仕事抜きで会いに行く人と、捨てられないカレンダー

▲大分県日田市の映画館「シネマテーク・リベルテ」。右から長崎で一緒に勉強会をしたデザインディレクターの萩原 修さん、友人シンカイさん(祖先が日田の名士)、水垣千悦さん(陶芸家であり、古本仲間)、一番左が支配人の原 茂樹さん。これは2012年。

この連載のタイトルのように、動いているうちにいろんな事柄、人、ものなどのいろんなピースがはまり込んでパズルが組み上がっていくことは面白い。ただこのパズル、終わりが見えず、どんな大きさのパズルかは組み上げている自分でもわからない。

ピース集めに欠かせないのは「旅」。
どうやってものを見つけてくるのか、どうやって人と知り合うのか、と人によく聞かれる。

私の旅は、ほぼ仕事で色気も何もない。2009年のその日は、大分県日田市の工業試験場の豊田さんに試験場と日田周辺のつくり手を案内してもらうためにツアーを組んで移動していた。ツアーのメンバーは当時、四日市の窯業技術センターの研究員だった水野加奈子さん。(この人は、D&DEPARTMENTがNIPPON VISIONというプロジェクトを始めるきっかけをつくった人。綺麗で冴えたお姉さん)。そして数日前に声をかけたら「行く」と合流してくれた陶芸家の郡司庸久・慶子夫妻

試験場を出た後、常滑から地元に戻ってきた陶芸家、三笘 修さんのところに連れて行ってもらった。その三笘さんの工房で待ち受けてくれていたのが、日田で唯一の映画館「シネマテーク・リベルテ」の支配人、原 茂樹さんだった。そんなに露出をしない私に興味を持っていることでマニアックさ加減がわかるが、上映する映画も原さんらしい選び方で、着実にファンを増やしている。

それ以来、原さんとは一緒になんの仕事もしていないのに、なんとなく「会いたいなぁ」と思ってしまう数少ない人だ。福岡から日田へはバスが頻繁に出ており、福岡出張でちょっと時間が空くと日田行きのバスに乗り会いに行く。福岡から日田までは約一時間半。バスは30分おきに出ている。

▲全国的に映画館が減っている。日田もかつては映画館が最大7軒あったそう。最後の1軒が無くなる寸前に、原さんはなんの経験もなかったけれど、オーナーから支配人になるようにと白羽の矢が立ち、故郷のために引き受けた。

リベルテのショップは映画を観なくても入れる場所だ。原さんは映画も好きだけど、人が好きで、好きな人がつくったもの、関わったものばかり並べている。その中でも原さんの口から、牧野伊三夫さんの名前が頻繁に出てくる。

日田と飛騨。HITAとHIDA。かたや木材の街。かたや家具の街。そのふたつを繋げているキーパーソンのひとりが牧野さんだ。2016年12月に福岡経由でリベルテに行った際、その牧野さんが家具メーカー飛騨産業のためにつくったカレンダーがあった。工場の端材などを使用して制作した作品の写真が美しいカレンダー。

▲うちでは、壁に12枚、貼っている。行き詰まったときに見上げるとホッとする。

5月になってカレンダー?と思われるかもしれないが、この質の高さはカレンダーという機能は二の次でいい気がする(カレンダーの部分もとても控えめな大きさだし)。ものづくりに対する愛情と敬意が感じられると同時に、おそらく工場の人たちも、このカレンダーによって、自分たちが普段扱っているものが持つ輝きに改めて気付かされるのだろうと思う。

思えば、カレンダーというものは切ない。日が過ぎてしまえば用無しだ。だが、いいカレンダーはいい。そんなことを言っている間に、結局、捨てられずに、もう使えないカレンダーが今も手元に残っている。このカレンダーもこのまま取っておくつもりだ。(そして、また、荷物の山が増えるのだけど、それは根気と愛情で……)。

▲古本好きの筆者所蔵、豊田さんの大先輩の著書。装丁は日田を代表する画家・宇治山哲平だと原さんはすぐに気づいた。

《前回のおまけ写真》

▲前回最後のほうで紹介したピーナッツマンの外箱。汚れているのに思わず取っておいてしまう魅力がある。