深澤直人(デザイナー)書評:
ブルーノ・ムナーリ 著『芸術としてのデザイン』

『芸術としてのデザイン』
ブルーノ・ムナーリ 著、小山清男 訳(ダヴィッド社・1,500円)

評者 深澤直人(デザイナー)

「日常の芸術」

厳しい本である。胸に突き刺さる思いがする。思想(理想)と実践(現実)の狭間で矛盾を曖昧に許してしまうデザイナーには痛い本である。

デザインも芸術も、解き明かそうとしても簡単ではない。デザインを実践する過程においてはそれと平行して、常にその道筋や考えを解き明かそうとする思いがあるような気がする。それは難解で到達し得ない行為であったとしても苦労ではない。むしろ興味であり、快感でもある。デザインを実行しながら、勉強し続けることは、己のデザインが自己評価として完成していないことを意味する。だから先達の書いた本を読む。その人の辿ってきた道を知り、迷いを知り、達観したことばや体験を知って共感する。

ブルーノ・ムナーリ、その偉大で繊細なデザインの父が書いたこの本は、デザイナーへの戒めのように思えてならない。

本書を読むには、デザイナーとして、あるいはそれに関わる者としてデザインをあるいは芸術を考えた経験が前提として必要だろう。なぜなら使われている単純なことばの意味が一般化した意味と違っているからである。例えば、「芸術」ということばである。美術館に展示された絵画を指す「芸術」という定義は一般化している。日常の中に発見できる価値や欲求の具現化としての巧みさの「芸術」性を人は認識しても、「芸術」ということばが出たとたん、思考は日常から遊離し前者に引き戻される。ことばの定義は固定観念を生み、純粋な理解への導きを阻む場合がある。この本は、自己の固定観念によって知らず知らずのうちに、公式的なデザインや芸術に陥ってしまう多くの人たちに警鐘を送っている。

著者は序文でこの本と日本の関わりについて書いている。日本の美術家や工芸家が彼の制作において、彼を導いてくれたとも言っている。彼を導いたものは、プランニングの問題を解決する仕方であり、本質的な価値とこのうえない簡潔さの思考、そして美がその結果の1つに過ぎないということだった。しかし皮肉にも、その彼が強く影響を受けた日本の現代のデザインを彼が最も強く批判しているように思えてならない。「スタイリスト」という章を読んでいると、それが自分に向けられた批判ではないかと思う人はきっと少なくないだろう。

「デザインのもっともありふれた一面、もっとも容易なものはスタイリングである。それは、芸術的な衝動をもつ人たち、ちょうどロマンティックな名作にマークを描き入れでもするかのように、自分たちの作品に大様な筆跡でサインする人たち、またいつでも口の中に、詩と芸術の言葉がいっぱいに詰まっている人たちの活動範囲のものである。スタイリングは工業デザインのやり方の一種であり、またデザインのもっともはかない、浅薄な一分枝である。それは流行のうわべを飾るものであり、何であれ、何かのものに現代的な”ルック”を与えるに過ぎないものだ。スタイリストは目まぐるしいうつろいのために制作し、その時の気まぐれからアイディアをとる」(文中より)。

いや、日本ばかりを批判しているのではない。世界のすべてのデザイナーが陥りやすい「スタイリング」という罠に警鐘を鳴らしているのだ。

これは、デザインと芸術が持つ意味をビジュアルデザイン、グラフィックデザイン、インダストリアルデザインなどの分野別に、丁寧に事例をもって解析している本でもある。デザイナーの思考を熟知し、逸れてはいけない道を説く永遠のデザイン教科書に違いないのだ。巻頭では芸術家というものを、マキシム・ゴールキーの言葉で綴っている。

「芸術家は、自分自身の主観的印象を整理して、それらの中に、一般的客観的な意味を見出す方法と、それらを、納得できる形として表現する方法とを、知っている人間である」。(AXIS 104号 2003年6・7月より)

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