構想10年、建設10年。
杉本博司の江之浦測候所はこんなところでした。

写真家で現代美術作家の杉本博司氏が、小田原付近に、なにやらものすごいものをつくっているらしい、という噂はかなり前からありましたが、それが何なのかは具体的にはわからず。ところがいよいよその全貌が見えるときがきました。

10月9日にオープンした小田原文化財団江之浦測候所(読み方は”えのうらそっこうじょ”)。その数日前のプレス内覧会に行ってきました。さて、江之浦測候所。測候所って何だろう、と思って英語表記を見たら、Observatory!(Odawara Art Foundation Enoura Observatory)ここはまさしく名前の通り、ギャラリーでも美術館でも公園でもない。海を、自然を、天空を展望するための特別な場所なのです。

杉本博司とは何者? と思う人は多いと思います。彼の撮った写真はよく知られていますが、それだけでなく古美術商としても有名です。江之浦測候所は、その杉本氏が若いころから集めていたコレクションを展示する場として、「構想10年、工事10年」の年月をかけてつくられました。神奈川県小田原市の東海道線根府川駅の山の上にあります。根府川はJR東海道線の中でもっとも乗降客数が少ないといわれる駅。東京駅から普通電車で1時間半。新幹線や快速アクティーに乗れば、もっと身近に行くことができる神奈川県の一番西の部分。しかしそこでの光と風、風景は都心と大きく違っています。

▲最寄駅である根府川は箱根外輪山の縁に当たる。神奈川県内の東海道線唯一の無人駅。

降り立った駅のホームからは大海原が見晴らせます。みかんの甘酸っぱい香りをほのかに含んだ秋の新鮮な空気の中、シャトルバスに乗り込みました。ミニバスは、測候所に向け急峻な斜面をつづら折りに登って行きます。坂を登って行くと、席の後ろから「うっわあー」とか「すっごーい」という複数の感嘆の声が。そう、バスに乗っている時間は10分足らずなのですが、その間に目の前の景色がダイナミックに変わり、目的地に着く前にすでにその風景に魅了されてしまいます。シャトルバスは1日2回から3回のみ運行。見学は2時間の完全予約制で日時指定されているため、これ以外の時間に行っても見ることができません。ちなみに駅から歩くと45分程かかるとか。

▲バスはここの向かい側の駐車場に着く。この門、見たことがある、と思う人も多いのでは? 根津美術館にあった明月門が移築されている。

▲明月門を抜けるとこんな風景が広がっている。

そんなふうにして着いた江之浦測候所ですが、施設パンフレットによると、「各施設は、ギャラリー棟、石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などから構成される。また財団の施設は、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する」という場所です。

それは具体的には何なのか? 実際に見てみると、東洋のリビエラと呼ばれる海岸を望む1万1500坪の斜面に、茶室、野外の舞台、ギャラリーなどのさまざまな時代の建築作品が取り込まれています。測候所と言われると混乱しますが、杉本氏が集めた宝物を、広大な風景の上に並べて展示しているといえばわかりやすいでしょうか?

ここでは、門や茶室、作庭など、ひとつひとつに物語があり、またそれぞれが時間をかけてじっくり鑑賞したい素晴らしいものであるのはもちろんですが、それ以上に大きな存在感を持つものがあります。

それは「石」です。

▲根府川石の浮橋。近くの根府川石丁場から採取された石。

▲隧道の入り口には、生命の樹のレリーフが扁額として埋め込まれている。ベネチア、グランドキャナルの商館のファサードにはめ込まれていたもの。

▲山形県小立部落にある石鳥居に準じて組み立てられた石造鳥居。この下をくぐり、茶室「雨聴天」に行く。

▲東京(北東)方向を向いて置かれた亀石。

景観の中に棲む石

石は日本の作庭ではもちろん重要なアイテムですが、普段街で忙しく働く私たちにとって、建築物や植物とは違い、石を愛でたり怖れを抱いたりすることはほとんどないのではないでしょうか? そもそも庭のない家に住む人間にとって、石を見ること自体あまりありません。ところがここ江之浦測候所では、古代人が尊び、神が宿るとも言われる「石」の存在を強く感じます。

もともと根府川から伊豆にかけては、古くからの石の名産地。江戸城の石垣もこのあたりの石を切り出して運んだと聞きます。火山の麓にある石の産地に置かれた石は、水を得た魚のよう。古墳石室に使われた石、フランス旧家の石の階段、近所の蜜柑栽培のための石垣、笹川良一邸にあった巨大な踏込石、京都市電の軌道敷石に至るまで。さまざまな石が自分の居場所を得たという趣で置かれています。

▲舞台の先は海。硝子、水の面、空、雲。すべてグレーだが、微妙な色合いの違いは見飽きることがない。

現代日本で失われた記憶の場所

内覧会で、杉本氏は檜の懸造りの上にガラスを敷いた舞台上で挨拶をしました。舞台の先はフェンスのない深い崖。雨の日に、滑らかなガラス面の舞台の上に立つのはかなりの勇気がいりそうです。

杉本氏は自分にとっての最初の記憶は、このあたりの海辺の風景だったと語っていました。幼少の頃、湘南電車と呼ばれた東海道線に乗って、真鶴駅と根府川駅の間にあった「めがねトンネル」を抜けるとき、トンネルに穿かれた連続した窓から見える風景が、まるでフィルムのコマ落としのようだったと言います。そしてトンネルを抜けるといきなり広がる大海原とその水平線。その風景に導かれるようにここに測候所を建てることになったということです。

▲光学硝子舞台の上で挨拶をする杉本博司氏。

▲杉本氏と実施設計を行った榊田倫之氏。

▲建設途中の場所も多い。広大な敷地はこれからも姿を変えていきそうだ。

ルネッサンス期のヴィッラ・アドリアーナのように、何百年も前のオーナーのセンスと趣味を今でも目の当たりに感じることのできる庭がありますが、これは、その現代日本版とも言えるでしょう。現代の日本では珍しく、大パノラマの中にひとりの目利きの目によってつくられた小宇宙であり、また、ある種のパトロネージュの完成した姿として見ることもできます。協議性ではなく、独断ができるからこそ、優れたものを次代に伝えることができるもの。建築、デザインや美術に関心のある人はもちろん、それほどでもないという人でも是非一度行くことをおすすめします。

ここは、「見る」という行為がスポーツのようにエネルギーを使うものだということを体験できる、稀有な場所です。(文/AXIS 辻村亮子)End

▲冬至の日の日の出はここに昇り、陽光が隧道を貫く。

▲「立ち入ると、命の保証はしません」と言われた隧道の上。しかし、一番先端まで足跡がついていた。

▲硝子舞台を取り囲む観客席。古代ローマ円形劇場遺跡を実測して再現している。古代、芸能は神に向かって演じるもの、人はそれを覗かせてもらっているという位置関係で劇場が成り立っていたという。

▲硝子舞台に上がる階段。床下は釘を一本も使わない日本の伝統工法で組まれている。

▲待合棟の片隅にポツンと置かれていた古信楽井戸枠。北大路魯山人、小林秀雄が所蔵していたという。秋の訪れを告げていた。

▲待合棟。中央のテーブルは、樹齢1000年を超える屋久杉で、高野山の大観寺にあった水鉢が支柱となっている。

▲蜜柑畑だった敷地。斜面で陽をいっぱいに浴びて育つみかんの実。

小田原文化財団 江之浦測候所

所在地
神奈川県小田原市江之浦362番地1
入館方法
完全予約制
開館日
木曜日〜月曜日 週5日
休館日
火曜日、水曜日、年末年始(2017年12月27日~2018年1月5日)および臨時休館日
入館料
一律3,000円(税別)
交通案内
最寄駅JR東海道本線 根府川(ねぶかわ)駅または真鶴駅
根府川駅より無料送迎バス。真鶴駅よりタクシー。所要時間 約10分 料金1,800~2,000円
公式ページ
http://www.odawara-af.com/ja/

建築主:公益財団法人小田原文化財団
構想:杉本博司
基本設計・デザイン監修:株式会社新素材研究所
実施設計・監理:株式会社榊田倫之建築設計事務所
施工:鹿島建設株式会社
特別支援:ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)