太田佳代子(編集者)書評:
トム・ケリー著『The Art of Innovation』

『The Art of Innovation』
 トム・ケリー著(Profile Business 1,365円)

評者 太田佳代子(編集者)

「誰をも興奮させる革新性」

今をときめくデザイン企業IDEOの本にしては、拍子抜けするくらい地味なルックスの本である。ほとんど文字ばかりで写真は数えるほど。しかも大半はモノクロ。一見して最先端デザイナー集団の本にはとても思えない。ところがそれにはちゃんとわけがあるのだった。

「イノベーションのアート(革新の技法)」と題した本書は、きわめて周到につくられた一種のサクセス本である。読むと元気が出る。著者はIDEOの創設者デイヴィッド・ケリーの弟で、現在同社でジャネラル・マネージャを務めるトム・ケリー。アップル、ホーキンズ、プロクター&ギャンブル、NECなどなど、世界的な大企業を相手に数々のヒット製品を誕生させてきた、圧倒的にパワフルな経験のなかからこれはというエピソードを引き出しては、革新を生み出す技法を明かしていく。

なにしろここ10年間、米国の、というよりグローバルなヒット商品はこのIDEOが総ナメ状態である。本にするネタはゴロゴロあるわけだ。だが、さすがはすべてに革新を追求する企業のインサイダーがつくっただけのことはある。戦略的なプロダクトとも思えるほど、うまく考えられた本なのだ。

まず、「完璧なブレーンストーム」「楽しみながら利益を生む体験をつくり出せ」といったハウツー的な章立ての中に、無数の経験的エピソードが盛り込まれている。むろんほとんどは成功話だが、ときには失敗談もある。例えばIDEOが商品開発を担当し、ソットサスにデザインを依頼した電話機「エノルメ・フォン」。芸術的ともいえるソットサスの独創的なデザインは、即座にMoMAの永久コレクション入りしたものの、商品としては鳴かず飛ばずだったという話。原因は操作技術と価格の問題にあったという。

成功例のエピソードは、どれも簡潔でしかも嫌味がない。嫌味がない理由の1つは、話されている製品が議論の余地なく商業的に大成功しているからだが、重要なのは、ケリーの(あるいは共著者であるジョナサン・リットマンの)明快な書きっぷりと構成力によって、すべてのエピソードが「革新」の生まれるプロセスとして収束していく点である。

この本は写真やドローイングといった、ビジュアルな素材を使わずに、きわめて饒舌にデザインのプロセスを語っている。ケリーによれば、IDEOが製品(あるいはシステム)をつくり出すプロセスにおいて、デザインの真価は「ルックス」よりもはるかに奥深い次元で問われる。つくる側のメッセージが人間の動作、欲求、習慣、心理といったものにしっかりと届くか届かないか――そういう目には見えにくい次元で起こる現象が、デザインの大問題なのである。それはまさしく言葉でしか描き得ない世界であり、写真やドローイングは不要というわけなのだ。

幸い、ケリーの弾んだ語り口は、写真やドローイングを越える説得力をもっている。いかにもアメリカ的芸風のストーリーテラーの語りは、あまりに楽しく読めてしまう。つまり、重みのない、一種の啓発本にも読めるのだが、そこはちょっと要注意だ。ケリーの話術は徹底的にポジティブ思考、徹底的にプラグマチックなIDEOの現場で話されている、いわば「IDEO語」をも伝えていると思えるからだ。

抽象的な話はいっさいなし。まずは何事もよく観察してみる、プロトタイプをつくってみる、まわりの人間に試してみる、脇道に逸れてみるなどなど、さまざまな「みる」を繰り返すなかで、意外なことが起き、何かが発見され、ヒット製品が生まれる。常識はすべて疑ってかかり、掟は破ってみる――すべてが「革新」を中心に動いている世界、IDEOでは、このケリー的話術が大きくものを言っているに違いない。

IDEOがやってきたことは、実はものづくりのオーソドックスなお手本なのだが、彼らが今ことさら新鮮で魅力的に見えるのは、デザインのビジュアル性を売るのではなく、誰にでもわかり、誰をも興奮させる次元で「革新」を売っているからなのだ。そのことがスパッと理解できる本である。(AXIS 93号/2001年9・10月より)

日本語版はこちら。

『発想する会社!』(早川書房)