「モノが生きている」
越境する芸術と音楽。SIAF2017レポート(1/4)

問いかけからはじまる?前代未聞の芸術祭

8月6日から10月1日まで札幌国際芸術祭2017(略称:SIAF2017)が開催されている。3年ぶり2回目を迎える今年のテーマは「芸術祭ってなんだ?」。あらゆる意味で前代未聞のこの芸術祭、テーマからしてこれまで聞いたことがないほど挑戦的だ。

たしかに「これが正しい芸術祭だ」なんて言えるものはない。問いかけからはじまる本芸術祭では、あらかじめ決められた「正しさ」が提供されることはなく、つくり手と受け手がともに「芸術」とは何なのかを考えていかなければならない。

解けない問いを問い続けながらなんらかの答えを提出し、「正しさ」が意味するところを次々に変えていくことは、地域のあり方によって変容する文化を根底から支える試みにもなるだろう。その地域ならではの「芸術」をそこに住む人間と協働しながらつくり上げていくこと、それは札幌市民の声から自発的に始まった本芸術祭の基本構想だ。

▲大友良英+青山泰知+伊藤隆之「(with)without records」

大友氏が関心を寄せる「音」と「音楽」の境界線

ゲストディレクターを務めるのは連続テレビ小説「あまちゃん」の劇伴を手がけたことでも知られる音楽家・大友良英氏。実は大友氏は「あまちゃん」の遥か前から数々の劇伴を手がけていて、さらにノイズ・ミュージックというジャンルのなかでも長年にわたって活躍してきたカリスマ的な存在だ。あらかじめ決められた「正しい音楽」に対してつねにオルタナティブな可能性を提示してきた大友氏は、必然的に音と音楽の境界線へも関心を向けていくことになった。

▲大友良英氏(撮影:クスミエリカ)

音なのか音楽なのか、それをきっぱりと線引きすることはできないものの、いくつもの異なる線を引き直してみることはできる。

本芸術祭のサブテーマである「ガラクタの星座たち」に倣って言えば、廃物を廃物たらしめているのは捨てられたモノ自体というよりもそれを眺める人間からの視点であり、私たちはそれらを星座のように美的に意味付けてみせることもできるし、眼差しを取っ払ってみることで美醜の彼岸におけるモノの蠢きを感じ取ることもできるだろう。

廃物の埋め立て地から巨大な彫刻作品へと転身したモエレ沼公園が本芸術祭のひとつの象徴であり出発点となっているように、そうした「線の引き直し」がそれぞれに個性的な音を介した展示や公演から響いてくる。

▲モエレ沼公園 ガラスのピラミッド

札幌市内の広範囲に点在する展示作品や毎日のように繰り広げられているライブ・パフォーマンスのすべてを体験することはおそらく札幌市民でさえ不可能だ。むしろ本芸術祭を巡り歩いてみるとすべてを知ろうとすることの不毛さに気づかせてくれる。

だからここでは個人的な体験から得られた極私的な印象をもとに、この芸術祭がどのように面白いのかを伝えていきたい。私がまず向かったのはまちなかエリアの金市館ビルで行なわれている展示だった。

廃デパートを舞台に仕掛けられた、モノが主役の「わからないものたち」

▲梅田哲也「わからないものたち」

ファストフード店と隣接したパチンコ屋に入り、エレベーターで7階へ。扉が開くとお化け屋敷のような廃墟に直面する。1980年生まれの大阪のアーティスト、梅田哲也氏による展示作品「わからないものたち」だ。

かつてデパートだった会場は、中にあっただろう設備のほとんどが取り払われ、床も壁もところどころコンクリートが剥き出しになっている。ガラス張りの壁面やドーム状の窓からは市街地を行き交う人々が見え、また、そこから差し込んでくる陽光が廃墟となった空間を無言で照らし出す。

広々とした会場のあちこちからはさまざまな音が聴こえてくる。びちゃびちゃ水を叩く音、薄い鉄板が揺れる音、カタカタと金属が接触する音、拡声器から出る微かなノイズ、回転するスピーカーによって波形が歪む声。

▲梅田哲也「わからないものたち」

よく眺めてみると、会場中央にある小型スピーカーがひとつのスイッチになっているようだ。上向きに置かれたスピーカーの上にガラスの容れ物が置いてあり、その中に電気回路の接触部分が入れられている。スピーカーが鳴ると容れ物が振動し、中の回路が偶発的に繋がったり途切れたりするという仕掛けだ。その回路がさらに会場中の照明や音具に繋がっていて、なかには別の不確定的な変化をもたらす回路へと接続されている箇所もある。

会場の片隅にはデパートの名残りだろうか、床が青く塗装されているスペースがあり、その色の境目に柵を設けた梅田氏は、あたかも溜池にあるような桟橋を設置するとともに、水上に浮かぶ群島のようなものをこしらえた。奥の方にある島のひとつには水道用ホースが潜んでいて、来場者を歓待するように気紛れに暴れてはだんまりを決め込む。

人間のためにつくられ人間の生活に息づいていたデパートは、いまやモノとモノが交流する別の世界へと生まれ変わっている。いわばここにはモノの生態系が築かれていて、人間には統御しきれないような連関のなかから、常に変わりゆく音の環境が生み出されているのだ。

▲梅田哲也「わからないものたち」

8月18日、定山渓大橋からバスに揺られて30分、山中にある巨大構造物で梅田氏を含む3人のアーティストによるライブ・パフォーマンスが行なわれる予定だった。しかし生憎の天候不順により中止。代わりに「わからないものたち」の展示会場にてライブが開催される運びとなった。

非常に残念な事態である。埋め合わせのイベントをやられても天候を恨む気持ちは晴れなかった。しかしこの落胆が吹き飛ぶほどのパフォーマンスに私はこれから立ち会うことになる。

「ここでしか起こり得ないこと」

▲梅田哲也「わからないものたち」その2(ライブ・パフォーマンス)

旧デパートの会場内に館内放送が響き渡る。まるで迷子の知らせでも読み上げるかのように、女性が淡々とイベントの説明を続けていく。だが反響が大きくてうまく聴き取ることができない。展示作品は動いたままだ。昼の陽光が入ることのない夜の会場を照らすのは発光する展示作品だけで、暗闇と言ってもよい状況だ。

気づくと何人かの出演者たちがなにやら行動を開始した。よく目を凝らして見なければ、どれが誰なのかもわからない。すると遠くの方からフリーキーな管楽器の音色が聴こえはじめる。観衆が音の鳴る方へどっと移動したかと思いきや、今度は別のところから物音がしはじめる。

何かの破裂音、金属的なノイズ、エレクトロニクスを駆使した電子音響、いや、あれは昼間に聴いたのではなかったか? パフォーマンスと展示作品の境目が滲むように混ざり合っていく。

すると目の前に梅田氏とわかる人物が現れ、1メートルほどの煙突のようなものをバーナーで炊きはじめた。なにか砂状のものを中に入れて火力を強めると、研ぎ澄まされたサキソフォンのような響きが発生していく。それがだんだん増えていき、魔法陣のように円形に並べられ、奇妙な、しかしこのうえなく美しいハーモニーへと実を結んでいった。

地面にこぼれ落ちた砂を拾ってみるとそれはなんと米だった。米を炊いていたのか!

そうしている間にもいたるところであらゆる音が鳴り響き、観客に紛れていた7、8人の集団が演劇的な輪唱をしはじめる。呪文のような輪唱だ。そしてすべての観客が帰るまで輪唱だけが延々と続けられていったのだった。

展示作品とライブ・パフォーマンスのコラボレーション、そしてこの廃デパートにしか生まれ得ない未曾有の音響空間、終わる頃には山中の巨大構造物などすっかり忘れ、ここで行なわれるためにこそ、このパフォーマンスがあったのだという確信を強く抱いていた。

▲梅田哲也「わからないものたち」その2(ライブ・パフォーマンス)

○次回は堀尾寛太氏と毛利悠子氏の展示について。お楽しみに。

札幌国際芸術祭2017 開催概要

開催期間
2017年8月6日(日)- 10月1日(日)
主催
札幌国際芸術祭実行委員会/札幌市
公式HP
http://siaf.jp