「デザインシンキングなんて糞食らえ」。
ペンタグラムのナターシャ・ジェンが投げかける疑問

「デザインシンキング」もしくは「デザイン思考」は、日本のデザイン界でもビジネス界でもここ数年、注目されている考え方だ。一方で、「デザインシンキングなんて糞食らえ」というひじょうにショッキングなタイトルの講演が、現在、アメリカを中心に話題になっている。トークの主はナターシャ・ジェン(Natasha Jen)。彼女はペンタグラム・ニューヨークのパートナーでもあるグラフィックデザイナーだ。ペンタグラムは、ロンドン、ニューヨーク、テキサス州オースティン、ベルリンにオフィスを構える世界有数のデザイン事務所。名だたる企業のロゴやブランドアイデンティティをはじめ、パッケージデザインやミュージアムのインテリアなど、幅広いプロジェクトを手がける有名オフィスと言える。

ナターシャ・ジェンは、ハーバードやイェール大学、ロードアイランド・スクール・オブ・ デザインで教鞭をとる教育者でもある。2017年のアドビ主催のカンファレンス「99U」で初めてこの講演を行い、今年3月の南アフリカでのカンフェレンス「デザイン・インダバ」ではジェンの歯に衣着せぬ物言いもあってか、「よくぞ、誰も表立って言わないことを語ってくれた」と彼女に駆け寄る観客がいたほど盛り上がった。

ここではデザイン・インダバの講演をもとに、「デザインシンキングなんて糞食らえ」の内容を紐解いていく。

▲2017年のアドビ主催のカンファレンス「99U」より

単純明快な5ステップで、すべての問題を解決できるのか

まず、ジェンは冒頭で、「デザインシンキングについて考えはじめると、なぜ自分がデザインシンキングを理解できないのかがわからなくなるほど悩みます」と語りはじめた。

「現在のデザインシンキングを定義するとしたら、デザインのプロセスを公式化して、本来デザイナーではない人々がステップを踏みながら、課題に対してクリエイティブな解決方法を見つけ出し、デザイナーのように仕事をするためのパッケージと言えます。このパッケージは誰でもどんな問題にも適用できると語られています」。

デザインシンキングに関する書籍などを見ると、デザインのプロセスを「empathize, define, ideate, prototype, test」という5つのシンプルなステップに分解している。デザイナー以外の人たちにもわかりやすくするためだが、ジェンはこの単純明快さと万能性に疑問を投げかける。

「デザインシンキングをググると、必ずと言っていいほど、5ステップでできた六角形のダイアグラムが出てきます。私には、なぜ六角形なのか理解できませんが(笑)、そもそもこのようなシンプルな方法ですべての問題を解決できるとみなさんは思いますか? デザイナーならば、公式から生まれるデザインは標準的なものしか導かないと知っていますし、そこからベストなデザインが生まれるとは思わないでしょう」。

続けて、「プロのデザイナーは通常、5つ目のプロトタイプをテストする前に、自らの案を分析・批評する『crit』というステップを踏むはずです。批評なしに提案の有効性を判断できないからです。批評と改良を繰り返すことで、良いデザインは生まれます。現在のデザインシンキングには、それがまるごと抜けていると思います」。

デザインのツールは付箋だけ?

デザインシンキングの説明では、六角形のダイアグラムの横に、これまた必ずと言っていいほど、カラフルな付箋で埋め尽くされたホワイトボードの写真が添えられている。ホワイトボードを囲んで人々が話し合うというお決まりの光景だが、ジェンはこの姿にも違和感を感じると言うのだ。

「私たちの暮らす現実の世界は、雑然かつ混沌としています。その中でデザイナーは、できるだけ物事を総体的に理解しようと努めます。私たちのオフィスもそうですが、通常のデザインスタジオはイメージやテキスト、オブジェといったインスピレーションを想起させるようなものに溢れています。デザイナーは常にエビデンス(証拠)とともに活動しているからです。だからこそ、ツールを付箋に限ってしまうのは問題だと思います」。

これが本当にデザインシンキングの成果なのか?

デザインシンキングが語られるときの言葉も、ジェンが気になることのひとつだ。

「いわゆるバズワードでいっぱいです。『ラディカルイノベーション』『ボディストーミング』など、日ごろデザイナーが使う言葉ではありませんし、私はその意味もわかりません。現場で仕事をしているデザイナーは、魅力的な言葉ではないかもしれませんが、もっとわかりやすく語るものです」。

ジェンはこう語りながら、壇上のスクリーンにデザインシンキングを説明する際の言葉と、実際にデザイナーが用いる言葉を並べて示し、人々がバズワードに踊らされていると指摘した。

▲上がデザインシンキングが語られるときの言葉、下が実際にデザイナーが仕事で使う言葉

加えて、デザインシンキングとその成果物が結びついていないことも問題視する。

「デザインシンキングのトークでは理想論や仮説が多く、実例に乏しいと思います。ごくたまに実例が挙がりますが、本当にこれがデザインシンキングの成果なのかと驚かされる作品が多いのです」。

そして、彼女は、GEヘルスケアの小児用CTスキャンを例に挙げた。

「これが、本当にデザインシンキングの結果なのでしょうか? ちょっと、待ってくださいよ。子ども用の医療機器だからトラさんの絵を壁に描くなんて、わざわざデザインシンキングの5ステップを踏まなくても、頭に浮かびますよね?」。

その他にも、P&Gがエイジングケアのクリームのシェアを伸ばすためにデザインシンキングを行った結果、広告モデルの年齢を若くしたという例を挙げて会場の笑いを誘ったが、彼女は決して各社の製品を批判しているわけではない。デザインシンキングの成功例という点に疑問を呈しているのだ。

教育者として見たデザインシンキング

デザインシンキングに対して批判的な意見を持つジェンだが、その歴史には一転してポジティブだ。

「デザインシンキングは、科学者のハーバート・A・サイモンが自著『ザ・サイエンス・オブ・アーティフィシャル』(1969年)で、エンジニアのロバート・マッキムが『エクスペリエンス・イン・ビジュアル・シンキング』(1972年)において、考え方のひとつの手段としてデザインを提唱したことに始まります。これを建築家のブライアン・ローソンが実際の建築に活用し、ジャーナリストのナイジェル・クロスがさらに教育に持ち込んで、より広範囲のオーディエンスを得ていくなかで、ハーバード大学の建築家ピーター・ロエが『デザインシンキング』という本を出版。そこで初めてデザインシンキングという言葉が生まれたのです。やがて、スタンフォード大学のロルフ・フェイスト教授が、デザインシンキングをカリキュラムに加えていきました……」。 

自らも教育者らしく、デザインシンキング創世の20年間を図表とともに説明したジェンは、最後に大手デザインファーム、IDEOのデヴィッド・ケリーが、1990年代にデザインシンキングのビジネスコースを始めたことを付け加えた。それから20年後、ケリーの後継者であるIDEOのティム・ブラウンを中心にデザインシンキングという言葉が聞かれはじめ、2013年、『クリエイティブ・コンフィデンス(邦題『クリエイティブ・マインドセット』)が出版されるや、急激にその認知度は上がり、多くの人々がデザインシンキングに飛びついたと言うのだ。

その理由のひとつとして、2007年の世界金融危機により、多くの企業プロジェクトが打ち切られ、デザイナーの仕事が激減していったことを挙げる。デザイナーの中にはモノのデザインではなく、デザインの考え方やプロセスによって閉塞した経済状況を打破しようと、デザインシンキングという魔法の言葉に飛びついた者が多かったと説く。

「IDEOのケリーやブラウンの流れを組む者、ドイツのフロッグデザインは、デザインシンキングを当初から牽引してきた存在として評価します。ただ、世界中には彼らに続くデザインコンサルタントが、さらにいっぱい出てきています。この光景を見るにつけ、私はこのような事務所の歳入を心配せずにいられません。なぜなら、この手のプロジェクトに多額の報酬を払うクライアントが、世界的に多いとは思えないからです」。

ビジネスコンサルタント化したデザイン事務所が増えていくなか、ジェンがいちばん心を痛めているのは、最近、流行っているデザインシンキングのワークショップやセミナーだ。欧米では「デザインシンキング・ブートキャンプ」と呼ばれる1〜2日間の催しに、人々や企業は何百ドル、何千ドルも払って参加している。

「こんな短期間に容易に学べるメソッドで、参加者は本当にすべての問題を解決できるのでしょうか? そもそも、こんなに容易にデザイナーになれるのでしょうか? 私にはまるでトレーニングはしたくないけれど、オリンピック選手になりたいと言っているように聞こえます。この容易さこそ、教育者としてひじょうに危険な考えだと思わざるを得ないのです」。


日本にデザインシンキングは必要か

「デザインシンキングなんて糞食らえ」を発表して以来、ジェンのもとには座談会などの依頼が舞い込み、最近では彼女の考えに賛同した若い学者リー・ヴィンセル(Lee Vinsel)が現れ、デザインシンキングへの疑問や議論熱は米国で少しずつ高まりつつあるようだ。これに対し、デザインシンキングの信奉者は口を閉ざしているだけでなく、「デザインシンキングとデザインは別物だ」という発言がしばしば聞かれるという。

「彼らは、私に対して真正面から意見を言うことから逃げていると思います。私は、決して壇上で彼らと泥試合をしたいと思っているわけではありません。むしろ、私はデザインシンキングの成功例を、信奉者から教えて欲しいと思っているだけなのです。また、世界の中で日本ほど繊細でヒューマンセンタードデザインが確立しているデザインを生み出している国はありません。これはレベルの高いデザインの考え方が、どこの国よりも浸透しているからでしょう。そんな国が、今さらデザインシンキングを学び直す必要があるのでしょうか? デザインシンキングは、本来、デザインというものに対して自信のない人たちが対象なのですから」。

デザイナーは自分の仕事に情熱を抱き、時にぶつかることがあるクライアントに対しても自らの考えを説くものだが、ジェンほど人々の前で信念を語り、それによって受ける批判も受けて立つ勇気のある女性を見たことがない。デザインシンキングに対しては、デザイナーなら誰でも賛否両論あるはずだが、「今まで、きちんとした批判や議論が起こらなかったことに苛立ちすら感じます」と語るジェンは、最後にこう締めくくった。

「実例をもって、デザインシンキングの有効性を私に証明してください。それを心待ちにしています」。

どのような話題であれ、活発な議論が起こることこそが、デザインシーンをより面白くするはずだ。当のジェンもそれを期待しているに違いない。End

▲デザイン・インダバでのカンファレンス「Design Thinking is Bullshit」より


ナターシャ・ジェン Natasha Jen/台北生まれ。2012年より、ペンタグラム・ニューヨークのパートナーとして活躍するグラフィックデザイナー。メトロポリタン博物館、ナイキ、プーマ、OMA/AMO、シャネルといったバラエティに富むクライアントを抱え、最近はテック系企業からも依頼が多いという。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツでは教員として、ハーバード大学、イェール大学、クーパーユニオン、ロードアイランド・スクール・オブ・ デザインではデザイン批評の教鞭をとる教育者としても知られている。