クリスチャン・ヒダカ インタビュー
「絵画の声に耳を傾ける」

クリスチャン・ヒダカ/ロンドンを拠点に活動する現代美術家。日本人の母と英国人の父の間に生まれ、東洋と西洋の美術史を横断する絵画表現で国際的に評価を得ている。ルネサンスの遠近法、日本の絵画、SF的想像力を融合させた緻密な油彩テンペラ画を特徴とし、欧米・アジアの主要ギャラリーや美術館で個展・グループ展を開催。多くの公共・個人コレクションに収蔵されている。

星を道標に——ヒダカが描く東西の旅

ユーラシア大陸を西に東に移動していた騎馬民族にとって、星座は方向を見定めるために大切な役割を果たしていたという。イギリス人画家、クリスチャン・ヒダカが描く作品に随所に星座を表す図像を見ていると、絵画を通して、西と東の間を常に行き来している画家の絶え間ない問いかけに立ち会っているようである。

クリスチャン・ヒダカの個展が韓国のソウル市立北ソウル美術館にて行われている。ヒダカは1977年生まれ。日本人の母とイギリスの父のもとに生まれ、イギリスの美術大学ロイヤル・アカデミーを卒業後、ロンドンを拠点に活動をしている。常に絵画の起源に立ち返りながら、西洋世界が追求してきたルネサンス以来の遠近法を踏まえ、東洋の平面的な絵画技法の間を行き来しながら、現代の「image /イメージ」作りを行なっている。

洞窟の奥で始まる、想像の劇場

「Theatres of the Sky, Skies of the Theatre」というタイトルの展示は、北ソウル美術館の地下1階から吹き抜けになったパブリックスペースから廊下、そして地下の展示空間をつなぐ大規模な壁画を中心とした展覧会だ。北ソウル美術館ではプログラムを構成するにあたり、毎年テーマを設定している。ここ数年「建築との関係性」、「宇宙とアクション」といったテーマを掲げるなかで、ヒダカの作品はいずれの考え方をも内包する世界観を表現していることが、今回の展覧会を行うに至った経緯である。ヒダカ自身は、今回の展示の意図について、こう語る。

「現代美術が展示されるようなホワイトキューブではない空間を求めていました。ですので、ここでは先史時代の人々が描いた洞窟画を美術館に再現し、空想の地下世界を作りたいと思ったのです。原始の人々にとって洞窟は儀式や祭祀などを行なっていた特別な場所、劇場の起源に立ち戻る空間だと思っています。洞窟画を調べていると、かならずどこに、何が描かれているのか、場所と内容に深い意味があるということがわかります。このように壁画によって、空間の特徴が強調されることを目指しました」。

Underground Shanshui. 2025. Natural pigment and paint on the wall. Variable dimensions. photo by Soen Lee

美術館に入るとすぐに吹き抜けの空間に導く階段がある。降りると、ぽっかりと開いた地下の空間にはブルーを基調とした壁画が描かれている。床には同じくブルーの円形のプラットフォームがあり、その上に黒い丸を中心にした太陽のモチーフが描かれている。壁面には今回のために現場で描かれた壁画のほかに、ヒダカがこの展覧会のために描いた新作と過去作品の絵画が設置されている。それはまるで違う世界に誘う窓のようで、ひとつひとつが独特の世界観を持っている。具象と抽象が織り混ざったこの壁画は、美術史に関する専門知識がなくても、私たちが生きているなかで触れてきた絵画の記憶を刺激する。幾何学的な図案、どこか特定の文化に属するようでもありながら、フィクショナルな雰囲気を持つ人物、そして歪んだ小物、星座を表す図。ひとつひとつのモチーフが我々に問いを提示しているようで、見れば見るほどさまざまなテーマが浮かび上がり、あっという間に時間が過ぎてしまう。

Stage Serpientiae. 2025. Oil tempera on linen. 195 × 160 cm. Photo: Courtesy of the artist and Gallery

Waiting In Godo, 2025, Oil tempera on linen, 230 × 174 cm. Photo: Courtesy of the artist and Gallery Baton.

「この空間に入って、上を見上げたときに線がさまざまな方向に向かって伸びているのが面白いと思いました。空間をつなぐ階段がふたつあることで、上から下を見るための視点がいくつもあるのです」。

壁画に飛び込む身体、絵画に向き合う心

ヒダカにとって壁画と絵画は別の身体性を持っている。壁画はそのスケールから、イメージの世界に入り込む装置。一方で絵画は壁画に比べて、考えることを促す装置だ。そのなかに精神的には入り込むこともできるけれど、フレームという境界がある。

「私はもともと描くことが好きだったのですが、美術大学の学生時代に巷で語られていたコンテンポラリーアートの絵画には疑問がありました。写真を参考に描き、何か別のモチーフを踏襲するような方法のことです。そうではなくて、自分にしかできない問いを立てなければならないと思ったのです。つまり、自分自身が過去のどこに繋がっているのかを問うこと。そう考えたとき、私のなかにある東洋と西洋のルーツを追求しなくてはならないと思ったのです」。

西洋絵画の世界では14世紀にイタリアで始まったルネサンスから20世紀のキュビズムに至るまで、一点に消失していく遠近法の描き方が常に議論されてきた。一方、東洋の絵画は山水画に代表されるように、視点を定めず、むしろそれが複数点在するような平面性を特徴としている。そのため、空間には終わりがなく、地平線もない。ヒダカは自分にしかできないイメージを作成するにあたって、このふたつの絵画手法の特徴を統合することで、新しい空間や風景を構築することができないかと考える。

Mountain Walkways. 2023. Oil tempera on linen. 136 × 272 cm. Photo Courtesy of the artist and Gallery

Kirby Variations. 2025. Natural pigment and paint on the wall. Variable dimensions. photo by Soen Lee.

色に宿る記憶——洞窟画と現代の色彩学

洞窟画は描くことの起源に立ち戻るモチーフだ。ヒダカは2013年、先史時代の洞窟画が残る南フランスのペリグー地方に1年間滞在、何度も洞窟を訪れ、当時の人々がなぜ、そこに、何を、どう描いたのかを研究した。そしてそれをもとに、15年には色温度についての論文を執筆、キュビズムの作家が追求した4色の色彩を研究し、パリのピカソ美術館で発表した。

「マチスに代表されるように、鮮やかな色彩を多用しながら近代絵画を構築していく流れがある一方、ピカソやブラックは基本の4色に限った絵画作品を追求しました。それはまるで洞窟画の基本に戻るかのような行為です。例えば白と黒の2色だけでイメージを構築しようとすると、色に幅を持たせることができませんが、1色を加えるだけで、多くの色彩を作ることができる。このことは私にとって重要なテーマでした」。

Theatrum Caeli, 2025, Mixed media, Variable dimensions. photo by Soen Lee, Courtesy of Seoul Museum of Art.

美術館での大規模な壁画を制作するにあたり、ヒダカは3週間に渡りソウルに滞在。4名の現地スタッフに加えて、フランス、日本から呼んだアシスタントとの共同作業を行なった。限られた時間と予算のなかで効率的に描くために、洞窟をはじめとした具象のモチーフをヒダカが、幾何学的な図案をフランス人アシスタントのアンソニー・ボダンが描くなど、緻密な計画を立てた。洞窟画を描くために必要な顔料はドイツから特別に取り寄せた。鉱物や木材、土などをベースにした自然素材を使った貴重な顔料だという。奥行きのある洞窟の陰影を表現するために、日本からアシスタントとして参加した谷口洸は塗料を現場で調合することを集中して行った。

「私たちは食べるものにはどんな添加物が入っているかということを気にしますよね。ところが塗料の中に何が入っているのかは必ずしも明記されていません。純度の高い顔料は色が長持ちしますが、そうではない塗料は30年も経てば、色褪せてしまいます。また化学的な材料を使った塗料は色が奇抜すぎて、微妙な色彩の調整ができません。現代の絵画によく使われる、目に強く訴えかけるような鮮やかな色彩はイメージを構成しづらいのです。色温度に気を付けることによって微妙な影を作り出すことができます。また艶を加えることで、黄色や赤や緑に見えたりもします。色は周りの色との関係性で浮かび上がるのです」。

描くことで世界と対話する

問いかけては、描く。クリスチャン・ヒダカは描くことで、対話を続けている。その相手は過去の誰かによって描かれたイメージであったり、材料であったり、神話だったり、画家という職業を選んだ自分自身でもある。

「私は週6日間スタジオに行って描いています。イメージは貪欲です。何に向かっているわけではなく、ただ同じスピードで流れていきます。しかし、決して自動で動いているのではありません。描くことはとても親密なプロセスです。私はいつでも立ち現れる絵画に耳を傾けるようにしています。絵画は瞑想のようなもので、中に入り込むこともできますが、最終的にはフレームがあるので限りがあります。絵画が完成すると、次は壁画に移動します。壁画は身体を包み込みます。壁画にとっての限界は、しいていえばギャラリースペースかもしれません。だからこそ可能性に満ちているのです」。

自分が描いた絵画の意味について問いかけられても、答えを出さない。あくまでも想像することを促し、千差万別の観客の答えに驚き、感動し、さらに問いかける。クリスチャン・ヒダカの活動を見ていると、アーティストとは凝り固まった考え方や惰性で物事を運ぼうとする態度を白紙に戻す人だということを突きつけられる。しかし、その方法は必ずしも奇抜なものではない。およそ2万年以上も前から人類が行ってきた描く行為を粘り強く続けることだ。

「絵画には時間がかかります。まるで時間を捧げているようですが、集中していなければ向き合うことはできません。さもなければ、絵画が怒鳴ってくるのです。まずは緊張感と愛情を持って接すること。様々なイメージが流布するなかで、絵画はいたって安全な場所です。絵画の声をもっと聞くべきです」。End

Christian Hidaka Theatres of the Sky, Skies of the Theatre

会期
2025年6月5日~2026年5月10日
開館時間
10:00~20:00(平日) 10:00~19:00(夏季土日祝日) 10:00~18:00(冬季土日祝日)
会場
ソウル市立北ソウル美術館 Buk-Seoul Museum of Art, Korea
詳細
https://sema.seoul.go.kr/en/visit/bukseoul