「モノが生きている」
越境する芸術と音楽。SIAF2017レポート(2/4)

○SIAF2017のイントロダクション・梅田哲也氏についての記事はこちら

第1回で紹介した梅田哲也氏の展示は「モノが生きている」とでも言うべき奇妙な作品だった。全く別の方法で、しかし同じようにモノの世界を生み出したふたりのアーティストが、札幌国際芸術祭2017(略称:SIAF2017)には参加している。

生き物のような廃ビルでの強烈な体験

▲堀尾寛太「補間」

碁盤の目状に区画整理された札幌市街地の、駅からしばらく歩いたところにある通り沿いに、解体を待つビルがひっそりと佇んでいる。駐車場のような薄暗い倉庫。ここが堀尾寛太氏の「補間」の展示会場の入り口となっている。

堀尾氏は1978年生まれ、東京を拠点にエンジニアとしても活躍するアーティストだ。

中に入るとシャッターは閉められ、受付のスタッフに隅にある朽ちかけた階段を案内される。そこを上るとがらんとしたユニフォーム製造所の跡地が現れる。どこに展示作品があるのだろうとあたりを探っていると、突然、地鳴りのような響きとともに何かが始まった。ビル全体が生き物のように動き出す感覚に陥る。

からくりの仕掛けはおそらくこうだ。店内の防火シャッターが閉まり、そこに付けられたロープが会場をぐるりと周回しながら引っ張られ、1階へと垂れ下がった先に縛り付けられた避難器具用の鉄製カバンが吊り上げられていく。シャッターが完全に閉まると鉄製カバンは1階と2階の間にある照明器具と接触し、さらにロープに括り付けられた鈴が移動してチリンチリンと動作完了の合図を鳴らす。

▲堀尾寛太「補間」

地下室も会場になっているということでそこにも足を運ぼうとすると、階段の前で待ち構えていたスタッフから「非常に刺激が強いため、あらかじめご了承ください」と忠告を受ける。恐る恐る降りてみると、蛍光灯のような何かがバチバチと鳴りながら強烈な明滅を繰り返していた。あまりにも激しい光で会場内がどうなっているのかよくわからない。

先ほどビルを生き物に喩えたが、ここで見たものは生体の心臓部、あるいは意識の奥底にあって生体を衝き動かす欲動のようにも思える。

梅田哲也氏の「わからないものたち」が廃墟にモノの世界を築いていたのに対して、堀尾氏のこの作品は廃ビルそれ自体を蘇らせたかのようだ。

光が私たちに何かを知らせる、作品「テレグラフ」

▲堀尾寛太「補間」

堀尾氏のもうひとつの展示作品「テレグラフ」は、市街地から西南にバスで移動し、ロープウェイとケーブルカーを乗り継いだところにある藻岩山の山頂に設置されている。藻岩山は市の中心部から日帰りで登ることもできる札幌ならではの珍しい山だ。

夏休み期間中は観光客が詰めかけていて山を登るだけでもひと苦労なのだが、この作品は市街地から眺めることもできるので必ずしも山頂を訪れる必要はない。だがせっかくなので現地に赴いてみた。

山中にあったのは、風に煽られて回転する白色ライトがスイッチになることで、偶発的に赤緑青に発光するという作品だ。一斗缶を用いたインダストリアルなサウンドも森の中から聴こえてくる。これは近づいてみないとわからない演出だ。

▲堀尾寛太「テレグラフ」

山頂から眺める市街地の風景は非常に美しく、それと同じ土俵で捉えてしまえば「テレグラフ」はなんともちっぽけで、取るに足らないようにも映ってしまう。だが市街地の美しさが記号化された「夜景」のワン・バージョンに見えてしまうのに対して、この作品はもっと不気味で得体が知れなくて、えも言われぬ感覚に陥らせてくれる。

帰りのロープウェイで、藻岩山はアイヌ民族から「インカルシペ(登って見張る場所)」と呼ばれていたという説明を聞いた。なにか異変が生じたとき、彼ら/彼女らはどのようにそれを地上に知らせたのだろうか。

夜景の美しさを眺めるだけでは見過ごしがちな人々の記憶が、電信機と名付けられた作品が市街地になにごとかを届けることに想いを馳せるとき、ふっと脳裏をかすめていった。

ささやかな響きに耳を澄ます、140mの空中回廊に浮かぶ展示

▲札幌芸術の森エリア入り口

札幌国際芸術祭2017の目玉とされているふたつの会場が、駅から北に15kmほど離れたところにあるモエレ沼公園であり、南に同程度離れたところにある札幌芸術の森だ。後者のエリアにある札幌市立大学芸術の森キャンパスに、毛利悠子氏の「そよぎ またはエコー」が展示されている。

東京を拠点に活動する1980年生まれの毛利氏は現在世界中から注目を集めている美術家で、昨年度の芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞してもいる。今回彼女が手がけた作品は、建築家・清家清氏の設計による長大な空中回廊「スカイウェイ」に設置されていて、全長約140mにも及ぶ細長い会場の空間特性を活かしたサイト・スペシフィックなものとなっている。

▲毛利悠子「そよぎ またはエコー」

会場に足を踏み入れてまず耳に飛び込んでくるのは流麗なピアノの旋律だ。札幌国際芸術祭の第一回のゲストディレクターを務めた坂本龍一氏による作曲作品で、それがピアノの自動演奏によって奏でられている。

もうひとつ耳に入ってくるのは英詩を朗読する声。こちらは彫刻家・砂澤ビッキ氏の日本語詩を英訳したもので、「四つの風」と題された砂澤氏自身の彫刻作品がモチーフになっている。

「四つの風」は札幌芸術の森野外美術館に設置されている木製の作品で、風雪にさらされて朽ちていくがままに放り出されている。もともと4本あったという作品の柱は現在では1本のみを残して倒壊してしまった。日本の庭園が四季の変化によってその姿形を変えていくように、彼の彫刻も移ろいゆく儚さに身を委ねている。

歩を進めていくと会場の反対側からも同じピアノの旋律と詩の朗読が聴こえてくることに気づく。だがなにしろ140mもの距離があるので、それらのサウンドはぴったりと重なることがなく、エコーのような遅れを伴って響いている。

ふと脇に目を逸らしてみると、打ち捨てられたピアノが横に倒され、剥き出しの弦に銅線のようなものが張られている。あるいは小さな金属が碍子(がいし)に当たってカチカチと鳴っている。

▲毛利悠子「そよぎ またはエコー」

碍子というのは電線を鉄塔に固定する際に絶縁体として用いられる円形の陶磁器のことだ。その響きは非常にささやかなものであり、少し離れると聴こえなくなってしまう。しかし今度は別の音具が姿を現す。電磁石の上に磁石が紐で吊るされていて、その紐の上のほうに鈴が括り付けられているのだ。しばらくすると電磁石に電流が流れ、ゆらゆらと揺れていた紐が磁力によってピンと張られ、その動きで鈴がチリンと鳴らされる。これもささやかな響きだ。

そうしてその場所ごとに異なる響きと出会いながら、ピアノの旋律と朗読する声のディレイの間隔は徐々に変化していく。

▲毛利悠子「そよぎ またはエコー」

会場の端にたどり着くと、陽光に照らされたピアノが美しく佇んでいる。ピアノの上にはゆっくりと巻き取られていく帯状のロール紙が設置されている。かつて毛利氏の展示作品「I/O(アイ・オー)」では、紙が偶然こすり取った床の汚れを楽譜に見立ててその他の音具を作動させていたのだが、今回もそうした役割を担っているのだろうか。

そんなことを考えながら耳を澄ませてみると、エコーを生み出していたピアノの旋律がここにきてぴったりと一致していることに気づく。ディレイからユニゾンへ、140mの歩廊を移動する歩みが音楽的な解決をもたらす仕掛けにもなっていたのだ。

SIAF2017に広がる、価値判断以前のモノの世界

梅田哲也氏や堀尾寛太氏と同じく、毛利悠子氏は建造物を圧倒的な想像力によって見たことも聞いたこともない空間へと仕立て上げている。

そこは人間が人間のためにつくり出した空間というよりも、人間による価値判断の手前でモノとモノの交わる世界であり、廃物として誰にも顧みられなくなったピアノや碍子や街灯が、私たちが意味付けることから遠く離れたところで生き生きと蠢いている。

○次回はまだまだある、SIAF2017の印象的な展示などをレポート予定!

札幌国際芸術祭2017 開催概要

開催期間
2017年8月6日(日)- 10月1日(日)
主催
札幌国際芸術祭実行委員会/札幌市
公式HP
http://siaf.jp