自分らしさは環境のなかで見つけた。
ガラス作家・安土草多さんを訪ねて【前編】

▲安土草多さんのランプシェードの輝きに、多くの人が一目惚れをする。Photo by 安土草多

「わ、綺麗」。眩しい宝物を見つけたかのように目を輝かせながら呟く声を、展示会で幾度となく見ている。視線の先にあるのは、安土草多さんのガラスのランプシェード。涼しさの演出にも使われるガラスだが、草多さんのガラスはあたたかい。電球が灯ると思わず声をあげるほど、美しく光とガラスが反射し合う。
 
ガラスが好きな人に「安土」といえば、即「あの、安土さんの関係ですか?」と、聞き返されるだろう。草多さんの父である安土忠久さんのコップは、あの白洲正子さんが「へちかんだ(地元の方言で、ゆがんだ)グラス」と言って愛用したものだ。2013年に閉店した珈琲好きにその名を知られる名店、大坊珈琲も忠久さんのグラスを使っていた。


▲安土忠久さんのグラス。緑豊かな工房に伺い、撮らせていただいたもの。

問屋としてはわずかだが、忠久さんのガラスを取り扱わせていただいていた。ある時、忠久さん直々に「息子もよろしく」と言われ、2006年にリビング・デザインセンター・OZONEで企画をした「酔い器」展という企画に参加してもらった。そのときは「安土忠久さんかなぁ、と思ったけど、なんとなく違うと思ったら、息子さん?」と、尋ねるお客さまが多くいた。

草多さんは、大学で工学部を専攻。好きで入ったが、学んでみると、このまま進む気になれずに一時休学。そのあいだ、忠久さんの紹介でギャラリーオーナーや陶芸家に会いに行き、この世界の面白さを知った。そしてガラス作家になると決意する。家に戻り、忠久さんから半年ほど基本の手ほどきを受けた。

▲忠久さんの工房。息子の草多くん曰く、忠久さんは「常に吹いている人」。

しかし、工房において腕と経験がない人間は邪魔にしかならない。おまけに忠久さんはずっとアシスタントは使わず、一人で吹くスタイルで制作しているから、上手くなっても手伝いは不要だ。それでも、腕をあげるには数をこなすのが一番。ということで、草多さんは忠久さんに手伝ってもらい耐熱レンガを積んで実家の敷地内に窯をつくった。

けれど、窯があるからガラスが吹けるようになるわけではなかった。手づくりの窯は温度が一定しない。言うことをきいてくれず、10年も苦しんだという。
「父と同じ窯なのにどうして」と悩みながら吹きつづけた。

▲草多さんの工房。小さな小屋を利用しており、この写真は壁に張り付いて撮影した。

随分苦しんだと思うが、その時間に草多さんはいろいろなことを発見した。まず気が付いたのは、冷めて固まったガラスを温めながら整えていく “焼戻し”をする際、高温で焼き戻すときと低温で焼き戻すときでは口当たりが違う、ということ。一定の温度に制御された窯で吹いている人には解りえない経験だ。焼戻しの温度だけでなく、ガラスの吹き竿に付けるガラスの量、鉄の吹き竿から付着する微量な鉄成分、1日にどのくらいつくるか、どんなスピードでつくるか、様々なデータが積み重なり、ようやく「自分のガラス」ができるようになっていた。

▲草多さんもアシスタントなしで一人で吹く。今は悩むことなく、スムーズに作業は進む。

簡単にまとめてしまったが、透明なガラスで個性を出すことは本当に難しい。陶芸は土や釉薬をブレンドして独自のカラーを出すことができるが、ガラスの原料は混ぜない。混ぜると膨張率が変わり、破損などのリスクを伴うので、普通は調整された市販の原料をそのまま使うのだ。

同じ素材で、同じ構造の窯であるにも関わらず、今はまぎれもなく「安土草多」のガラスになっている。「草多さんのガラスが欲しい」ファンが世界に広がっているのは、「自分の環境でつくれるもの」が10年という歳月を掛けて草多さんの腑に落ちた結果なのだ。

▲父・忠久さんの工房を出発地点にし、草多さんは自分らしさを模索した。

草多さんの抱えた作家としてのコンプレックス。
その気持ちを解くきっかけになったものとは?
後編へ続きます。

<<前回のおまけ写真>>

淡島雅吉さんの孫・執さんのお店ShuLaboにて、他にはこんなものもいただきました。

▲Turkのフライパンでつくるラザーニャ

▲駿河湾産 桜海老とフレッシュトマトのスパゲッティ 3月〜5月

▲自家製バスク豚の香草腸詰め

▲タルトタタン クラシック