デザイナー城谷耕生による
「エコヴィレッジ構想」の実践。
長崎県雲仙市刈水地区の再生プロジェクト

長崎県雲仙市小浜町は、島原半島の西側、橘湾に面した温泉街。昨今(2015年2月当時)、温泉街の観光客を含め、この地の刈水地区を訪れる人が増えている。きっかけはデサイナーの城谷耕生と学生たちによる「エコヴィレッジ構想」と、城谷が立ち上げた「刈水庵(かりみずあん)」の存在だ。空き家が目立ち廃れていた地区に多くの人が訪れているだけでなく、周辺地域の人々の暮らしも変わりはじめている。

▲大工棟梁の住まいだった屋敷を改装した「刈水庵」。1階はスタジオシロタニでデザインしたプロダクトや国内外の工芸作品、世界各地で見つけた雑貨や道具などが並ぷ。

過疎地域を再活用するエコヴィレッジ構想

長崎県雲仙市・小浜温泉街そばの刈水地区に2013年3月、「刈水庵」がオープンした。小浜出身のデザイナー城谷耕生が運営するギャラリーショップ&カフェである。

刈水地区は、温泉街の裏手の小高い丘に築かれた昔の住宅街。細い路地、石垣が続く急な坂道の合間に民家が建てられ、さらに上ると原生林が残っている。自然に恵まれた地の利でありながら、クルマが入れないという理由で住み手が減り、過疎化が進んでいた。

小浜に生まれ育ち、約10年間ミラノでデザイナーとして活動、2002年に再び小浜に拠点を移した城谷は、2012年に大学や専門学校でのデザイン教育の一環として、刈水地区を調査し提案するためのワークショップを実施した。その成果をまとめたものが「北刈水エコヴィレッジ構想」である。空き家や自然といったすでにあるものを活用して若い住人を増やすとともに、 ものづくりの工房や店舗を開いて温泉街に来た観光客を呼び込むことで、地域を活性化しようという内容だ。

城谷は当初、提案の発表までが目的で、構想を実行することまで考えていなかったという。しかし、ワークショップを通して住民と交流を重ねるうちに人々の期待が高まり、城谷自身もその声に心を動かされた。「デザインの力で地域を変えられるのではないか。その可能性を感じた」と言う。そこで、刈水地区の空き家を借りてスタジオシロタニのスタッフが住みはじめ、次に人の集まる拠点として刈水庵をスタート。刈水庵は、大工棟梁の元屋敷を自分たちの手で改修したものだ。続いて隣の倉庫に着手し、2014年初めには事務所を移転した。

▲「刈水庵」の2階はカフェ。城谷がイタリア・ミラノで協働する機会を得たイタリアデザインの巨匠、アキッレ・カスティリオーニのペンダント照明が目を引く。

地域活性化の試みとして「刈水デザインマーケット」も始めた。回を重ねるごとに内容を充実させ、出展者も多様になりつつある。

さらに、偶然、テレピで刈水庵の存在を知り、すぐに訪ねてアイアカネ工房のオープンを決断したのは草木染作家の鈴木てるみ。綿花畑をつくるなど広い敷地も建物も自ら整備し、染めに用いる材料はできるだけ地域のものを利用している。

薬草商品の企画・製造・販売、マクロビオティックや薬膳の料理教室を主宰するテラハウスの工房も開設した。代表の坂上千惠は、島原半島の薬草を研究していることから、地域に密着した場に工房を設けることにしたという。

▲2012年8月に4日間にわたり開かれた「北刈水エコヴィレッジ構想」のワークショップの様子。城谷が長崎大学環境科学部などに働きかけ、学生を募って行われた。路地や坂道、石垣、空き家や菜園の状態を歩いてつぶさに調べるとともに、一軒一軒を訪問して聞き取リを行った。それらをもとに景観、施設、菜園の3つのポイントに分け、「北刈水地区魅力調査」と「北刈水エコヴィレッジのための提案」という印刷物にまとめた。

デザインの力で地域を変える

刈水庵がオープンして1年10カ月。構想は始まったばかりだが、その間3度ほど訪れて実感したのは、高齢者がほとんどの古い地区に新しい風が吹き込まれ、プロジェクトは着実に地域に根を張りながら進んでいるということだ。日本各地の同様のプロジェクトの多くが根づかず消えていくなかで、助成金などに頼らず、手弁当の試みが成果を見せつつあるのは特筆に値する。その要因はどこにあるのだろうか。

まず、綿密な調査とそれに基づくデザイン提案が挙げられる。刈水でのワークショップの前年にあたる2011年にも城谷は、地域の伝統の知恵と技術を調査かつ活用する「雲仙デザインワークショップ」を行った。「これまで新たな生産ばかりに目が向けられてきたが、これからの時代はすでにある未利用のものをいかに活用するかが重要。デザインの力で未利用のものを魅力あるものに変える。そのためには地道な調査が不可欠」と城谷。例えば、空き家の再利用を念頭に各家の保存状態や老朽化の程度までを調べ上げた。

人も重要な未利用の資源だ。「刈水庵近隣には80歳以上の人が5名いるが、毎日この急な坂道を何往復もして野菜を栽培したり保存食をつくったり。例えば干し柿や枇杷酒づくりといった暮らしの知恵を再活用することも大事」(城谷)。

▲2012年8月の「北刈水エコヴィレッジ構想」のワークショップでまとめられた「北刈水地区魅力調査」。

また、刈水庵の立ち上げや運営にあたり、経済的リスクを負わす、自分たちの手を動かし、できるところから着手していったことも大きいだろう。心地よい空間設計、ショップに並ぶプロダクト、外部へ発信するためのパンフレットなど、あらゆる部分に城谷のデザインが貫かれることで他の地域とは異なる魅力が備わっている。

「この地区を選んだのは、昔の日本を思い出させる士地の力を感じたから。それは特別なものではなく、むしろどの地方にもあるだろう懐かしい日本の風景。空き家の民家も昔は当たり前だった普通のつくりで、その普通さがいい。このくらいなら自分たちもできる、やってみようと思える。刈水地区を地域活性化の見本にもしたいと考えている」。城谷は、小さなー地区に同じ課題を抱える日本各地の姿を重ね合わせる。

もう1つ印象に残ったのは、一家で東京から雲仙に移住し、「刈水デザインマーケット」に参加するオーガニックベースの主宰者、マクロビオティック研究家の奥津典子と爾(ちかし)夫妻の話だ。世界的に有名な種取り農家の岩崎政利に会うために雲仙を訪れ、即座に移転を決めたふたりは、その理由を「文化」があったからだという。「ただ豊かな自然があるだけではいつか行き詰まる、人の手が入った共感できる文化がなければ住み続けることはできない」。そのふたりは刈水の構想にも文化を感じ、この地でさらなる展開を計画中だ。

▲2013年5月から2カ月おきに開催する「刈水デザインマーケット」。

生きることを学ぶスモールスクールへ向けて

刈水地区では、現在、4軒ほどの空き家の活用が検討されている。また、例えば竹職人など、暮らしの道具をつくる職人にも参加を呼びかける。衣食住全般の生活道具をつくる手仕事の職人たちが集い、生活の基本がまかなえるようになることが理想だという。

イベントとしては、雲仙の若い農業後継者によるファーマーズマーケットを企画中。また、城谷はいつかスモールスクールを開きたいとも考えている。これまでのワークショップを含めて、デザイン教育の重要性を実感しているからだ。 2014年夏は大学生を募って「小浜デザインキャンプ」を実施。「スモールスクールは、たぶん刈水エコヴィレッジ構想の集大成。実現すれば、自ずと生きていく基本を学べる場になり、デザインのスキルがものづくりだけでなく、地域づくりをはじめとした至るところに生きることを理解できるようになる。自然の流れでそう向かえばいいと思っています」。

デザイナーの調査と提案から始まった試みは、その地に暮らすデザイナーだからという理由を超えて広がり、豊かな暮らしを描きはじめている。そこには、地域活性化の糸口やデザインのあり方に対する多くのヒントが見え隠れしているようだ。(文/内田みえ)End

▲「刈水デザインマーケット」の出店は生活道具、ファッション、フードなど、基本的に手でつくられたものに限られる。また草木染めや陶芸、金工など、季節に合わせたワークショップも開催する。

ーー本記事は、AXIS173号(2015年2月号)からの転載です。