絵画と人との新たなコミュニケーションを模索する、
山内萌の「アプローチするグラフィック」

▲「hyoujou」シリーズの作品。

山内萌は、現在、21歳。武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻に在籍する学生だ。2019年に第20回「1_WALL」グラフィック部門でグランプリを受賞し、2020年初頭に東京・銀座のガーディアン・ガーデンで個展「アプローチするグラフィック」が開催された。そこで発表した作品は、油絵の連作「hyoujou」。視線を感じ、見つめ返すが決して目線は合わない、何とも不思議な存在感が漂う。作品が生まれた背景など、メールと電話による取材で話を伺った。

▲怒っているのか、おどけているのか、生きているのか、曖昧ではっきりとはわからないのに、見る人に強く存在を意識させることでアプローチする。

常に存在を感じられるものに

ガーディアン・ガーデン主催のコンテスト「1_WALL」に応募した理由は、「それまで公募展に出したことがなく、学外の人から見た自身の作品を知るいい機会だと思った」からだ。

「hyoujou」の着想の原点について、こう述べる。「絵画や家具、観葉植物などは、最初は気に入って購入し部屋に配置すると思うのですが、月日が経つにつれ気に留めなくなり、やがて空間に溶け込み無意識の存在と化してしまいます。流れる時間に対して無抵抗なまま、気づかないうちにほこりが積もっていく。もし、絵のほうからアプローチを仕掛けて鑑賞者に(半ば強制的に)意識を向かせることができたら、忘れ去られることなく、常に存在を感じられるものになるのではと思ったのです」。

▲ひび割れたニカワの上に透明な塗料と油絵の具を何度も塗り、さらに色を重ねるという古典的な材料と手法を用いて、平成時代のハイテクな電化製品のような風合いを表現した。

顔をモチーフにしたのは、「顔の形や曖昧な表情に、人は圧迫感や緊張感を抱くことから意識が向きやすくなる」と感じたからだ。それは山内自身が経験したことでもあった。

「例えば、相手が怒っていたら丁寧に接したり、相手が落ち込んでいたら励ましたり、笑顔にさせようとしたり、相手の表情によって人は自然と自分の態度を変化させ、関係性や距離を図ろうとします。けれども、表情は演じることもでき、曖昧で無表情の方には、どういう対応をすればいいか、わからなくなってしまうことがあります。そのときに人は無防備な素の状態になり、その人本来の表情が引き出されると思ったのです。そこで曖昧な表情の顔を空間に配置して先にアプローチを仕掛けることで、鑑賞者がどういう反応をするのか知りたいと考えました」。

▲最初に手がけた作品「hyoujyou2」は、屋外に連れ出し展示した。

▲大学のアトリエでの展示風景。「家具の絵画」と題したインスタレーションを行った。

家具としての絵画作品

最初に制作した作品「hyoujou2」は、コンピュータ上で曖昧な表情のようなグラフィックをつくり、廃材置き場で拾ったベニヤ板に油絵で描いて「生のグラフィック」に変換するという手順で制作した。そして、それを屋外に連れ出し、再び廃材置き場に戻すという試みも行った。この作品が原点となり、家具というテーマを発展させて、個展作品では、木やキャンバスなど、支持体の素材を個々に変えて多彩なバリエーションを展開した。

▲ガーディアン・ガーデンの会場に置かれた名作チェアは、ジェネリック商品。

▲展示台に飾られた観葉植物は、フェイクグリーン。

ガーディアン・ガーデンで開催された個展では、空間を部屋と見立てた。「意識を認識させる存在」がより機能するためには、「無意識的な存在」が必要だと思い、アプローチする側の「意識的な家具」としての絵画と、忘れられる側の「無意識的な家具」として椅子や観葉植物を対比させるように配置した。山内は言う。「ショッピングモールなどでディスプレイされる家具や観葉植物は、目を凝らして見ると偽物だと判別できますが、たいていは気に留められることもなく、ほこりをかぶっていることが多いと思います。これらは『無意識的な存在』に分類されるものです」。

ペインティング、グラフィックデザイン、インスタレーション、現代美術など、来場者の受け取り方は千差万別だった。山内は、「来場者ひとりひとりに意見があること、ものの見方や角度が違うこと」が興味深く感じられたという。

▲存在に気づき、意識が向いて視線を合わせようとしても、すべて微妙に目を合わせることができない。

過去の産物が新鮮に感じた

この作品をつくるきっかけのひとつに、黎明期のCGも要素としてあった。「現代の写実的に進化したCGに比べると、技術的に未発達ゆえに不自然でリアリティに欠け、違和感や不気味さがあるのですが、異常な情熱や生々しさ、色気を感じました。それは当時の最先端技術で、最高のものを突き詰めたからだと思います」。

山内は、「そういう過去の産物が新鮮に感じる」と言う。小学生のときに、当時流行するものに関心をもてず、そこから自分が興味を惹かれるものを探すようになった。90年代の日本のバンドに始まり、彼らに影響を与えたルーツをたどるうちに60年代や70年代の音楽、80年代の電子機器を使った音楽に出会い、やがて楽器、タイポグラフィ、ファッション、映画、アニメーション、漫画、書籍、家電、ゲームなどの大衆文化へと対象は広がっていった。

▲ゾッとしたり、「なんだこれ」と怒ったり笑ったり、通常の絵画鑑賞とは異なる、自由で素直な反応が期待できるという考えのもと発想した。

けれども、山内は決して現代のものを否定し、過去の産物だけが好きということではないという。

「今の時代は、テレビ以外の個人単位の情報メディアが増え、SNSで各々の個性が尊重され、映像が高解像度になるなど、細分化が進んでいます。クオリティを細かくすることに注力しすぎているように思えるのですが、私はもっとシンプルに心にガツンと響くようなもののほうが面白いと感じます。例えば、昔の歌謡曲などは言葉数は少ないですが、行間から表現があふれ出るのを感じます。言葉が説明的ではないからこそ、想像する余白があり、そこに面白さを感じます。過去のものだけに限らず、私が見たいのは、カテゴリやジャンル、時代感覚、時間軸を超えた“何かに対するむき出しの好奇心”なのです」。

▲「hyoujou」シリーズは、キャラクターやストーリーなどを一切省き、ひたすら「空間に配置する表情」としての役割を全うする。

油絵に惹かれた理由

その“むき出しの好奇心”とは、「ロマンであり、想像をかき立てる余白であり、自由で無限大の冒険心に近いもの」を意味する。自身が創作に向かうのも、その好奇心があるからにほかならない。

山内が油絵を始めたのは、高校3年の途中からだ。それまで水彩やアクリル画の美術教育しか受けたことがなかったが、試しに油絵を始めたところ、今まで味わったことのない感覚を覚え夢中になった。「扱い方や道具、薄め方、重さ、混色、層、物質としての存在など、水彩やアクリルとはまったく違っていて、最初は上手く扱えませんでした。今までどんな画材でも、すぐに特徴を感覚的に掴み取る自信があったのですが、表現媒体として不可解なところが多く、いつも実験的で失敗しそうなスリルがあり、そういうリスキーな感覚が面白く感じ、どんどん意欲が湧いていきました」。

▲ガーディアン・ガーデンで開催された山内の個展の会場風景。

現在は油絵専攻だが、今後、やりたいことを聞いた。「これをする人と思われるより、明日、別人になる覚悟が常にあります。今、目の前にある不思議に感じたり興味を惹かれたりするものに夢中になっていたい。なぜ自分はそれに惹かれるのか、実際に触れて確かめたい。今の時代を楽しみきれていない感覚があるので、それをどんなかたちにせよ壊していきたい。今が楽しい、面白いと思えるように創作を続けていきたいと思っています。まったく違うジャンルの人たちと一緒に格好いいこともしたいですね」。

いつも「直感的に、奇妙に不思議に感じたものに飛び込んでいく」と語る山内のなかに、純粋性と強さと貪欲な好奇心が感じられる。まだ学生だが、これからどういう方向に向かっていくのかは未知数であり、明日を担うひとりとして大きな期待が寄せられる。End

山内萌(やまうち・もえ)/1998年生まれ。武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻在籍。2019年第20回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞。「アプローチするグラフィック」展の詳細はこちらまで。

ガーディアン・ガーデン/リクルートホールディングスが運営するギャラリー。若手アーティストを発掘し、彼らに表現する機会と場所を提供することを目的としている。

1_WALL/「表現」がますます多様化してきている現在、「表現する」ことに真剣に向き合う人々とともに新しい表現を考える場を目指す、写真とグラフィックデザインのコンテスト。グランプリ受賞者にはガーディアン・ガーデンでの個展開催と、そのための制作費が支給され、チラシ制作などの広報支援も得られる。ポートフォリオ、作品、応募者による作品についてのプレゼンテーションと3段階にわたり、第一線で活躍する審査員と事務局が多様な視点から審査する。