第6回 建築家 岩瀬諒子

私の段々を探して

文・詩/大崎清夏 写真/金川晋吾

詩人・大崎清夏が建築家の手がけた空間をその案内で訪ね、建築家との対話を通して空間に込められた想いを聞き取り、一篇の詩とエッセイを紡ぐシリーズ。

第6回は岩瀬諒子さんとともに堤防のリノベーション「トコトコダンダン」(大阪・木津川)を訪ねます。大崎さんの心に浮かぶ、この空間に投影された記憶とは?

岩瀬諒子(いわせ・りょうこ)

新潟生まれ。岩瀬諒子設計事務所主宰。京都大学工学部卒業。同大学工学研究科修了。EM2N Architects (スイス) 、隈研吾建築都市設計事務所を経て、2013年大阪府主催、河川沿いの広場設計業務実施コンペ最優秀賞受賞を機に、岩瀬諒子設計事務所を設立。当該作品を堤防のリノベーション「トコトコダンダン」として17年に発表。建築空間、土木インフラやパブリックスペースのデザインまで、領域横断的に設計活動を行う。主な受賞に日本造園学会賞(設計作品部門)、グッドデザイン金賞、藝大美術エメラルド賞、和歌山市和歌山城前広場・市道中橋線設計プロポーザル1等。20年ベネチアビエンナーレ日本館の出展作家として選出。東京藝術大学助手を経て、現在京都大学、神戸大学等にて非常勤講師。http://www.ryokoiwase.com/

大阪は水の都市です。分岐しつつまとまりつつ、琵琶湖から大阪湾まで名前を変えながら下る川の流れは大阪市内にも毛細血管のように巡り、道頓堀の船着場を発着する黄色い遊覧船には、世界各地からの観光客が乗りこんでいます。

トコトコダンダン。木津川の上流に位置し、中之島の突端を上手に、大阪ドームを下手に臨むこのかわいい名前の広場には、大きな空から明るい太陽の光が射し、川面で冷やされた風が渡ってきます。鉄製のロープ柵から見下ろす川面には小魚の群れが無数の背びれをきらめかせ、人々はあちらこちらの段々に思い思いに腰かけて寝そべって、日光浴や、犬の散歩や、夕涼みや、学校帰りの時間を過ごします。

私はいま、うっかり広場と書いたでしょうか(うん、書いたみたい)。大阪府がこの空間の建設案を募集したときも、それは広場と遊歩道の提案募集だったそうです。でも岩瀬諒子さんはこの場所を見て、ここって堤防じゃん、と思ったのでした。

川の堤防と言われたら、たいていの人は低く垂直にどこまでも続く壁を思い浮かべると思います。私の故郷の静岡市を流れ、名作「ちびまる子ちゃん」の日常風景として描かれる巴川にも、そんな壁堤防があります(そういえば、1974年に巴川を氾濫させた七夕豪雨の日のことも、この漫画には描かれています)。

1955年、木津川の隣を流れる百間堀川が戦後の区画整理の一環として埋め立てられ、その最初の堤防の根は現在の地面の地下7メートルにまで達しました。トコトコダンダンの入口にはこの最初の堤防の頭がどっしりと姿を現し、「1955」の小さなプレートがかけられています。当初、この構造物を撤去してしまおうと考えていた岩瀬さんはその難しさに行き当たり、治水の奮闘の歴史あってこその現在の親水なのだと気づいて、むしろこの縁の下の力持ちを掘り返して見せることにしました。

堤防は1967年、度重なる台風をきっかけにさらに見直されることになり、私たちのよく知る壁形の堤防が木津川にも設置されます(この壁の一部もまた、トコトコダンダンの壁として「1967」のプレートとともに現役で活躍しています)。

2009年、耐震補強のための工事がさらに重なり(もし「2009」のプレートがどこにあるか見つけられたら、誰かに自慢できます)、木津川は少しずつその安全性を高めてきたのでした。

2017年、トコトコダンダンはその耐震護岸の上に張り出すように建設され、一部には川面に向かって下りていくような階段も設けられました。堤防の機能はそのままに、水は人間にむしろ近づくことになったのです。

岩瀬さんはこの階段を、安全面を重視する行政との交渉を重ねた末に実現させました。治水の上に可能になった親水だからこそ、水位の変化も含めて、ここが川辺なのだと肌で感じられるように。木津川の周辺に暮らす人々の身体感覚が、川の存在によってちゃんと豊かになるように。

広場の周りですくすく育つ木々とともに、遊歩道には近隣の人々が思い思いの草花を植えて「堤防を耕す」ための花壇が置かれ、道から見えるようにかわいく収納された掃除道具やウォーターホースは、人の手でこの空間が守られていることを教えてくれます。

これまで私は、土木建築という四字熟語になんとなく無機質な響きを感じていたけれど、それは文字通り土と木と(そして水と)の再設計です。近所に広場があるのとないのとでは、人と地域の関係はまったく違うでしょう。トコトコダンダンは近隣の人々が参加するワークショップを経て建設案の決定に至り、完成後も管理NPO団体、行政との連携を密に取り合い続けることで改良を少しずつ重ね、出初め式から犬のしつけ教室まで、幅広く使われているのだそうです。

小高い丘の頂上、広場の中央に立って岩瀬さんは両腕を広げ、「いま私たちが立ってるのが、ここが堤防です!」と宣言しました。辺りを見渡しても 、あの壁状の堤防らしいものは何も見当たりません。緩やかな地面の起伏そのものが堤防としての機能を果たし、その周りを2017年の段々、2009年の段々、1967年の段々が取り囲んで、治水の歴史を密やかに引き継いでいます。

ここを通り、ここで休む人は、知らないうちに治水と親水の歴史の地層に腰かけます。水辺に近い段々。川からは少し離れた段々。木陰の段々。草花の囲む段々。どの段々も、大阪という水の都市を現役で守っている堤防なのです。

私は、自分のお気に入りの段々をゆっくり探す時間がないのが残念でなりませんでした。トコトコダンダンのどこかに好きな段々を見つけた人は、きっとこの堤防に愛着をもつでしょう。でもその人にとっては、その場所の呼び名は「堤防」ではないかもしれません。きっとただの、秘密の、「私の段々」なんじゃないかと思います。


Photos by Shingo Kanagawa

大崎清夏(おおさき・さやか)

1982年神奈川県生まれ。詩人。詩集「指差すことができない」が第19回中原中也賞受賞。近著に詩集「新しい住みか」(青土社)、絵本「うみの いいもの たからもの」(山口マオ・絵/福音館書店)など。ダンサーや音楽家、美術家やバーのママなど、他ジャンルのアーティストとの協働作品を多く手がける。19年、第50回ロッテルダム国際詩祭に招聘。https://osakisayaka.com/