昭和の時代に活躍した建築家の照明と、それがつくられた建物

魂が宿っているとでも言おうか、圧倒されるようなデザイン力に目を奪われた。明治時代に生まれ、昭和に活躍した日本を代表する建築家、村野藤吾氏(1891-1984)、吉田五十八氏(1894−1974)、吉村順三氏(1908-1997)による照明である。YAMAGIWAが復刻製造し、販売する製品だ。

▲ 2015年12月に東京・南青山にある「yamagiwa tokyo」で和風照明展が行われた。手前は、京都の指物工芸の老舗、和田卯による照明「H-214」 Photos by Yo Masunaga(以下、写真すべて)


この3名の建築家たちは、それぞれ独自の創造性によって、伝統的な日本建築に新風を吹き込んだ建築家として知られる。そして、建物を設計する際には家具や建具、照明、把手など、あらゆる物の意匠を手がけた。新しさを取り入れたモダンな意匠、細部に至るまで手をかけてこだわり抜く姿勢が、建築作品に合わせてデザインされたこれらの照明からも伺える。

彼らが手がけた照明とともに、それがつくられた建物を紹介しよう。


「佳水園」——村野藤吾

▲ 細い鋼(オリジナルは真鍮製)のフレームが幾何学模様を描くフロアスタンド。
YAMAGIWAでは、村野氏デザインの和紙張りのブラケットやペンダント型照明
なども扱っている。


戦後モダニズムの旗手と言われる村野藤吾氏は、1つの型にはまらず、多彩な意匠を編み出してきた。写真のフロアスタンド「S7236」は、1960年に京都に開業した「都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)」の別館「佳水園」のためにデザインしたものだ。

「佳水園」は、戦後の数寄屋建築の傑作と言われている。醍醐寺三宝院の庭を模した「白砂の中庭」を取り囲むように、計20の客室が配された建物だ。一見すると、純和風建築のように見えるが、村野氏は雑誌の取材でこう語っていた。

「佳水園にしても私はあまり和風を意識しないでやっているのです。あの格子にしても棰(たるき)にしても、日本的というよりもむしろ洋風だと私は思っています。あの場合は庇を薄く見せたかったため、棰の間隔もずっと広くしているのです。昔からのものとはまったく違うはずです」(『別冊新建築 日本現代建築家シリーズ9 村野藤吾』新建築社、『匠たちの名旅館』稲葉なおと著、集英社インターナショナル)。

村野氏が「庇を薄く見せたかった」と語っていた屋根は、鉄骨を用いて構造を強化。それによって、深く突き出た薄い庇が幾重にも重なり合う造形美を生み出した。

内部空間は、玄関から客室の手前まで靴のまま行けるようにカーペット敷きに。玄関ロビーには、斜めに配した吹き寄せ障子(組子を2本1組として間隔を詰めて、組と組の間を広くとった)、廊下や客室には、和紙張りのモダンな照明など、伝統的な日本建築にモダニズムが織り交ぜられた意匠をそこかしこに見ることができる。


「旧猪股邸」——吉田五十八

▲ 上部の木製のつまみを引っ張り上げると、持ち手になる。人差し指だけで持ち
上がるほど軽い。秋田杉が使用されている。


写真のフロアスタンド「S7240」がデザインされたのは、1967年に竣工した東京の世田谷区成城にある、敷地面積563坪の「旧猪股邸」だ。

昭和初期、多くの建築家が西洋建築を取り入れたいという思いに向かっていたなかで、吉田五十八氏は日本の数寄屋建築を近代化させることを追究した。「旧猪股邸」も、近代数寄屋建築を取り入れた建物である。

「日本建築は、壁も畳も柱も、使っている材料はほとんど同じだし、色も少ない。ではどこが違うかというと、もののありどころ、プロポーション、寸法の厚いか薄いか、柱の太さ、天井の高さ、そういったものでいいか悪いかが出てくる。毛ほどの寸法の違いがそこに出てくるわけです。障子の組みぐあいにしても、五厘違ったら大変なことですよ」(『建築家吉田五十八』砂川幸雄著、晶文社)。

そう語っていた吉田氏の考える尺度の美学は、この「旧猪股邸」でも見ることができる。圧巻なのは、広間と夫人室の部屋の一面が戸を開け放つと大開口になり、美しい日本庭園の自然と室内の一体感が得られることだ。それは雨戸、網戸、ガラス戸、障子の建具が両側の壁にすべて納まる、吉田氏設計の引き込み戸により実現した。

ほかにも、低く抑えた3種の異なる屋根、板幅を多彩に違えた「やたら張り」の天井、茶室へとつながる曲折り廊下、面取りを施した障子の桟。また、引き戸に鏡を貼った姿見、つくり付けの白い戸棚のある厨房、採光のための小窓が設けられたウォークインクローゼットといった現代的で機能的な設備も多数取り入れられている。


「箱根ホテル小涌園」——吉村順三

▲ 鉄パイプや針金、和紙といった簡素な素材を駆使し、モダンで遊び心のあるフォルムを生み出した(オリジナルは4本脚のデザイン)。後ろのフロアスタンド「S7237」も、吉村氏デザインの照明を復刻したもの。


手前のフロアスタンド「S7238」は、日本におけるモダニズム建築を追求した吉村順三氏が、「箱根ホテル小涌園」を設計したときにデザインしたものだ。戦後初の大規模リゾートホテルとして、1959年に開業した建物である。

この照明は、後に住宅をはじめ、京都の「京都国際ホテル」「ホテルフジタ京都」「俵屋旅館」「文珠荘(離れの客室)」、佐賀の「大正屋」といった宿泊施設にも、少しずつデザインを変えた物が置かれた。

吉村氏はそれぞれの建物ですべての意匠を手がけたが、なかでも「箱根ホテル小涌園」では家具を100種類以上、カーペットやイスの張り地、プールサイドのパラソル、浴衣や手ぬぐい、灰皿、スリッパに至るまで、さまざまな物をデザインした。ホテル内でいちばん大事だと考えた食堂のイスは、7回にわたって試作を繰り返して完成に至ったそうだ。

製作を担った家具作家の小田原健氏は、当時のインテリアについてこう語っていた。「濃紺のカーペットが敷かれた先に白い障子とソファがあったり。ところどころ黄や朱が使われたり。とても日本的で贅沢な感性だったと思います。目で見た時の配色の美しさもあるけれども、人がその空間に入った時、生き生きと見えるような配色でした」(『住宅建築』no.373、建築資料研究社)。

「箱根ホテル小涌園」もまた、伝統的な日本建築に新しさを取り入れた建物だった。吉村氏の著書にはこう書き記されている。

「やはりいい建築というのは何か心に訴えるものがあります。それは何かというとやはり古い物の中から学ばなければ生まれてこないし、又実物の建物でなければ教えてくれないと思います。だから写真なんかではとても建築は判らないと思います。とにかく私は物の形のバランスとかは自然から、住宅のあり方というものはやはり昔のものから学ばなければならないと思います。その場合に日本のものであれば、自分と同じ血のつながりがある人が考えたものであるし、習慣も同じだし、材料も同じだし、一番よく判ると思います。(中略)私は、日本の古いものをまだまだ見直せば、世界に誇るべきそういうものが日本の古い建物の中にいっぱいあると思います」(『火と水と木の詩―私はなぜ建築家になったか』吉村順三著、新潮社)。

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京都の「佳水園」は宿泊のほか、庭園の見学も可能である。2016年11月までホテル創業125周年と宴会場「葵殿」誕生100周年を記念して、庭園の夜間ライトアップが行われている。世田谷区成城にある「旧猪股邸」は、現在、世田谷トラストまちづくりが管理する「猪股庭園」として無料で一般公開されている。

吉村氏の設計した、写真の照明がつくられた宿泊施設のなかで当時の建築意匠がほぼ残っているところには、京都の「文珠荘(離れの客室)」と佐賀の「大正屋」がある。また、吉村氏の設計事務所は現在、ギャラリーとなり、内部空間を見ることができる。

「実物の建物でなければ教えてくれない」「写真などでは建築はわからない」と吉村氏が語っていたように、ぜひ実際に空間を体感していただきたい。その空間に身を置くことで、建築家たちがどのような思いや考えでそれをつくったのかが見えてくるだろう。(文/浦川愛亜)


YAMAGIWA
※村野藤吾氏、吉田五十八氏、吉村順三氏の照明は、「和風器具」のコーナーをご覧ください
http://www.yamagiwa.co.jp

猪股庭園
http://www.setagayatm.or.jp/trust/map/pcp/

文珠荘(離れの客室)
http://www.monjusou.com

大正屋
http://www.taishoya.com

吉村順三記念ギャラリー
http://www.yoshimurajunzo.jp

佳水園
http://www.miyakohotels.ne.jp/westinkyoto/stay/room/kasuien/



浦川愛亜/エディター&ライター。岡山県生まれ。日本大学藝術学部文芸学科ジャーナリズム専攻卒。『ECIFFO』『AXIS』編集部を経て、渡伊。帰国後、『Martha Stewart』日本版編集部を経て、2003年よりフリーに。デザイン分野を中心に雑誌、書籍、ウェブメディアで活動。書籍編集に『長大作 84歳現役デザイナー』(長 大作 著、ラトルズ刊)、『あそぶ、つくる、くらす デザイナーを辞めて彫刻家になった』(五十嵐威暢 著、ラトルズ刊)などがある。