バウハウス100周年記念
「Learning From」展がサンパウロで開催中
アフリカや中南米の文化からの影響を再考する展覧会

▲パウル・クレー作「カーペット」(1927年)。 Hans Snoeck Private Collection, New York / photo by Edward Watkins

1919年に当時のドイツ国ワイマールで創立した美術学校「バウハウス」。その活動期間は、14年間と短いものであったが、世界のデザインや建築に大きな影響を与えたことで、今なおその功績が語り継がれる。来年、創立から100周年を迎えるにあたって記念イベント「バウハウス・イマジニスタ」が現在、世界9カ国10都市を舞台に開催されている。日本では今年8月から10月初旬にかけてシンポジウム(東京・ドイツ文化センター)と、展覧会「バウハウスへの応答」(京都・国立近代美術館)が行われた。

この国際巡回イベントは、「Learning From(~から学ぶ)」、「Moving Away(離れる)」、「Corresponding With(~との一致)」、「Still Undead(未だ絶えず)」という4カテゴリのもとに展開されており、日本での企画は「Corresponding With」にあたる。

さて、筆者が暮らすブラジル・サンパウロでは10月末より「Learning From」展が開催中だ。本展はバウハウス関係者が非西洋文化から何を学び、アフリカや中南米のクリエイターがバウハウスから何を習得したかの相互学習の過程や成果に着目し、写真や印刷物の資料や、陶芸、テキスタイル、デッサンなどの作品を約300点展示している。

▲「バウハウス・イマジニスタ:ラーニング・フロム」サンパウロ展の展示風景。

非西洋文化からの学び

バウハウスは近代建築の巨匠と称えられるヴァルター・グロピウス(創始者)とミース・ファン・デル・ローエ(第3代校長)が率いたことなどから、モダニズムの象徴として語られてきた。しかし、アフリカやアンデスの装飾パターンや手作業による技術を、近代的なデザインに取り入れるべく、調査と研究を行ったバウハウス関係者がいたことは、あまり紹介されてこなかったかもしれない。

▲パウル・クレー作「カーペット」(1927年)。

本展覧会は、バウハウスで10年間教鞭を執った画家パウル・クレーの小さなペン画「カーペット」(1927年)に始まる。幾何学模様の連続のようにも見えるこの作品について、クレーは北アフリカのカーペットに着想を得たと語っている。クレーは、1914年に画家仲間とチュニジアを旅しているが、この旅は、色彩の変化と抽象画への傾倒においてクレーのその後の作風に大きな変化を与えたとされている。非西洋文化との出会いがアーティストに与えたインパクトと創作への影響の大きさを物語る作品と逸話だ。

バウハウスの最初の学生で、後にナチの迫害から逃れるためにカリフォルニアに移住したマーゲリーテ・ウィルデンハインは、アメリカを代表する陶芸家のひとりだ。バウハウス時代には、形態教師ゲルハルト・マルクスと工作教師マックス・クレハンに指導を受け、アメリカ移住後には中南米の先住民文化に注目して、メキシコ、ペルー、エクアドル、コロンビアなどへたびたび調査に出かけた。本展覧会ではウィルデンハインの数々の陶芸作品が、旅のスケッチや収集した先コロンブス期の物品とともに展示された。

▲中南米をしばしば調査に訪れた陶芸家マルゲリーテ・ウィルデンハインの作品。

バウハウス教師ラースロー・モホリ=ナジのパートナーにして、移住先のシカゴで戦後に建築史家となったシビル・モホリ=ナジは、それまでアメリカの大学が研究対象としてこなかった先住民の集落や初期ヨーロッパ入植者の住宅の類型学的な研究を行い、1957年に著書「Native Genius in Anonymous Architecture in North America(北アメリカのアノニマス建築における土着的特質)」を発表した。

60年代にはモダニズム建築のカウンターカルチャーとしてその土地や地域固有の風土のなかで培われてきた建築を指す、ヴァナキュラー建築への関心が高まるが、本書はこの関心を先駆ける建築史の名著のひとつに数えられている。本展では、この著書のぺージをめくりながら朗読する映像がループ再生で上映されていた。

▲「Native Genius in Anonymous Architecture in North America」を紹介した映像。

ブラジルに残した影響の数々

本展の会場SESCポンペイアは、建築家リナ・ボ・バルディが、ドラム缶工場から改築した、ブラジルの代表的なリノベーション建築だ。イタリア出身で、サンパウロで活動したバルディは、サンパウロ美術館(MASP)を設計したことで世界的に知られる。バルディらが1951年にMASP内に創設した現代アート・インスティテュート(IAC)は、ブラジルで初の工業デザイン学校で、その教育方針はバウハウスに基づくものであった。バルディは伝統的な手工芸をブラジルの工業デザインの基礎とすることを提唱し、ブラジル各地の大衆的な日用雑貨を収集した。

▲展覧会が行われたSESCポンペイアはリナ・ボ・バルディの代表的なリノベーション建築だ。

このバルディのコレクションを含む本展ブラジル・セクションはバウハウスから影響を受けたブラジル人クリエイターの仕事を紹介するコーナーで、サンパウロ美術館、バルディ財団などのキュレーションを手がけてきた若きキュレーターのルイーザ・プロエンサがその調査を担った。

ブラジル・セクションではアート集団「グルーポ・フレンチ」の作品が紹介されている。リオ・デ・ジャネイロで1952年から12年間にわたって活動したこのグループには、エリオ・オイチシカやリジア・クラーク、リジア・パペなど世界的に著名なアーティストが在籍していた。

▲アート集団「グルーポ・フレンチ」の作品を紹介したパネル。

▲左はリジア・パペの「無題」(1957年)で右はエリオ・オイチシカの「無題」(1957年)。

グループ主宰者のイヴァン・セルパは、幾何学的抽象に没頭したアーティストだった。また、リオ・デ・ジャネイロ近代美術館の美術学校で教師も務めたが、セルパの教育方針は、バウハウスに基づいたものであったそうだ。

「セルパは、バウハウス出身のマックス・ビルに大いに感化されました。ふたりとも第1回サンパウロ・ビエンナーレの受賞者だったのです。ビルがブラジルのアートや建築、デザインに与えた影響は計り知れません」とリサーチャーのプロエンサは語る。

ビルは、ビエンナーレと同年の1951年にサンパウロ美術館で回顧展を行っているが、この展覧会は、ブラジルでの構造主義の夜明けと呼ぶべきインパクトを当地のアート界に与えたそうだ。また作品だけでなく、ブラジルのモダン建築を「無責任」、「野蛮」と評し、オスカー・ニーマイヤーの建築を酷評するなど歯に衣着せぬ発言も物議を醸した。

100周年にはベルリンで一挙公開

世界のモダニズムの推進に大きな影響を及ぼしたバウハウスだったが、「Learning From」展では、前衛的なプロダクトデザインや建築は紹介されていない。本展が主に示したのは、バウハウス関係者が、西洋の伝統にはない造形的な独創性を非西洋文化に見出し、いかにそれを自らの創作に生かしたかという姿勢だ。

ヨーロッパのアーティストに見られる非西洋文化からの影響といえば、ゴーギャンがタヒチに、あるいはピカソがアフリカに創作の源を求めた近代絵画史が思い出される。そのプリミティビスムの影響下で、バウハウスにもまた、非西洋文化の「発見」からの創造という、当時のひとつの潮流に沿った面があったことを本展は示した。創作の舞台裏というべき学びの一面に焦点を当てたことにより、今後のバウハウス論に大きく影響しそうだ。

▲織物デザイナーのレナ・バーグナーによる手織り機のスケッチ。

▲ファイバーアート作家レノア・タウニーによる北米インディアンのアートに関するメモ書きなど。

さて、100周年となる来年3月にはベルリンの世界文化の家で巡回イベントを締めくくる「Still Undead」展が開催される。同展では、この「Learning From」を含め、世界で行われた展示をひとつにまとめて公開される予定だ。

バウハウス・イマジニスタ: Learning From展

会期
2018年10月25日~2019年1月6日
会場
SESC ポンペイア(Clélia, 93-Pompeia, São Paulo-SP, 05042-000, Brazil)
開館時間
火~金:10時~21時30分、土、日、祝日:10時~18時(月曜定休)