大阪・現代・建築
「ふたつの万博」の間をたどって

55年前の大阪万博が描き出した、未来への夢。テーマに「人類の進歩と調和」を謳った最新技術を社会に実装する輝かしいイメージは、高度経済成長やバブル期という絶頂と終わりを経験しながら、数々の建築を通じて都市の姿をかたちづくった。大阪在住の民俗学者・編集者の畑中章宏によるナビゲートで、「2度目の万博を控えた大阪」のリアルな現在を、建築から垣間見る。

大阪・吹田市の万博記念公園内、岡本太郎の「太陽の塔」裏手にある「お祭り広場」は、かつて各施設の結節点となるシンボルゾーンの中心に位置し、地上30mの高さに丹下健三が手がけた大屋根がかかっていた。現在は催事で賑わうこの広場の片隅に、屋根構造の一部が保存されている。©︎The Asahi Shimbun/Getty Images

「EXPO’70」の記憶を今に重ねて

日本万国博覧会「EXPO’70」は、今から55年前に開催された。その案内書、『日本万国博覧会公式ガイド』を、私はずっと書棚に並べていた。A5判ソフトカバーで352ページ、発行人として、万博事務総長で、のちに東京都知事となった鈴木俊一の名前が記されている。

このガイドブックは、小学2年生だった1970年の、私の万博体験の記憶を呼び起こす。たまたまその時代に大阪にいた子どものありきたりな思い出話に少しだけつきあってほしい。

「月の石」目当てに長蛇の行列ができた「アメリカ館」には入館できず、「ソ連館」に入ったものの、どんな展示だったのか憶えていない。「ガス・パビリオン」では立体構成のスクリーンにクレージーキャッツのコメディが映し出され、「せんい館」の大屋根には、横尾忠則のアイデアで、工事用の足場と作業服の人形やカラスの彫刻が取り付けられていた。