太田佳代子(編集者)書評:
シンシア・C・デイヴィッドソン編『Anything』

『Anything』
シンシア・C・デイヴィッドソン 編(MITプレス)

評者 太田佳代子(編集者)

「Any 会議最終章、そして……。」

ご存知「Any」会議の記録本も、いよいよこの巻でフィナーレである。
1990年ニューヨークで始まって以来10年、毎年世界のさまざまな都市に場所を移しながら、ラジカルな建築家の一群と他ジャンルのインテリが集まっては数日間議論に没頭し、その記録を欠かさず本にする。「Any」はIAUSという伝説的な組織を率いたピーター・アイゼンマンが、故イグナシ・デ・ソラ=モラレスや磯崎 新らと練り上げたと言われる、傑作な議論装置だった。

ただ、10年も続くとさすがにマンネリ感も出始め、最初の頃は確かにあった会議自体のニュース性も後半は薄れていた。しかし2000年夏、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で行われた最終会議の本には、予想を裏切る面白さがある。常連スピーカーに加え、人気建築家や評論家、アーティストら43人がズラリ勢揃いした、いわば千秋楽特別興行。で、この派手なセッティングとは裏腹に、読後に漂うのは秋の気配である。

「Any」会議が目指したことーーそれは「多様な文化、多様なジャンルの交差点で、現代建築と文化を議論する」(デイヴィッドソン)というものだった。言い換えれば、建築を外に対して開き、閉鎖性を打ち砕こうということでもあったと思う。果たして最終会議では、個々人がこの課題をめぐっていかに格闘しているかが、程度の差はあれ伝わってくる。しかし皮肉にも、少なくともアイゼンマンにとって、この10年後の変化はなんとも憂うべきものだったようだ。

「Any」という交差点で最後に明確化したのは、建築思考の閉鎖性を乗り越える試みが、建築を相対化し、自らを相対化していくこととして実践されつつある、ということだった。そして閉鎖性もなにも、アイゼンマンが維持したかったに違いない「ラジカリズムのしのぎを削る戦い」「知的なオブセッション」といったものまで、すべては世界との接続との引き替えに相対化され始めたのである。

アイゼンマンは悲しそうに訴える。「建築とは、これまで“正当”と呼ばれてきたものを疑問に付す行為ではなかったのか? それをいかに実践するかを論じ合える人間がなぜいなくなったのか?」と。建築の職能(プロフェッション)の価値はどうなるのか? といった、素朴な疑問さえ投げかけずにはおけない彼の心情も理解はできるのだが……。アイゼンマンに対するユベール・ダミッシュ、ジェフリー・キプニス、サンフォード・クインターらの応酬は、ウィットをまぶした爆弾のやりとりを見るようだ。痛快で重い。

会議では「物質」(thing)をめぐる32のプレゼンテーションが行われた。全体的に建築プロパーの話や作家的方法論よりも、都市、情報、経済のシステムの中で建築を捉えなおす試みに議論は盛り上がった。その最たるものがレム・コールハースの「¥Y$体制」の話だろう。それこそ建築家としての飛躍が激しすぎて誤解も生んだ「¥Y$体制」論(というより実践報告)への賛否は、ここに集まった建築家や思想家たちを二分したようだ。

あるいは、情報との融合へと建築の背中を押すかのように、50年代末イームズが実現していたマルチメディア装置をあえて持ち出したベアトリス・コロミーナ。それは「生きたコミュニケーションをする建築だった」という彼女の「戒め」を受けて、「もはや建築が相手にしているのは空間ではなく時間である」と言い切ったジェルマーノ・チェラント。「Any」の真骨頂とも言える、好戦的でラジカルな彼らの議論の中に、まさに建築の新しい地平がおぼろげながら垣間見えた気がする。

そうしたことも含め、重要な議論の場を10年間つくり続け、その軌跡を留めた編集長シンシア・デイヴィッドソンの仕事は貴重である。「Any」が終わった今、誰かが次の議論装置を仕掛けなくてはならないだろう。(AXIS 94号/2001年11・12月より)