INSIGHT | アート / ソーシャル
2020.07.03 09:00
現在、欧米でアフリカの現代美術は注目の的だ。多くの人はアフリカという言葉から躍動的な構図や大胆な色使いを想像するが、イブラヒム・マハマの作品はその真逆、静寂そのものだ。カカオを入れた麻袋や輸送コンテナといった廃材を用い、母国ガーナの歴史を物語る作品を創出。著名アーティストとなった彼の眼は今、自国の子どもたちやコミュニティの再建に注がれている。
麻袋は生命体であり、歴史の証
2020年2月末に開かれた南アフリカのカンファレンス「デザイン・インダバ」で、アフリカの新進アーティストとして紹介されたイブラヒム・マハマ。ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に昨年を含めて、連続3回出展。ロンドンのサーチ・ギャラリーが作品を保有し、ホワイト・キューブがエージェントを務めると言えば、その人気ぶりが想像できる。しかし、デザイン・インダバの壇上でのマハマは華やかな演出もなく、淡々とプレゼンテーション。穏やかな声ながら全身から揺るぎのない信念のようなものを漂わせていた。
建築物を麻袋で覆い尽くす大規模な作品が印象的なことから、人々はマハマをクリスト&ジャンヌ=クロードと比較して捉える。しかし、マハマの関心はスケールにはない。
ガーナと言えばチョコレートを思い浮かべる通り、20世紀半ばまでは世界一のカカオ原産国として知られる。その輸送に用いた麻袋はインドやバングラデシュでは1回使えばおしまいのところ、ガーナでは穀物などに入れ替え、破れるまで使い倒した。また、人々は自らの所有物であるという目印として、自分と同じタトゥーを麻袋に刻んだという。「麻袋とは、生命体なのです」と語るマハマ。この言葉の意味をもうひとつ例を挙げて説明する。
1957年、ガーナは英国領からブラックアフリカ初の独立国となり、初代大統領は欧州の建築家を起用して、記念碑のような巨大建築物を次々と建設した。しかし、政情は安定することなく、これらの建物は使われることなく廃墟と化した。「麻袋は壊れるまで使われましたが、建物は未使用のまま。麻袋のほうがよほど歴史を積み重ねたというわけです」。莫大な資金を投入した建築物より、経済危機や政治的な失策にあらがいながら人々が日々を営んだボロボロの麻袋のほうに、ガーナの歴史と人々が生きた証が染み込んでいる。しかも、麻袋に入ったカカオこそが、道路や橋といった社会インフラを築く原動力になった。
「大学でアートを学んでいたとき、私はアート活動から“ソーシャルなフォーム” を生み出せないかと考えたのです」。大勢の人が育てたカカオが社会基盤をつくり上げた。彼は自らのアートの役割を現代のカカオに置き換えたのだ。
1セントから1ミリオンを生み出す
2019年、マハマは、英国のマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルで、ひじょうに風変わりな作品を発表した。その名も「パーラメント・オブ・ゴースト(幽霊の国会)」。ガーナの2等車両で使われたプラスチック製の椅子120脚が、ガーナの国会議事堂を模して並べられた。これらの椅子は放置され朽ちかけた列車から取り出されたものだ。ガーナの独立当時の写真もまた展示され、それは1等車両で使われた椅子の革を用いたアルバムに収められた。
アフリカは英国を含む欧州諸国の植民地だったという歴史がある。彼がこの作品を英国で発表したのは、EU離脱を巡って激しいデモが繰り広げられ、まさに総選挙を控えたタイミングだった。
「英国はブレグジットと簡単に言いますが、ガーナと英国は今もひじょうに密接につながっていて、両国の関係から独立することなんてできません。そもそも世界は皆、関係性のなかに存在しているのですから」。マハマがデザイン・インダバの壇上でこう語ったとき、アフリカの聴衆から拍手が湧き上がった。負の歴史も踏まえたうえで現在の関係性が築かれているという意味だろう。
そんな彼の昨今の活躍は目を見張るものがある。例えば、ニューヨークのロックフェラー・センターに掲げられた50の国旗すべてを麻袋に変えたかと思えば、ヴェネチア・ビエンナーレ初のガーナ館でインスタレーションを担当した。南アフリカの後はシドニー・ビエンナーレに直行して大規模な作品を展示中だ。
まさに時の人という感があるが、彼はいっこうにガーナを離れようとしない。「私は、アフリカで活動するアーティストでいたいのです。そうでなければ、ガーナの人々はいつまでもアートを経験する機会がありませんから」と語る彼の胸の内にあるのは、先に語ったアート活動を通じた“ソーシャルなフォーム” の実現にほかならない。
「(原価が)1セントコインの価値しかない廃材であっても、アートの世界では1ミリオンドルもの値がつきます。このアート市場のパラドックスから得た資本を私は利益とみなし、自国の人々の生活環境を変えようと活動しているのです」。
作品はすべて、彼が活動するガーナの地方都市タマレで、アートとは関わりのないごく普通の人々とともにつくられている。「普通とは、特別な有資格者ではないというだけです。要は、何事も皆で協力しあうことが大事なのです」。加えて、彼はもうひとつの偉業を昨年成し遂げている。それは、サバンナ・センター・フォー・コンテンポラリー・アート(SCCA)の設立だ。ガーナに現代アートの素地をつくることが最終目的で、子どものアート教育にも力を入れる。
社会貢献はアーティストの責任
「SCCAをはじめとする活動資金は、すべて私のアートから用立てました」と語るマハマに、先進国のNPOやアーティストが発展途上国に対して行う寄付や自分たちが良かれと信じる支援活動はどのように映るのだろうか。「(無償で)お金を受け取るということは、彼らの資本主義を受け入れることだと思います。自分たちの力で立つことを試みなければ、いつまでも物事は変わらない」。
彼の社会事業はSCCAにとどまらない。先進国では産業革命期の遺跡をモダニズムと形容するが、アフリカでは植民地の苦い思い出があり、価値があるわけではない。マハマは、そうした廃墟化した穀物貯蔵庫の敷地を買い取り、教室やアーティストのアトリエにしようと考える。また、マンチェスターで行った「パーラメント・オブ・ゴースト」を国会は自分の生活と無縁だと思う地元タマレの人々のコミュニティスペースの場として再現する。傑作なのは、不要になった旅客機を譲り受けたエピソードだ。
「旅客機をクルマで輸送すると、公道には飛行機に乗ったことも、間近に見たこともない人たちが集まってきました。旅客機なので内部には心地良いスペースがあり、そこで集会や授業を行ったら、子どもたちはとても喜ぶと思うのです。また、コックピットに初めて入った少年は、次の日、工作で飛行機をつくっていました。自分が子ども時代にできなかったことを、若い世代に経験してもらいたい。彼らの可能性を広げていくことが、より良い世界をつくっていくと信じています」と語る彼の顔は心から楽しんでいるようだ。
ソーシャルなフォームを築きつつあるマハマは、驚くことにまだ33歳。アート市場のパラドックスを利用してアーティストが社会貢献する態度を、彼は「アーティストの責任」と断言する。ならば、デザイナーの責任とは何だろう? 彼のように社会を俯瞰し、仕組みを見直すことで、新しいエシカルなデザインが生まれるのかもしれない。
本記事はデザイン誌「AXIS」205号「デザインミュージアムの正解」(2020年6月号)からの転載です。