痛みを緩和する仮想現実のデザイン

frogのデザインを通じたイノベーションは、医療、健康の分野にも及んでおり、frogが取り扱うデザイン領域の中でも重要な位置を占めるようになりました。2016年に公開した熱傷患者向けのVRゲームは、治療中の患者の身体的・精神的苦痛を緩和することに成功し、医療現場におけるソリューションにひとつの指標を提示したと言っても過言ではないでしょう。「価値とは標準を越えて生み出される」というアグネス・パーチラの言葉(連載第2回)を思い起こしながら、このゲーム開発のコンセプトを見ていきたいと思います。

熱傷治療現場の課題に目を向ける

ひどいやけどを負ったとしましょう。その痛みはこれまでに経験したことのないものです。人生で最悪の瞬間に苦しみながら、症状を鎮めようと病院へ駆け込みますが、それは長い苦しみの始まりにすぎません。

応急処置の後、数週間から数カ月にわたり継続的な治療を受けるために、熱傷治療センターに通うことになります。特に最初のころは、この治療はやけどを負ったときと同じぐらいの苦痛を伴います。患部からガーゼを外し、傷を洗浄した後、軟膏を塗布し、再び包帯をします。この手順は、最長で2時間もかかり、焼けた皮膚を感染から保護するために、毎日、場合によっては1日2回行わなければなりません。さらに、手術が必要な場合もあります。その苦痛は容赦なく、徐々に回復するとはいえ、心に傷を残します。

やけどによる激しい損傷、そしてそれに続く数日、数週間、あるいは数カ月に及ぶ頻繁な傷の手当てと包帯交換は、患者が経験し得る最もつらい苦痛のひとつです。鎮痛剤のオピオイドは疼痛管理の主力薬ですが、短期および長期に及ぶ副作用があることでよく知られています。また、こうした投薬にもかかわらず、熱傷患者の痛みが十分に緩和されないことがしばしばあります。

熱傷患者向けの低コストVRを開発するベスト・プラクティス

患者の気をそらすことは、服薬に代わる疼痛管理の有効な手段のひとつとして知られています。数々の研究から、仮想現実(VR)の没入環境は、治療を受ける熱傷患者の気をそらすうえで極めて効果的な方法であると実証されているのです。しかし、仮想現実は、調査研究を除き、臨床診療では普及していません。こうしたシステムの多くは特注で高額だからです。Samsung Gear VRやOculus Riftのような新たに登場したシステムによって、仮想現実はより身近になりましたが、臨床現場にとってはこれらでさえ高価すぎる場合があり、まして感染対策上の懸念を減らすために、ひとりの患者にしか使用しないのであればなおさらです。

そうしたなか、Google Cardboardによって、ほとんどの人に普及したスマートフォンに安価な段ボール紙の箱とレンズを組み合わせて、医療に適した仮想現実システムをつくる機会が示されました。しかし、現在のGoogle Cardboardヘッドセットは、湿気の多い熱傷治療現場向けにはつくられていません。さらに現存するゲームのほとんどは、ユーザーが起立した状態で、前後・上下・左右に自由に動き回れることを想定して設計されているため、熱傷治療を受ける患者には適しません。

frogは、これをデザインの課題と見なしました。すなわち、熱傷治療に関する機会や制約を把握し、これらの条件に適した安価なヘッドセットとVRゲーム・エクスペリエンスを設計することです。frogの医療デザイン部門のフェローであり、スタンフォード形成外科のレジデント医であるブライアン・プリッジン医師と協力し、複数分野の専門家によるチームで、この課題に取り組みました。

この情熱的なプロジェクトの成果は、極めて入手が容易で、組み立てやすく、熱傷治療の現場での使用に適した安価なヘッドセットのコンセプトとなるでしょう。ヘッドセットに加えて、熱傷患者向けの「Ēpiónē」というオープンソースのゲーム・コンセプトを開発しています。この先ほかの開発者が患者向けにVRエクスペリエンスを製作する際に、このコンセプトがプラットフォームまたはテンプレートとして活用されることを期待しています。このゲームでは、患者はやけどの治療に適切な体位を維持しながら、苦痛から気をそらせてくれる仮想現実環境に没頭していられます。

このコンセプトに取り組みながら、プロジェクトチームは、以下に詳しく示すデザイン原則のリストをつくりました。これらの原則は、ハードウェアとソフトウェアの両方のデザインと開発を通じて浮上したものであり、現場調査、看護師や患者へのインタビュー、ユーザーテストによって確認されたデザイン上の制約が考慮されています。こうした原則は、医療向けのVR利用に一般的に当てはまると考えられますが、熱傷患者を想定して作成されています。医療用ソリューションをできるかぎり広く利用されるものにしたいという精神のもと、この分野でソリューションの設計や製作を手掛けるすべての人々のために、この原則を公開します。

医療用VR製作のためのデザイン原則——医療分野におけるソリューションのために

ヘッドセット
いくつかのデザイン上の制約により、特注のVRヘッドセット・ソリューションを追求せざるを得ませんでした。極めて安価で、耐久性と防水性のある素材を使用して製作され、患者にとって快適である必要がありました。できれば、効率的に配送できるように平らに梱包された部品から簡単に組み立てられるデザインが理想的です。ヘッドセットデザインの指針とされた具体的原則は、以下のようなものです。

安価な製作費
病院の資金は限られており、しかもそれを保険会社に依存していることが、ひとつのハードルになります。ヘッドセットが30ドル以下であれば(わたしたちは10ドル以下を目指していました)、病院が患者のためにコストを吸収する可能性が高くなります。 さらに十分に安価であれば、ヘッドセットを各患者に供給することができますので、採択の壁ともなり得る感染予防への懸念を最小限に留めることができます。

防水性
患者のガーゼは外す前にホースからゆっくり流れる温水に浸されます。これを操作するのは看護師ですが、ヘッドセットが間接的に水に触れることが起こり得ます。ヘッドセット自体は濡れても構いませんが、内部にあるデバイスを保護する必要があります。

患者の着用時の快適さ
熱傷の洗浄で最も苦痛な処置は最長で2時間続きます。多くの場合、患者は横になりますが、座らされることもあります。素材、重さ、形状、頭部のサイズに合わせた調整を、慎重に考慮する必要があります。

看護師にとっての扱いやすさ
患者が着用中のヘッドセットを丸ごと取り外さなくても、看護師がヘッドセット内のデバイスを容易に扱える必要があります。

デバイス非依存
各患者にヘッドセットを配布するならば、ヘッドセットは各種デバイスに適合できる必要があります。スクリーンが4~6インチのデバイスに対応できることが理想的です。

直観的な組み立てと操作
組み立てとスマートフォンの挿入方法の指示をできるかぎり少なくする必要があります。レンズを通して見たときに画像が二重にならないように、どのようなサイズのデバイスも中央に正しく配置される必要があります。ヘッドセット上に目印のラインを設け、さらにアプリ内にも位置調節の指示が表示されるようにすれば、デバイスを中央に配置しやすくなるでしょう。

環境への配慮
可能であれば、環境への影響を少なくするために、環境にやさしい素材を使用すべきです。ヘッドセット全体を交換しなくても良いように、容易に交換可能な部品を検討する必要があります。

喜び
熱傷患者は、厳しい身体的苦痛と心理的ストレスを経験します。組み立てから患者の帰宅後まで、エクスペリエンス全体を通じて、ポジティブな気持ちを誘発するあらゆる方法を探求する必要があります。パーソナライゼーションを検討してください。

ソフトウェア
ゲーム・ソフトに関する最重要のデザイン原則は、寝た姿勢で利用できる実用的なVRアプリケーションの不在に対処することでした。熱傷患者の多くは手当てを受ける間、横になっているからです。処置を受けようとするとき、患者は点滴、モニター装置、酸素マスクにつながれることがあるため、自分でゲームを開始できるようなタイミングはほぼないでしょうから、看護師に支援を求めることになります。またVRやゲーム一般への慣れ方に差があるさまざまなタイプのプレーヤーに対応できるように、ゲームのエクスペリエンスは寛容である必要があります。

看護師や医師向けの管理機能
処置を始める前に看護師がゲームの設定、音量、明るさ、位置を調節できる管理モードが必要です。患者が処置中にプレイを中断しなくて済むように、これらの設定を手伝ってから、病院のスタッフの手で、ヘッドセット内のデバイスの位置を調整してVRエクスペリエンスを容易に開始できるようにする必要があります。

仰向けの姿勢への対応
ほとんどのVRゲームは、プレーヤーが寝た姿勢では適切にプレイできません。デバイスは、プレーヤーが起立しているか、座って上を向いている状態を想定しているからです。

キャリブレーション
熱傷患者は横になっていることが多いので、デバイスの加速度センサをそれに適応させる必要があります。スマートフォンをヘッドセットに挿入するごとに、回転の参照ポイントを設定するため、ユーザーが前方を見つめて頭部を静止させるという、ちょっとした手間が必要になります。

頭部の限られた動きに適合したヘッドトラッキングのみによるゲーム操作
寝た姿勢の患者が無理せずできるのは、頭をわずかに左右に動かすことだけです。頭部の上下の動きはかなり制限されます。

幅広い年齢層への配慮
患者の年齢、人口統計的な特性、興味はさまざまです。絵柄やストーリーなど、ゲームの内容をできるかぎり万人向けにする必要があります。

経験レベルに応じたやりがい
テレビゲームの経験の程度は患者によってさまざまです。また鎮痛剤によって患者の集中力が損なわれる場合もあります。管理メニューからスタート時の難易度を選択し、その後、徐々に難易度が増すようにする必要があります。

眼精疲労の緩和
明るい色に長時間さらされていると目が疲れるため、ゲーム世界での明るい色の使用を制限してください。プレイを開始する前に、ハードウェアの輝度を適切に設定することが重要です。

ゲームプレイの寛容性
すべての難易度を通じて、プレイに寛容さが必要です。プレーヤーには操作をやり直せるセカンド・チャンスが必要です(痛みで顔をしかめたり、看護師から動くように言われたりするため、やむを得ない場合があるからです)。こうした目的をかなえる便利なゲーム・メカニズムのひとつが「再生式シールド」であり、これでゲームに予想外の保留時間が生まれ、ますますおもしろくなります。

オーディオ
プレーヤーのいる場所を物理的にとり囲むようにサウンドを配置してください。没入感のある適切な音響効果とエンドレスなBGMを盛り込んだオーディオにします。標準的なモバイル・デバイスのスピーカーでは、ときおり重低音が聞き取れないことがあるため、オーディオを高周波に近づける必要があります。

結論
frogは、ヘッドセット「VR Care」と特製のゲーム・エクスペリエンスを積極的に開発し、テストを繰り返す過程で、上記の原則をまとめました。VR Careとゲーム・ソフトウェアは、APKファイルおよびオープンソースのUnityパッケージとして、こちらのページより入手できます。
 このヘッドセットは現在、熱傷患者についての継続的な研究の一環として使用されています。この活動は、患者が手頃な価格で仮想現実を利用できる機会を増やすソリューションを生もうとするものであり、医学とデザインのパートナーシップの力を示すひとつの例になります。今後、医療とデザインが手を組んで、治療現場のニーズを見つけ、実用的なソリューションを設計し、そうしたソリューションを患者や医療システムに還元するひとつのモデルとして、われわれの活動が役立つことを願います。(ブライアン・プリッジン、チャールズ・ユースト、アンドリュー・ハスキン)End

この連載は、frogが運営するデザインジャーナル「DesignMind」に掲載されたコンテンツを、電通エクスペリエンスデザイン部・岡田憲明氏の監修のもと、トランスメディア・デジタルによる翻訳でお届けします。