SDGs & HUMANITY
ポジティブな力で社会課題の解決に挑む

ヤーコブ・トロールベックは、DJの経歴を持つ異色のグラフィックデザイナー。アメリカの広告業界でよく知られた存在で、TEDカンファレンスのロゴも彼によるデザインだ。さらに2015年の国連サミットで採択された持続可能な開発目標「SDGs」のコミュニケーションデザインも手がけた。彼との対話を軸に、人権問題をはじめとする社会課題に取り組むデザイナーたちの活動を見つめる。

▲インドのグラフィックデザイナー、アナンニャ・カイタンが制作したレイプ撲滅キャンペーンの2分間のアニメーションより。

正しい方向に導く力

「そもそも環境問題をはじめ、貧困や飢餓、性差別といった人権問題は25〜30年前から取り組まなければならない課題でした。しかし当時のデザイナーたちは経済活動を優先するあまり、それらを疎かにしてしまった。今そうした課題に取り組む20代、30代の若いデザイナーの多くは、たとえお金を積まれても不正を行うような企業で働きたいとは思わない人たちです」。これは、SDGsのコミュニケーションデザインを担ったヤーコブ・トロールベックの言葉だ。

「決してデザインの経済的役割を否定するわけではありません。上の世代の人たちもかつては現在の若者と同じような想いを抱いていたときがあったでしょう。ただ、デザインはうまく使いこなすと大金を手に入れることができ、その誘惑を知るとかつてのアンビションは忘れてしまうものです」。志と現実のギャップを語る彼の言葉は赤裸々だ。

「デザインにはどんなに深刻で悲惨なテーマであっても、それをポジティブに解釈して、人々や企業を正しい方向に導く力があります。それこそがデザインのヒューマニティだと思うのです。この力を発揮するのは、今しかありません」。そのうえで彼は、デザイナーが取り組むテーマは環境問題のみならず、すでに人権問題にまで及んでいると指摘する。

▲1959年スウェーデン生まれのヤーコブ・トロールベックは、ニューヨークに設立したトロールベック+カンパニーでボルボやナイキのほかCBSやHBOといった大手テレビ局をクライアントに持つ。2015年にSDGsのブランディングを手がけ、同年ストックホルムにもうひとつの組織ニューディヴィジョンを設立。今年2月ケープタウンのデザインインダバでもSDGsについて語った。

レイプという女性の人権問題に挑む

今日、デザインの扱うテーマは、ホームレスを支援するためのプロダクトを開発したり、貧困層に教育機会を創出するといった具合に広がっているが、性的要素を含む課題はいまだタブー視されているきらいがある。そのなかで、アメリカのプロダクトデザイナーであるアンティア・ウェゲマンと、インドのグラフィックデザイナーであるアナンニャ・カイタンは、レイプ撲滅をテーマに女性の人権を守る活動を展開する。

アメリカでは2秒に9人がレイプ被害に遭い、そのうち3割しか警察に被害届けを出さず、さらにその1%しか有罪判決が出ていないという。#MeToo運動の盛んなアメリカでなぜこうした状況なのか疑問を抱いたウェゲマンは、調査を進めるなかで被害者に求められる初期対応に難しさがあると気づいた。

アメリカには証拠保全のための検査道具をまとめたレイプキットが存在するが、備えている病院が少ないうえに特定の看護師しか扱えず、さらに何時間もかかる煩雑な検査プロセスをたどらなければならないという。被害者がキットを求めて、何時間もクルマを走らせる様は悲惨としか言いようがないものだ。ウェゲマンは看護師や警察官、ソーシャルワーカーから、被害者にとってはレイプが起こった事実よりもその後のショックやトラウマのほうが大きいと教えられ、ニューヨークの街角で「誰も信じてくれないとき」と題した展示を開催。被害者の精神的負担を減らし、病院や警察に行きやすくするためのアプリや簡易検査を開発するための会社を立ち上げた。

▲アメリカ人プロダクトデザイナー、アンティア・ウェゲマンが考案したのは、レイプ発生後、最短距離の病院と警察に伝えるための2種類のアプリに加え、DNAテストが素早くできるデバイス。さらに、専門の看護師以外でも扱える新しい検査キットの開発にも挑んでいる。最終的には、アプリ、DNAデバイスおよび新キットが連動するRNAというシステムの実現を目指しているという。彼女の一連のプロジェクトは、優れたイノベーションに贈られるワールド・チェンジング・カンパニー2020に選ばれた。

一方、インドでは、2018年からレイプ犯罪の罰則が強化され死刑が科せられるようになったが、アナンニャ・カイタンはそれが新たな問題を生んでいると分析する。当初はレイプ撲滅キャンペーンのためのポスター制作を依頼された彼だったが、なぜ厳しい罰則が抑止にならないのかを調べるうちに、被害者の多くが子どもであることを知った。しかも、加害者の95%は被害者家族の知人。インドの裁判では、たとえ被害者が子どもであっても証言台に立たなければならないという。顔見知りの加害者に再会する恐怖、自らの証言で彼らに極刑を与える責任の重さが、被害者の人生にトラウマを与えていたのだ。ほとんどの事件が警察に通報されないのはこうした理由からだった。「被害者の気持ちに寄り添うことを第一に考えながら、人々にこの問題に対するマインドセットを促したい」とカイタンは2分間のアニメーションを制作している。

▲インドのグラフィックデザイナー、アナンニャ・カイタンが制作したレイプ撲滅キャンペーンのポスターには、レイプ問題の現状と課題、その解決策が記されている。デザイン、法律、政策の交点を見出そうとするカイタンの活動は、2019年D&ADネクストデザイナー賞に輝いた。

▲アナンニャ・カイタンは、インドでのアルコール中毒の現状を伝える冊子「中毒者から犯罪者へ」も制作。恐怖をあおるようなショッキングな内容ではなく、アルコール中毒者に関する統計データから真実を導き出した。

法や既存の制度に疑問を抱き、膨大なリサーチをもとに課題の原因を探り、これまで誰も気づかなかった視点を提供したふたりのデザイナーの活動は、社会が抱える深刻な側面に間違いなくポジティブな影響を与えているはずだ。さらにトロールベックは、ふたりの活動にSDGsにおける自らのデザインプロセスを重ねた。

SDGsで最も重要なのは「17.6」

14年秋、「SDGs が世界に浸透するためには、 この政策が人々にポピュラーなものにならなくてはならない」とコミュニケーションデザイン全般を依頼されたトロールベック。SDGsは貧困、教育、性差などの基本的人権から環境問題に至るまでの17の解決すべきゴールとその方策を示す169のターゲットから構成されているが、国連から送られてきた資料を見た彼は絶句したという。

「正直、何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。複雑さ自体は悪いことではありませんが、これでは皆に理解されません。情報=コミュニケーションではないのです」。トロールベックがまず取り組んだのは、国連がまとめた長く難解な文章を短くシンプルなものに書き換えることだった。17のゴールは、彼の手によって「No poverty(貧困をなくそう)」「Life on land(陸の豊かさを守ろう)」といった具合に、 2、3の英単語に変換された。今、私たちが理 解しているSDGsとは彼が編集したシンプルな文言とビジュアルなのだ。

「スローガンをつくっただけでは、人の行動は変えられません。そもそも、SDGsの17の“ゴール”にはどう行動すべきかが語られていないのです。私は、編集作業を続けるなかで、本当の私たちのゴール(やるべきこと)は、169のターゲットのほうにあると気づきました」。 彼はストックホルムに自らの別会社を設立して、企業の社会貢献を後押ししたり、169のターゲットを推し進める活動も展開する。

「現在、私は西アフリカ・ブルキナファソの貧しい村で、村人の人権を尊重しながら学校や病院の建設、食糧供給を含む村おこしに関わっています。そこで認識したのはパートナーシップを呼びかけるゴール17のターゲット6(通称17.6)の精神が、SDGsにおいて最も大切だということです」。

17.6の日本語訳は、「科学技術イノベーション(STI)およびこれらへのアクセスに関する南北協力、南南協力および地域的・国際的な三角協力を向上させる。また、国連レベルをはじめとする既存のメカニズム間の調整改善や、全世界的な技術促進メカニズムなどを通じて、相互に合意した条件において知識共有を進める」。なんとも難解だが、トロールベックはここで重要なのは「サイエンス、テクノロジー、イノベーションへのアクセス」「協力」「知識共有」の3つだと説明する。

▲「パートナーシップで目標を達成しよう」を掲げるSDGsのゴール17の下にあるターゲット17.6。「すべての人に平和と公正」を訴えるゴール16と同系色であることから、世界経済と富の不公平を想像させる。国家間の経済格差をなくすためには、世界の人々の知識共有から始まる。同時に、科学技術やイノベーションの開発と、人権問題は実は密接に関わり合っていることを伝えている。

▲SDGsでは17のゴールを6つのカテゴリーに分け、色のグラデーションでゴールの属性を示した。17ゴールの色彩が弧としてつながることでグローバルを表現し、それがSDGsのロゴマークになっている。

アクティビストの要素を持つ

「環境問題にしても社会問題にしてもいちばんの課題は、改正した法律や特別措置法を施行しても効果的に機能していない理由に政府が気づいていないことです。真実はいつも隠れてしまいます」と語るのはインドで人権問題に取り組む前述のカイタンだ。続けて、「デザイナーの職能に “アクティビスト” の要素があれば、社会によりインパクトを与えることができます。社会生活の基盤となる政策や教育などにも、デザインはよい影響を与えることができると信じています」。彼は、先のプロジェクトを通じて、すでにインドの最高裁判所から助言を求められる存在となっている。

また、トロールベックは新型コロナウイルス感染症によって世界の人たちの行動が制限された状況さえポジティブに捉える。「現在、多くの人は自粛を余儀なくされています。自由に外に出られないぶん、家族の大切さや消費文化などを見つめ直したかもしれません。また、皮肉なことに、自粛生活が大気汚染や温暖化といった環境問題に良い影響さえ与えました。自粛が解けても以前のように頻繁に飛行機に乗ることにためらいを感じる人は少なくないでしょう」。

トロールベックが語ったように、デザインのビジネス的な側面を否定するわけではない。しかし、人々の急激な価値観の変化がカイタンのような若いデザイナーの活動を後押しすることになるのではないだろうか。そのとき、SDGsの17.6はデザイナーにとっても指針になるに違いない。End

▲フィンランドのエニー・クッカ・トゥマラは、シンパシー(同情)ではなくエンパシー(共感)を通じて、より良い社会を築いていこうとするデザイナー。フィンランド議会で初めて黒人議員が誕生した2018年、緊張感漂う国会のコミュニケーションを改善したいと申し出た。「共感のジェスチャー」は、風船をともに膨らませるような小さなアクションから敵対する議員同士がリラックスして審議を進めることを考えたワークショップ。Photos by Laura Mainiemi

▲バングラディッシュの片田舎では、救急車が88,000人に1台しか存在しない。これでは助かる命も助からないとUI/UXデザイナーのマスバフル・イスラムは、国内の至るところにある3輪バイクの救急車への転用を発案。医療施設と連携を図るシステムを構築して、セイフ・ウィール社を起業した。ビジネススクールを卒業し、就職も決まっていた彼だが「自国のために働くことに喜びを感じる」と言う。

ーー本記事は AXIS206号「立ち止まって、考える。」(2020年8月号)からの転載です。