シャネルが認めた奇才アーティスト、ジャン=ポール・グード インタビュー


1990年、シャネルはタブーに挑むかのような男性用フレグランスを発表した。そのCM映像を手がけたのが、前年のフランス革命200周年記念セレモニーの演出でも注目されたジャン=ポール・グードさんだった。女性たちが邸宅の窓を開け放ちながら「エゴイスト」と叫ぶセンセーショナルな映像は、大きなインパクトを与えた。以来30年近くにわたり、グードさんはシャネルの広告を手がけている。グードさんにとってシャネルは「ガールフレンド」。イメージのみならず、言葉も鮮やかに紡ぎ出す人である。

「エゴイスト」に始まるシャネルとの共創

世界をリードするブランドとアーティストが互いに刺激を与えながら、30年近くの共創関係を維持するというのは、稀有な例と言えるだろう。シャネルとの仕事の始まりとなった「エゴイスト」の広告は、実に鮮烈だった。エゴイストとは利己主義、自己中心的といったネガティブな印象を与える言葉だが、あえてそれを選び、ジャン=ポール・グードさんはそこにシャネルらしいエスプリを利かせて広告を成立させた。

そのアイデアは、10年前から温めていたという。アラブ系の友人の女性から聞いた話をベースにしている。ムスリムの女性は厳しい戒律で自由に外を出歩くことを禁じられているため、いつも窓から街の通りを眺めている。時折、気に入らないことがあると、窓を開けて叫ぶ。「エゴイズムに関することをやらないかとシャネルに言われたときは、風変わりに思ったけどね」とグードさん。でもすぐにムスリムの女性をモチーフに、男性のエゴイズムに対する女性の怒りをオペラに仕立てようと思いつく。以後、歌手で女優のヴァネッサ・パラディを起用した「ココ」、キャロル・ブーケの「シャネル No.5」など、話題作をつくり続けた。

グードさんの作品はグラマラスでアイロニーに富む。強いインパクトもある。それがゆえ、時にはアイデアを受け入れないクライアントもいるという。「シャネルは、長年私を愛してくれているから、表現も受け入れられやすくなった」とグードさん。だから「シャネルはガールフレンド」だと笑う。「シャネルと働けるということは素晴らしい。彼らがクレイジーなんです」。

▲今回の新作となった「ストーミー ウェザー」。下界に一時降りてきたココが鳥カゴでせわしなく羽ばたきながら、たくさんのアドバイスを皆にしている様子を表現している。Photo by Yoshiaki Tsutsui

昨年末、銀座のシャネル・ネクサス・ホールで開催された個展「In Goude we trust!」では、ココ・シャネルの亡霊を登場させた。鳥カゴに小さなココの映像を映し出し、小鳥のように羽ばたかせる奇想天外な作品は、大きな反響を呼んだ。

「どうやって面白いことができるか、これは冒険なんです」。ココは生前、天国に行ったら天使にも服をつくりたいと語っていたという。「彼女が楽園から一時戻ってきた。でもすごく忙しい。なぜなら天使に着付けしなければならないから」。小鳥のココは遊び心に満ちている。そのウイットこそココの精神そのものであり、メタファーにも通じる。「彼女が見たら、このアイデアを喜んでくれたと確信しています」。ココ・シャネルは大きな存在である。リスペクトしながらも、それだけにとらわれると創造性は発揮しにくくなる。「あまりにも敬意を払いすぎると、何も起こらないのです」とグードさんは言う。

クライアントを誘惑できるかどうか

グードさんは「希代のイメージメーカー」「奇才」と称される。ユニークなアイデアは、しばしば不採用となる。「いつものことです。それが仕事の一部になっているほど。ポートフォリオには、できなかったプランがたくさんストックされています」。時折、そのポートフォリオを見返し、かつてのアイデアを「悪くないな」と見つけ出して利用している。

広告の仕事は、アイデアをドローイングとして描き、クライアントにプレゼンテーションすることから始まる。「本当のパフォーマンスは、クライアントを誘惑すること。友人のように自分側に引き入れること」。しかし、それは同時に危険なことでもある。クライアントとクリエイターでは創造する動機が異なるためで、どれほど理解あるクライアントであっても幻想は抱かずに、あくまでよいデザイナーであることに軸を置くべきだと指摘する。

映像を用いた広告では、基本のアイデアが固まったら、カメラやシーンごとに再びドローイングを描き、それをもとにクライアントと変更するべきところを仔細に検討していく。「応用芸術というのは、コミュニケーションがなければ成立しません。このプロセスをとらないクリエイターが多いのに驚きますが、私にとってはこれが実践的な方法なのです」。

▲アートとデザイン、映像、音楽、ダンスとともに歩んできたグードさん。一昨年、ポンピドゥ・センターでも展示された、創作イメージを投影した巨大なパノラマパネルの前で、リズミカルにポージング。チャーミングな素顔も見せてくれた。Photo by Yoshiaki Tsutsui

作品の根底にあるもの

グードさんは、音楽やパフォーマンス、ダンスを愛し、スタイルというものを大事にしてきた。個性の萌芽は、幼き日に遡る。アーティストでありダンサーである母親に、「人生は、誰かを模倣するにはあまりにも短い。もしアーティストになるのであれば、自分の人生を生きなさい、と言われました。でもこれを実践するのは容易なことではないのです」。

実際に、誰かの影響を受けたいという誘惑に駆られたこともあったし、自分のインスピレーションを保つことの難しさに頭を悩ませたこともあったと、飾らない思いを吐露する。また、アイデアが浮かばずに、途方に暮れることもあるという。

「自分はどちらかと言うと、アイデアマンではないから。アイデアが浮かばないときが最悪の瞬間で、病気にもなります」。3日間考え続け、本を眺め、ディスカッションし、ようやくアイデアが出てくることもある。

▲ダンサーが座り、鏡に向かうと亡霊が映るイメージ作品。2001年のシャネルのジュエリーコレクションで発表された。Photo by Yoshiaki Tsutsui

しかし「もし私が、何か探し回りながらコピーしようとしたら、その瞬間から、作品は弱くなるでしょう。私には独自のものの見方がある。自分自身でいること、そこから作品をつくり続けるかぎり、キャリアが危険にさらされることはないのです」。そしてこうも付け加えた。「話をするということは、覚悟を伴うということ。言葉で語る分、それに見合った質を作品に伴わせないといけない」。説明して共感させるのではなく、説明する以上、心を動かす質が作品になくてはならないという矜持である。


Photo by Yoshiaki Tsutsui

キャリアのスタートは、プランタン百貨店のイラストレーターとしての仕事だった。作風はアメリカ的なものではなかったが雑誌「エスクァイア」の目に留まり、30歳で専属のイラストレーター、アートディレクターとして渡米した。ハロルド・ヘイズら、当時の敏腕編集者のもとで経験を積み、輝かしいアメリカン・ジャーナリズムに触れたことも糧となった。

作品には、すべてアイロニーを込めてきた。ポスターをつくるときにもメッセージを込める。「私がいる世界は『魅せる』世界であり、虚飾的で、表面的です。一方で、パリ郊外に住む人々は、ファッションにお金をかけて着飾るなんてばかげていると思っている。そういう人々に、ファッションは罪なことではないと容認させるために、ユーモアのセンスを取り入れてきました」。

早くから人間の多様性、とりわけ非ヨーロッパ的な民族の美しさに関心を寄せた作品をつくってきたが、昨今はそれが急進的な論者にゆがめて解釈され、批判されることもあるという。「弾圧の傾向はアメリカからフランスへと広がっています。それはひとつのトレンドで、制御不能です。私もその状況で生き抜かなければならない」。最後に成功への秘訣を聞くと「いい仕事をすること。苦しむのはよくない。ハッピーでいて、家には笑顔で帰ること」。それが、硬直化しつつある世界を変えていく。文/石黒知子End

ジャン=ポール・グード/1940年アイルランド系アメリカ人の母とフランス人の父のもとに生まれる。パリの国立高等装飾美術大学で学び、30歳で「エスクァイア」誌のアートディレクターを務める。70年代後半にモデルのグレイス・ジョーンズと出会い、そのコラボレーションで手腕を発揮。89年には政府の依頼でフランス革命200周年記念セレモニーの演出を手がけた。日本では2014年に21_21 DESIGN SIGHTの「イメージメーカー展」、18年に京都国際写真祭で回顧展を行っている。「私のスタイルは心臓の鼓動と同じで、私そのものであり、欺くことはできない」。長く仕事を続けているが「感受性は思春期の頃のまま」。また「伝統を受け継ぎながら、自身の才を商業や産業に応用できる、新しい種類のアーティストの代表でありたい」と飽くなき思いも語っている。

本記事はデザイン誌「AXIS」198号「LEADERS」からの転載です。