジタルを楽しめる世界をつくり出す」と語ったが、まさにウグローが予想したような作品と言える。

ジョナサン・ランキン/Jonathan Rankin(IDE卒)「MUR MUR」

SNSの流行は、自らのデータを他者とシェアすることに抵抗を感じない人を増やしている。人々と容易につながることは決して悪いことではないが、一方で自らの身を危険にさらす可能性も持っている。例えば、知らぬ間に自分のデータが他者に奪われている場合がある。また、冷蔵庫に仕掛けられたスマートデバイスが、個人情報を記録して、第三者に流している可能性など、家の中なら安全とも限らない。

それらの懸念から生まれた「MUR MUR」は、いつ、何が自分の情報をレコーディングして、結果、誰が情報をシェアしているかを知らせてくれるデバイス。ジョナサン・ランキンは、情報のシェアをやめたいわけではない。むしろ、人々がイニシアチブを持ち、誰と情報をシェアするかを決める姿勢を持つことが大切だと主張するのだ。



ショーン・ハメット/Sean Hammett(IDE卒)「Hey Hi」

日本ではAI(人工知能)と語られることが多いが、イギリスの科学関係者の多くは「マシン・ラーニング(機械学習)」という言葉を用いるのをご存知だろうか。

「AXIS」2015年3月号で10年後になくなってしまう職業を記した論文「未来の雇用」の著者であるオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授にインタビューしたが、彼もマシン・ラーニングの推奨者だった。オズボーン准教授は、AIという言葉をひじょうに危惧していた。多くの人が呼ぶAIとは、マシンがデータからパターンを学習することで、今まで人が行ってきた決断に代わるシステムでしかなく、その結果がまだ完璧とは言い難いからだ。

ショーン・ハメットの「Hey Hi」は、携帯電話を例にとり、マシン内部の動きをアナログで表現。人々にマシン・ラーニングの仕組みをわかりやすく説明するとともに、楽しく見ることのできるビデオ作品に仕上げた。

レスリー・ヌートブーム/Leslie Nooteboom(IDE卒)「komorebi」

今年のRCA卒業制作展を訪れた、各国のメーカー担当者がこぞって注目した照明作品。

タイトルが示すとおり、人々を穏やかな気持ちにさせる木漏れ日からヒントを得たと言う。都市で暮らす人々の多くは高層ビルに囲まれ、木漏れ日を楽しむ機会などほとんどない。部屋の中に差し込む陽の光も不足しがちだ。

レスリー・ヌートブームは、照明のような形のプロジェクターを用いて、室内に木立の間から漏れるような自然な光を投影。現在、製品化に向けて活動していると言う。

ジェイコブ・ボースト/Jacob Boast(IDE卒)「Wable」

ちょっとした手の動きや操作で、硬いワイヤーが簡単に曲がっていくツール。その様子は、まるでワイヤーが生きているかのように空中を踊っている。

ジェイコブ・ボーストは、「Wable」をつくり上げた当初、この得体の知れないツールの使い道を考えていなかったと言う。しかし、具体的な活用法を検討し、マニュアルなどを作成すれば、新しいクラフトのツールになり得る、大きな可能性を秘めている。

エレン・ラリーバ・アンダルズ/Elene Larriba Andaluz(IDE卒)「vycle」

日ごろ当たり前のように使っている階段や梯子を、省スペース性や安全性という視点から見直す例が、デザイン大学の卒業制作展ではたびたび登場する。

エレン・ラリーバ・アンダルズの「vycle」は本来、平行移動の自転車を垂直(vertical)移動に変えるシステム。エレベーターで移動するよりも健康的なだけでなく、工事現場などスペースが限られたり、仮設の場での使用も考えられる。

アーサー・カラボット/Arthur Carabott(GID卒)「How to change a number」

音楽情報科学を学んだ経歴を持ち、RCA入学以前からデジタルを用いた音の開発やインスタレーションに取り組んできたアーサー・カラボット。そんな彼の興味は、新しいインターフェースの開発にある。

その手段として、50通りの数字の変化の仕方に着目し、そのうちの16通りのプロトタイプを制作した。その過程ではマシン・ラーニングやパプティックによって拡張されたハードウェア、音声操作のインタラクション、拡張現実などを駆使。抽象的なテーマであるコンピュータサイエンスを、誰もが引き込まれるようなビデオ作品に仕上げた。




ラルフ・ジョセフ/Ralf Josef(GID卒)「The Value of a Vote/ Vox: your voice, your choice」

イギリスに比べて物価の安いドイツ出身のラルフ・ジョセフがRCAに留学したのは、自国に学びたい学科が存在しなかったからだと言う。そんな彼にとってブレグジッドは大きなショックだった。

「The Value of a Vote」では、アメリカのタレントショーから日本企業の稟議書までに至る、集団の中での意思決定を研究。「Vox: your voice, your choice」では、若者が政治に関心が持てるようなソーシャルメディアと連動するアプリを開発した。

これらの作品には、まだ改善や発展の余地が少なくないが、ジョセフが一刻でも早くデザイナーとして世の中に貢献したいと考えた点は評価に値する。彼が今後もこのテーマを研究し、発展させていくことを期待したい。End