「美しくない研究は、心に残らない」
MITメディアラボ副所長 石井 裕 教授インタビュー

2019年度の「SIGCHI(シグカイ) LIFETIME RESEARCH AWARD(生涯研究者賞)」を受賞したマサチューセッツ工科大学メディアラボ副所長の石井 裕教授。歴代21人目でアジア人初となる快挙である。世界に先駆けて「タンジブル」という概念を打ち出し、独自の研究を続けてきた石井教授に、改めてインタビューした。

デジタルの世界で人間の物理性、身体性を取り戻す

ーーこの度は受賞、おめでとうございます。「SIGCHI LIFETIME RESEARCH AWARD」とはどのような賞にあたるのか、教えていただけますでしょうか。

ありがとうございます。今回いただいた賞の母体は、ACM(Association for Computing and Machinery)という、世界で最も大きなコンピュータサイエンスの学会です。その中の分科会のひとつであるSIGCHI(シグカイ)で「SIGCHI LIFETIME RESEARCH AWARD」という賞をいただきました。歴代で21人目です。ダグラス・エンゲルバート(ビジョナリー。集合知のコンセプトを提唱し、1968年の歴史的デモを通して、コンピューティングの世界に多大な影響を与えた)が最初で、その後ドナルド・ノーマン(認知科学者。「誰のためのデザイン?」の著者)などが続きますが、今回初めてアジアから、日本人の私が賞をいただきました。僕自身、こんな賞を取れるとは思っていませんでした。死ぬまでにいただけたらと夢見たことはありますが、思ったよりも早く、生きているうちにこの賞をいただけて、本当に良かったです。

▲2019年5月6日に英国・グラスゴーで開催された「SIGCHI LIFETIME RESEARCH AWARD」受賞記念講演。Photo by Mariko Tagashira

ーーどのような功績に対して贈られるのでしょうか。

一過性の面白い研究に対してではなく、長年の積み重ねによって新しい研究分野を切り開き、人間とコンピュータのインタラクション(HCI: Human Computer Interaction)に関する学問分野に大きな貢献をもたらした人に贈られます。私はこの25年間、デジタルの世界を支配する「Pixel Empire(ピクセル・エンパイア)」と戦いながら、実世界指向のタンジブルという概念を一貫して追求してきました。デジタルの世界で人間がいかに物理性、身体性を取り戻すかの追究です。それが25年経ってようやく実体化し、HCI の世界で「タンジブル」は、重要な基本的概念になりつつあります。

賞を与えられた理由は、「SandScape」や「MirrorFugue」など、個々の研究成果からではなく、その根底に流れる抽象度が高い新しい原理である「タンジブル」を提唱したからです。だから今回は、その思想の部分、すなわちビジョンを認めてもらったということになります。

タンジブル(触れて実感できる)という夢は、最初はインタンジブル(実体がない)で、僕の脳内にしか存在しないものでした。それが、今回受賞したことで、その存在がみんなに認められ、ようやくタンジブルになったということが、とても嬉しい。特にハードコアなコンピュータサイエンスの学会は、定量的、統計的に有意なものとして仮説検証する研究が独占していた世界でしたから。

自分で“山”をつくりながら登る

ーー研究のキーワードに「エステティック」を挙げていらっしゃいます。研究のうえで美意識が重要なのはなぜでしょうか。

まず単純に、美しい表現がとても大切だという個人的な想いがあります。サイエンスはこの世界にある原理を解明して、それを応用可能にする分野。テクノロジーは問題解決というひじょうに実用的なゴールがあります。どちらの領域であっても研究する以上、その結果が美しくなければ人をインスパイアできない。醜いものは、心に残らない。美しさがないとやはり悲しいと感じてしまうのです。

僕たちのグループでは、端的に言うとデジタルをタンジブルにする研究をしていますが、最もやりたいのは、人々を刺激して、惹きつけるようなタンジブルな新しいインタラクションを開発することです。ヒューマン・コンピュータ・インタラクションの領域では、常に人が中心にある。そういう意味では、プロのデザイナーたちの仕事に目を開かされてきました。彼らが求めるエステティックス、機能性と美しさの融合には大きな学びがあります。

ーー受賞を機に改めて感じたことはありますか。

世の中で価値が認められるのはほとんどが数値化できるものです。100mを誰よりも速く走って、オリンピックで金メダルをもらう。特別な条件でエベレストに登って、ギネスブックの世界記録に載る。自己実現の方法はいろいろありますし、それは新記録という頂上を目指す「登山」に似ています。僕の場合は違うアプローチを取りました。すでに存在してるいちばん高い山に登るのではなく、そこにまだ“無い山”があると信じて、自分でその山を海抜ゼロメートルからつくりながら登るという方法です。これを僕は「造山力」と呼んでいます。

賞をいただいたときにようやく「ああ、山はあったんだな、みんながその山の存在をついに信じてくれたんだな」と思い、とても感慨深いものがありました。本当にあるかどうかわからない「タンジブル」という山を25年前に考えついて、きっとそこにあるはずだと信じながら、その山をつくりながら登ってきました。自分ひとりで信じ続けるのは、大変でした。正直かなりしんどい道のりでした。

あなたにとってのアラン・ケイは誰なのか?

ーーそれでもくじけずに、続けられた理由はどこにあるのでしょうか。

学会からはボロクソに言われて論文を落とされつづけましたが、それでも投稿し続けたら、ある日、僕の「タンジブルビッツ」の論文(CHI ’97 に投稿)が、マーク・ワイザー(計算機科学者。ユビキタスコンピューティングの提唱者)の目に止まり、落ちかけていたその論文を、彼が審査員のひとりとして救ってくれました。それが大きな転機になりました。

また1994年には、アラン・ケイ(計算機科学者。パーソナルコンピュータの父とも呼ばれる)から学会に招待してもらって、NTT 時代の仕事「クリアボード」を発表直後に、彼とニコラス・ネグロポンテ教授にMITメディアラボにヘッドハントされました。この世界のパイオニアたちに出会う幸運にめぐまれ、そして彼らの励ましのおかげで、タンジブルへの思いを学生たちと共有しつつ、ここまで来られたのだと、深く感謝しています。

人から認められることをゴールにして、ギネスブックの世界記録に載るのが目的になってしまうのは悲しい。でも、認められなくても良いからと引きこもっていたら、世の中にインパクトを与えられない。僕自身、HCIという学問分野の端っこのほうで、変なことをずっとやり続けた。続けたことによって、結果的にじわじわと影響を及ぼして、認められたんです。それはメインストリームに乗るのとも、一匹狼になるのとも違います。

僕は天才ではありません。それは、はっきりとわかっています。でも天才的な、僕からしたら神様とも呼べる人たちが、僕たちの作品や研究を認めてくれました。ひとりでもそういう人がいて、僕たちの仕事を理解してくれたら十分なんです。やはり、若いときにそういう人間に出会えるかどうか、「一期一会」の大切さを身にしみて感じています。君にとっての「アラン・ケイ」は「マーク・ワイザー」は誰なのか? もう出会っているのか? 出会うためには、どんどん外に、世界に出ていかなきゃいけない。学会や展覧会に積極的に参加して、徹底的に自分を表現しないと見つかりません。

ーー石井先生が、受賞の際にスライドで書かれてはいたけれど、回答されていない質問がありました。”How do you want to be remembered?”(どのように思い出されたいか?)に対する答えはあるのでしょうか?

覚えていてほしいという気持ちは強烈にありますが、逆説的に僕自身は思い出されなくてもいいんです。人々が「ユビキタスコンピューティング」という言葉を使っていても、若い人たちは、このビジョンの父であるマーク・ワイザーを知らないケースが多くなっています。だから未来の人々が、「タンジブル」という概念を日常語のように使っていてくれて、「100年前に、MIT のだれかが言い出したんだよ」と言ってもらえたら、それで十分かもしれませんね。End

石井 裕(いしい・ひろし)/1956年東京生まれ、札幌育ち。海道新聞社のコンピュータプログラマーだった父の影響で幼少期からコンピュータに興味を持つ。80年北海道大学大学院情報工学専攻修了後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。NTTヒューマンインターフェース研究所を経て、95年MITメディアラボ教授に就任。タンジブルユーザーインターフェースの研究で世界的な評価を得る。2001年にはMITからテニュア(終身在職権)を授与され、09年からは同副所長も務める。Photos by Kaori Nishida

2019年5月6日に英国・グラスゴーで開催された「SIGCHI LIFETIME RESEARCH AWARD」受賞記念講演の動画はこちら