メルボルンでカツサンド?
人気カフェで知られるBenchの新店舗「Saint Dreux」

▲Benchの共同オーナーのひとり、Nick Chenさん。ミニマルな空間は時として冷たくも見えるので、心のこもったサービスが大切と語る

メルボルンには数多くのカフェがあり、バリスタとしての経験を積もうと渡豪する若者も多い。日本のカフェ関係者の視察先のひとつにもなっているメルボルンだが、逆に日本の食文化からインスピレーションを得て、カツサンドをメニューの中心にしたメルボルンローカルのカフェ「Saint Dreux(サン・ドゥルー)」が市内中心部にオープンした。

▲上質なサーロインだけを使うWagyuカツサンド。しっとりとした弾力のある食パンを探すのには苦労したというが、毎日届く焼きたての専用パンですべてのサンドイッチはつくられている

次々と人気カフェを生み出すBenchが、カツサンドに注目

Saint Dreuxを出店したのは、メルボルンシティより南側にある緑豊かなセントキルダロード沿いに2店の人気カフェを経営する「Bench」だ。彼らは、Joshua Crasti、Frankie Tan、Nick Chen、Claye Tobinという4人の共同オーナーを中心とするチーム。路面の1号店「Slater Street Bench」、オフィスビルのロビー内にある2号店「580 Bench」、また、共同経営者として参画する「Acoffee」でも、彼らのカフェは中央に“ベンチ”と呼ばれるワーキングテーブルを据え、その周囲を回遊できる店づくりが特徴だ。

▲Benchの1号店「Slater Street Bench」。店内中央には“ベンチ”と呼ばれるワーキングテーブルが置かれ、バリスタとコミュニケーションをとりながらコーヒーや食事ができるレイアウト

そんな彼らがビジネスの中心街であるシティに出店するいうので楽しみにしていたが、まさか日本のカツサンドをメニューの主役にするとは驚いた。新店の立地を東京に例えて言うならば、恵比寿の人気カフェが銀座の商業ビルにテナントとして初出店した、というようなイメージだろうか。経営者のひとり、Nick Chenさんに開業に至るまでの経緯などを聞いた。

「僕たちはシティ中心部に出店するためにずっと場所を探していて、ようやく見つかったのが今回の場所だった。フードホール内は僕らにとって初のチャレンジで、店づくりにおいてもこれまで店舗の中心に象徴的に据えていたコーヒーカウンターを置くことができないので、新しい方向性を探ることにしたんだ。同時に扱うメニューについても、コーヒーだけではない何かが必要だと考え、日本に行ったときに感動したカツサンドをメニューの中心にすることにしたんだ」。

▲ショーケース内には定番のペイストリーに加え、新店のために新たに開発したという自社製のカステラが整然と並ぶ

NickとJoshuaは日本を訪れ、カツサンドがさまざまな場で気軽に買えること、また、数百円から1万円以上までといった価格帯の幅広さにも驚いたという。「以前からカツサンドのことは知っていたし、今はメルボルンのいくつかのレストランでも提供されている。日本で食べたものはどれも美味しかったけれど、カツサンド自体はシンプルな食べ物だから、素材やつくり方のひとつひとつが味に影響するよね。そんなところが僕らのカフェのコンセプトに合うと思ったし、Benchらしいカツサンドをつくるべきだと思ったんだ」。

▲エスプレッソにはBenchの2店舗同様にメルボルンで焙煎したコーヒー豆を使うが、フィルターコーヒーには、東京のオニバスコーヒーの豆を採用しているという

▲Nickさんが淹れてくれたフラットホワイト。スクエアかつミニマムな店舗コンセプトに合わせて、柳原照弘さんがデザインした有田焼の1616/arita japanのコーヒーカップとソーサーを選んだという

建築、インテリアデザイン、写真。それぞれ専門の異なる4人

空間デザインについては、「遠くから見て近寄りたくなるようなものにしたかったので、日本の障子からインスピレーションを得て、LEDによって面発光するパネルを全面に使うことになった。冷たい印象とせずに和紙のような柔らかさを持たせることに注意しながらね。茶室の障子越しに光が差し込んでくるようなイメージで、そんな体験をここに再現できたらいいなと考えたんだ」。

▲フードホール内での視認性を高めるために、全面発光するパネルを採用。モノトーンの店舗デザインで漆黒の壁を背景に白いシャツのスタッフの姿が際立って見えるカラースキームだ

実際の設計作業は、建築デザイン事務所で設計者として働くJoshuaとインテリアデザインを学んだFrankieが中心となって進めたという。これまでの店づくりでも、建築はJoshua、グラフィックや食器などのディレクションはFrankie、写真撮影のNickと、クリエイティブを分業することがBenchの個性を生み出している。

さらに、素材感や色調についてNickは「1号店は古材、2号店は白い大理石を使い、そのあと手がけたAcoffeeも白が基調だった。Saint Dreuxではそれらとの違いを表現することと、ちょっと神秘的な雰囲気を加えたくて、モノトーンで黒を多用したデザインにした。一般的なカウンター販売のカフェだと、カウンターの背面には商品がたくさん並んでいるけれど、僕らは漆黒の壁を背景に生け花のディスプレイだけが見えるようにしたかったんだ。意図した通り、見た目にも差別化ができたんじゃないかな」と振り返る。

▲これまでの店舗との違いを出すために店内はマットな黒塗装が施されており、ミニマムなデザインの店内には生け花が映える Photo by Nick Chen

「コーヒー以上の価値を」をキーワードに

また、コーヒーカルチャーの中心とも言えるメルボルンでなぜ日本的なものを、という素朴な問いをFrankieに投げかけると、「僕は日本のデザインや建築に興味があるし、日本の文化にも影響を受けてきた。そして、カツサンドやカステラといった日本の食文化は、メルボルンではそこまで広く浸透していないから、新しい僕らのカフェにはぴったりだと思ったんだ」との答え。

コーヒー1杯のクオリティにこだわってきた彼らの姿勢は、カツサンドにも存分に発揮されている。メルボルン一高価なサンドイッチと言われる2切れ28豪ドル(約2,300円)の「Wagyuサンド」は、オーストラリアで育った和牛、それも霜降りランク最上級のグレード9のサーロインを厚切りし、ミディアムレアに仕上げたものだ(オーストラリア産の和牛は柔らかく上質なプレミアムビーフ、Wagyuとして人気がある)。

▲定番メニューの黒豚ポークカツサンドは15豪ドル。揚げ過ぎないようにすべてのカツサンドは調理時間を厳密にコントロールしている Photo by Nick Chen

▲ビーフ、ポーク、チキンに加えてプラウン(エビカツ)サンドも用意されている Photo by Nick Chen

また、「黒豚ポークサンド」では、オーストラリア産バークシャー種の豚肉を厳選し、パン粉はいずれも日本製の生パン粉を使う。カツサンドではクリスピーなカツと柔らかくて弾力のあるパンとの対比が大切なため、日本人のパン職人、ナルサワサトシさんが湯種を使った専用レシピで毎日焼き上げる同店専用の食パンを使うというこだわりようだ。

先頃の母の日には、1日限定の「ロブスターサンド」を販売し、ランチタイムに売り切れるほどの人気だったように、限定メニューを美しいビジュアルのインスタグラムで訴求する効果的なプロモーションにも長けている。

「僕たちBenchが大切にしているのは、コーヒーに対する考え方と同じで、シンプルに美味しいものを提供すること。今回の店では、“More than just a coffee(コーヒー以上の価値を)”をキーワードにアイデアをまとめていったんだ」とNick。彼らのウェブサイトには、日本の寿司職人の言葉「Ultimate simplicity equals purity(シンプルを極めるとピュアになる)」が引用されていることからも、創業当時から日本的なシンプリシティに関心を持っていたことがうかがえる。

▲さまざまな素材を試し、数カ月かけて開発したというカステラは4種類で、店舗コンセプトに合わせて直方体にカットされている。写真はオーソドックスな味のオリジナル Photo by Nick Chen

▲抹茶味のカステラ。抹茶、ほうじ茶、ゴマのカステラは生地に各素材を練り込むとともに、トップのアイシングが鮮やかさを添える Photo by Nick Chen

最後に開業から2カ月の反響を尋ねると、「カツサンドって、カステラって、何ですかという質問は連日受けるけれど、メディアに紹介されたこともあってか、僕らのスタイルは理解してもらえていると感じるよ。カステラは抹茶しか人気が出ないかと思っていたけれど、黒ごま、ほうじ茶といった4つのオリジナルすべてが好評なんだ」と笑顔を見せる。

メルボルンにあるものだけに限定するのではなく、彼らが日本一と称する東京のオニバスコーヒーで焙煎されたコーヒー豆をメニューに加え、また、独自の解釈を加えたカステラをつくり込むなど、自身のアイデンティティに合致するものは外から積極的に取り込むオープンな姿勢に、メルボルンに奥行きのあるカフェカルチャーが息づく一因があるように感じた。End