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2065年のデザインを考える難題に挑んだ「シンガプルーラル」

今年で4回目を迎えたシンガポールデザインウィーク(SDW)。3月3日〜12日までの10日間、各所で150にも及ぶ大小さまざまなイベントが開催された。
今年はメゾン・エ・オブジェ・アジア(2014〜2016年開催)が中止となったことで、アジア各国からの出展が見込めず、見どころが少なくなるのではないかと当初不安視されていた。代わりに、大きな存在感を見せたのが、シンガポール家具産業カウンシル(SFIC : Singapore Furniture Industries Council)が主催するイベント「シンガプルーラル(SingaPlural)」。その名のとおりシンガポール人のクリエーションにフォーカスし、今年6回目を迎えた。これまでのシンガプルーラルと言えば、新人デザイナーや学生らが主役となり、文化祭的なノリで新しい才能を発掘する場というイメージがあった。しかし今年は、企業や著名デザインスタジオが多く参加し、洗練されたイベントへと生まれ変わっていた。
「物語」をテーマにキュレーション 従来との違いは、ブランディングやアートディレクションなど各方面で活躍しているクリエイティブスタジオ「BLACK」を率いるジャクソン・タン(Jaxon Tan)をシンガプルーラルのキュレーターに起用したことだ。「シンガプルーラルをさらなる成功に導くため、まず新しい会場を探しました」とタン。これまでの旧警察署のレトロな建物から、F1シンガポールグランプリで使用されるピットガレージ「F1ピット」へと舞台を移した。

▲ 窓の外は、サーキットのスタート地点だ。

▲ クリエイティブディレクターであり、「BLACK」代表のジャクソン・タン。グラフィックデザイナーとしてキャリアを積み、ブランディングやアートディレクション、美術館のキュレーションなど幅広く手がける。

▲ ちなみに近くの湾岸エリアではBLACKがプロデュースした遊園地「ART-ZOO」も期間限定で公開された。

「F1ピットを選んだ理由は、イベントを成長させるために十分なスペースがあるから。広さは大事な要素です。2つ目は、ビジネスパーソンだけでなく、街の人が誰でもデザインに触れる機会をつくりたかったからです」。シンガプルーラルの会場はF1ピットの3階だが、2階では「ブティックス(Boutiques)」というファッション雑貨のマーケットが開催されていた。シンガポーリアンに人気の恒例イベントであり、入場の相乗効果を図ったと思われる。

▲ シンガプルーラルの会場。出展数も昨年の70から100へと飛躍的に数が増えた。スペースに余裕があるので、今後さらに増えていきそうだ。

ジャクソン・タンは、シンガプルーラルのテーマとして「物語ーー新しい視点(Stories – A New Perspective)」を掲げた。例えば、vol.2に登場する「共(KYO)」は、シンガポール人デザイナーが日本の伝統技術を使った製品をつくるというプロジェクトだ。タンは、同プロジェクトの人選やブランディングも担当。このように各出展者と対話しながら「物語」というテーマに沿うよう、ディレクションの目を行き渡らせた。そして良くも悪くも「ごった煮感」のあったこれまでのシンガプルーラルを、より明快で洗練された「企画展」としてグレードアップさせたのだ。

▲ 「共(KYO)」プロジェクトのブース。

建国50年を迎えて「そのときが来た」 「物語ーー新しい視点」についてもう少し説明しよう。なぜ今「物語」が大切なのか。タンは説明する。「シンガポールは2015年に建国50周年を迎えました。この国のデザインも成長を遂げ、いよいよ自分たち自身の物語を語ることのできる段階に入ったと思います。かつて私たちは異なる場所から移り住んできたため、異なる言語や声、顔を持っていました。そのため1つのシンガポールの物語を語ることは難しかったのです。50年経ってようやくそのときが来たと言えます」。

▲ シンガプルーラルの特集展示「トゥモロー」。

そのうえで、タン率いるBLACKは特集展示として「トゥモロー:私たちの未来の物語をデザインする(TOMORROW : Design Stories of Our Future)」を企画制作した。10人のデザイナーと10人のイラストレーターが対になり、「コミュニケーション/つなぐ/ファション/食/学び/生活/遊び/癒やし/旅行/労働」という10のテーマに基き、2065年のシンガポールを構想し、短編小説とビジュアルにまとめるというプロジェクトだ。若きデザイン評論家、ジャスティン・ツァン(Justin Zhuang)が本の監修とテキスト執筆を務めた。 2065年は建国100周年にあたる。現在、30代半ばのデザイナーたちが50年後のシンガポールに想いを巡らせ、ビジョンを描くというひじょうに意欲的な取り組みである。そのアウトプットを50冊限定の本にし、来場者は図書室に見立てた会場内で借りて読むことができる。あえてアナログで面倒な手続きをとるところに、「頭の中で未来と過去を行き来する」という意図がある。

▲ トゥモロー展。来場者は60〜80年代のメディア技術を通して、頭の中で未来を体験し、同時に過去にも想いを巡らせる趣向になっている。

▲ 2065年の「CONNECT(つながる)」について描かれた箇所。

▲ OHPシートやCDプレーヤーで視聴したり、自分の未来の物語をタイプライターで打ち込むコーナーもある。

会期中にはトークイベントも開かれ、トゥモロー展の参加デザイナーが自分のアイデアをプレゼンした。例えば、「労働(WORK)」というテーマに取り組んだデザイナーのウェンディ・チュア(Wendy Chua)は、未来のテクノロジーをリサーチして進化する人間の姿を考察。神経回路が直接インターフェースに接続され、横たわった状態で意のままにすべてを操作でき、しかも超長寿命の未来人。一部は火星に暮らしている。そのうえでチュアは、「そのときに必要なのは、働くためのモチベーション。なぜなら死は意味のないものになるから。何のために働くのかを考え直さなければならない。新しい職種としてモチベーショントレーナーが現れるだろう」といったアイデアを披露した。

▲ ウェンディ・チュア&グスタボ・マッジョ(forest & whale) ☓ コー・ホン・テン(Koh Hong Teng)による「WORK」のビジュアル。「イラストレーターのコー・ホン・テンとは2回対話して、最終的に映画『2001年宇宙の旅』のラストシーンをイメージしたようなビジュアルに落とし込みました」(チュア)。
▲ トゥモロー展のトークイベント。右端が評論家のジャスティン・ツァン。中央がウェンディ・チュア。
▲「旅」をテーマに想像上の「50年後のテスラ」の3Dデータを紹介するSTUCK Designのデザイナー(左)と漫画家のダン・ウォン(Dan Wong)。
▲ ふたりが「50年後はスローでエコな旅が主流に。未来のヒッピーが世界をのんびり旅しながらネットで中継している」と説明すると、会場は大ウケしていた。
10組のアイデアやビジョンはどれも斬新でユニーク、会場は聴講者たちの熱気と笑いに包まれていた。チュアは「今回はシンガプルーラルのための短期間のプロジェクトでしたが、とてもよい体験だった。テーマは広くて難しかったが、学ぶことも多かったので、今後も継続していくといいと思います」と感想を語った。 重要なのは、チュアをはじめとするトゥモロー展の参加者たちが、シンガポールや世界で活躍する第一線のクリエイターであるということだ。日本でも、学生が近未来のモビリティやコミュニケーションについて考える卒業制作などは見かけるが、経験と実績あるプロが半世紀後のビジョンをデザインするようなプロジェクトを見たことがない。この10年、政府がデザイン教育に力を注ぎ、大変な勢いで進化してきたシンガポールデザインの意識は、今や単に「もの」をつくることから、国の「未来」や「価値」をつくることへと向かっている。この展示はまさにそのような状況を象徴していた。(文・写真/今村玲子)
→次回へ続く