マウントフジアーキテクツスタジオ x SACLAB
「濃淡で描かれる世界」

僕たち建築家は、日々、白い紙の上に線を引っぱって建築の設計をしているわけだけれど、その「線」が何を意味しているのかと言えば、今回のお題である「境界」だ。無数の線に含まれたさまざまな種類の境界を適切に設定することで建築をデザインしているのだ。

例えば「壁」や「塀」などは、境界の中でも最も「濃い」インクで引かれた「線」であり、区分される2つの領域を遮蔽する度合いも高い。それらは、「光」「景色」「気配」「動線(人の動き)」「音」「空気(風)」「熱」など、ほとんどすべての要素が遮蔽される複合的な境界である。よって「塀」や「壁」によって分け隔てられた2つの領域には「関係」はほとんど発生しない。むしろ「内/外」の対比が強く規定されることになる。パブリック/プライベートの領域が明確に区分される西欧的な文化圏の建築が、主に「壁」でデザインされてきたことはその意味でも自然である。

一方、もっと薄いインクで引かれた「淡線」のような「境界」もある。例えば、「ガラス」は「動線」「空気」を制限するけれど、「景色」「光」などは遮蔽しない。「格子」や「築地」などは「視線」「人の動き」を制限し、「空気」「気配」「音」などは素通しであり、自由に透過してしまう。さらには「段差」「留め石」などは、「動線」以外のすべての要素を透過する。これらはひじょうに淡い線で引かれた境界と言えるだろう。

「境界」には濃い線から淡い線にまで無限の段階のグラデーションがあって、僕たちはその濃度を使い分けながら、建築を操作しているが、それはそのまま「1本の淡い線」で居住の領域がつくり出されることを意味しない。例えば、都市域の住宅の寝室のような高いプライバシーが必要な領域を100%の濃度をもった「濃い境界=壁」で囲むことで成立させることができるとすると、同等のプライバシーは一重の淡い線では不足で、その代わりに幾重もの淡い線、例えば20%濃度の線あれば、それを5本並べて表記することで同等の遮蔽率を獲得し、もとめる空間を実現することができるだろう。

同心円状に幾重にもオフセットされた淡い線による図像をイメージしてもらいたい。重ねられた円の数によってその地点のプライバシーの度合いは異なる。これは実は日本の伝統的な建築のあり方によく似ている。パブリックスペースである「町」から「生け垣」「留め石」「庭」「軒先」「縁側」「障子」「土間」「居間」を介して最もプライベートな「寝間」に至るというように、幾重もの淡い境界によって、段階的にそのプライベート/パブリックの度合いを変化させていくのである。

既に書いた通り、西欧型の建築のあり方が明瞭な対比をなして「パブリック/プライベート」が区分されていることとは対照的に、この国の「パブリック/プライベート」は、濃淡のグラデーションで表され、それらは互いに半ば重なり合いながら、やわらかく“自他が関係する世界“を生み出してきたのである。

現代都市では、その平面的な余地の不足からコマゴマと土地を区分し、その持ち分を明確に主張することで、涙ぐましく私有財産を保全しようと努力してきたわけだが、その結果、この国が本来持っていた都市の「奥行き」や「多様性」といった豊かさが失われてしまった事実は、指摘されて久しい。

土地の余地が豊かであった時代の「淡い線」(例えば「生け垣」や「縁側」)は現在にそのまま適応させることは困難だろうが、現在だからできる淡彩の世界があるだろうと考えている。さまざまな度合いの「都市的であり、私的であるような両義的な空間」の連なりによって、都市を再描画することができたらどうだろう。

濃淡の差こそあれ、都市のすべてが「公」的でありながらも「私」に連なった「私的領域」でもあるような状態。それは、版画的な白黒の図ではなく、濃淡で描かれる水墨画のような世界だろうか。日本の都市の今後を考えるとき、そこに可能性を感じている。

「Sakura」は目黒区の住宅地に計画された夫婦ふたりのための住居兼オフィス。都内でも有数の地価の高いエリアに敷地はあるが、他の都心部の住宅地の例に漏れず住宅が雑然と密集した状況から、その価格ほどに住環境として良質であるとは言い切れない。

ここにさらにもう1つ住宅を押し込むことより、良好な住環境を生み出すことのほうが先決であるように感じられた。思い出したのは、ミースとフィリップ・ジョンソンによる2つの著名な「ガラスの家」である。室内を裸で歩きたくもなるような、その自由さと開放感は、ガラスそのものの透明性にもよるが、なにより建築を取り巻く気持ちのよい周辺環境=「森」によるところが大きい。「森」がすでに気持ちのよい住環境を形成しているのである。だから、建築はごく薄く透明な皮膜で内外の空気を切り分けるだけでいい。居住に適した環境さえあれば、「住宅」そのものさえ必要がなくなっていくことを明快に示している。求めたのは、この「森」の代わりとなる存在である。

具体的には、居住に適した環境を生み出すため「の」の字型にくるりと巻かれた2枚の大きな帯状の面を敷地内に設置することで、良質な住環境を発生させる事を試みたのである。それぞれ高さ7.5mと5mの木漏れ日のように光を透過する、厚さ3mmのステンレス製のレース状の、自立する壁面である。伊勢型紙の伝統文様である桜のパターンに沿ってパンチングされている。

このように抽象化された桜の森を分け入ると、「気持ち良く住まえる“予感”のする環境」が現れる。ここには「住宅」という「構え」は、もはや見当たらない。ここは純粋な「住環境」であって、記号化されたいわゆる「住宅」ではないし、ましてや「住宅地」でもない。都市の届かない明るい深部が、東京に生み出されたのである。

マウントフジアーキテクツスタジオ
原田真宏 /1973年静岡県生まれ。97年芝浦工業大学大学院工学専攻修了。97〜2000年隈研吾建築都市設計事務所勤務。01〜02年文化庁芸術家海外派遣研修員制度を受けJose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres Architects(Barcelona , Spain)に所属。03年磯崎新アトリエ勤務。04年原田麻魚とともにマウントフジアーキテクツスタジオを設立。07年慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科非常勤講師、08年~芝浦工業大学工学部建築学科准教授を務める。

原田麻魚 /1976年神奈川県生まれ。99年芝浦工業大学建築学科卒業。2000〜03年建築都市ワークショップ勤務。04年原田真宏ともにマウントフジアーキテクツスタジオを設立。

http://www14.plala.or.jp/mfas/

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