手袋の素材と技術から生まれた「zero(ゼロ)」、
工業用手袋製造会社ウインセス

小物入れやバッグ・イン・バッグなど、さまざまな使い方ができる「zero(ゼロ)」は、手のひらに載せるとほとんど重さを感じない、ふわりと軽く、何とも優しい触感が特徴だ。この製品には、工業用手袋に用いる特殊な素材と縫製技術が駆使されている。香川県高松市に本社を構える手袋製造会社ウインセスの3代目、橋本勝之がデザイナーの梅野 聡の協力を得て生み出した。その開発経緯と製品への想いを尋ねた。

手袋の産地、香川県発のプロジェクト

香川県には、イサム・ノグチ庭園美術館や丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、ジョージナカシマ記念館、丹下健三設計の香川県庁舎などがあり、3年に一度、瀬戸内国際芸術祭が開催されることから、デザインや建築、アートを見るために訪れる人も多いだろう。

同県の東かがわ市は、国内の手袋生産量の約90%を占める一大産地だ。起源は明治時代にさかのぼり、現在では防寒用やプロ仕様を含むスポーツ用はもちろんのこと、ファッション用手袋、工業用手袋と多種多様なものがつくられている。

▲ウインセスの外観

もともと防寒手袋を製造していたウインセスは、60年代の高度経済成長期に家電工場での需要の増加に伴って工業用手袋製造に転換。生産拠点を中国に移して、規模を拡大していった。

工業用手袋は、一般の人が目にする機会は少ない。例えば、半導体部品を高温の庫内から取り出すときの耐熱や、ワイヤーブラシのような尖ったものを掴むときの耐突き刺しのほか、タッチパネル用や食品衛生法に適合したものなど、さまざまな種類がある。ウインセスでは現在、電機、自動車、食品、製薬、化粧品メーカーの工場で使用する200種類以上の手袋を製造。その特徴は「白くて薄く埃が出ない」ことだ。薄いので繊細な指先の感覚を伝えられ、物が掴みやすいことで作業しやすく、細かく丁寧な縫製技術にも定評がある。


▲「介護ミトン まもるくん」

新たな活路を開くために

国内の多くの産業と同じように、手袋製造も存続の危機にさらされている。働き手の不足や高齢化、後継者問題に加えて、工業用手袋の需要の大半を占める自動車産業の低迷も大きな要因である。2010年に代表取締役に就任した橋本勝之は、「このまま手袋をつくっているだけでは会社の規模は縮小し、今ある技術からのステップアップも望めない」と新たな製品開発に着手。同時に、社員にとってやりがいのある魅力的な職場環境をつくることを目指して改革を始めた。

社員の意見を取り入れ、納入先に提案するなかから、まず精密機器製造工場のクリーンルーム(防塵室)のためのエプロンやひざ掛け、ポーチを開発した。また、点滴針や管の抜去防止用「介護ミトン まもるくん」や、患者の体位変換や除圧のための「スライディンググローブ」を企画製造し、医療分野に進出。これら小ロットのオリジナル製品をつくるために、小規模ながら本社内に縫製作業場を復活させ、それを補完するためのマニラ工場を新設した。

▲ウインセスで製造する工業用手袋。左から、耐熱、耐突き刺し、クリーンルーム用アウター手袋。

続いて、これまでのBtoBではなく、手袋以外のBtoC製品の開発によって新市場を開拓し、新規顧客の獲得を考えた。「そのためには、デザインの力が必要だと感じました」と橋本は振り返る。

「介護ミトン」などを開発するなかで、作業療法士や理学療法士らの話から気づかされたという。「病気の回復のためには、メンタル面が大きく影響すると聞きました。医療や介護用製品はベージュや黒といった色彩のものが多いのですが、患者が明るい色を着けることで気持ちが和らぎ、それにより回復が早まる可能性があるそうです。機能性重視の工業用手袋では、それまで美しさや楽しさといった要素を考えたことはありませんでしたが、デザインの持つ力に初めて着目しました」。

▲「zero」。オンラインショップはこちらまで。

デザイナーとコラボレーション開発

デザイン業界のことはまったくわからなかったため、知り合いを通じて地場産業の取り組みを多数手がけているデザイナーの梅野 聡を紹介してもらい、手がけた製品や展示会を見て、話をしたうえで彼に託そうと決めた。

「自社の縫製技術を使う」「手袋以外のものをつくる」という2つの希望を伝え、デザインについては梅野に一任した。さまざまな手袋を見てもらったなかで梅野が興味を抱いたのは、自動車工場で使用する、半透明の軽量で薄い手袋の素材だった。クルマの塗装前にその手袋を付けてボディを触り、目には見えない小さな傷や凹みを指先の感覚でチェックするためのもの。これは国内の自動車メーカーが、高級車だけでなく全車種で行う工程だという。

▲「zero」の製作風景。

汚れや埃が付きにくく通気性や耐久性に優れ、折り目を付けると紙のように自立する特性を生かし、立体的な日常使いの小物入れのアイデアが生まれた。その後、試行錯誤を繰り返して、形、模様、サイズを決定。ポーチ、ペンケース、サコッシュといったラインナップが揃い、2018年6月に「zero」が誕生した。

製造は本社内の縫製作業場で、薄い生地を縫製できる日本製の工業用ミシンを用いてつくられている。「他ではできないこの繊細な縫製技術もぜひ見ていただきたいところで、それもデザインの一部だと考えています」と、橋本は言う。

▲展示会風景。ブースデザインも梅野に依頼し、「zero」の世界観を表現した。

その先の未来を見据えて

新しい販路を開拓するため、「zero」ではインテリアライフスタイルやフランスのメゾン・エ・オブジェ・パリ、ドイツのアンビエンテといった、これまでとは異なる国内外のさまざまな展示会に出展。展示会場に橋本が自ら立ち、製品の魅力を伝えた。

1年間の出展を通してセレクトショップなどとの取り引きがいくつか成立したほか、国際的に権威のあるiF賞を受賞し、ジャーマンデザイン賞にもノミネートされた。初のデザイナーとのプロジェクトで魅力的な製品が完成し、名誉ある賞を受賞したが、橋本はそれに満足して歩みを止めることなく、その先の未来を見据えている。

PAPIER TIGREでの店内風景。

同時に課題も見えてきた。展示会でもっとも多く指摘されたのが、3,000〜6,000円代という価格帯だ。海外では輸送料も加わり、さらに高価になってしまう。今後、どのように売り上げにつなげていくかを検討しながらブラッシュアップを図り、新製品を出していく予定だ。販売店をさらに増やしていくために、展示会に引き続き出展する計画であり、OEMも目標のひとつにあるという。

「小さくてもいいので、まず一歩を踏み出すことが大事だと思っています。やらないことには、失敗もありません。ホップがなければステップもないと思うのです」と橋本は意気込む。「zero」を発表してから1年。ウインセスの取り組みは、始まったばかりだ。End


橋本勝之/ウインセス代表取締役。1972年香川県東かがわ市生まれ。1994年に福山大学を卒業後、イギリスに留学。商社勤務を経て、1999年ウインセス入社。2010年代表取締役就任。

ウインセス/1910年に初代橋本勝二が大阪市で手袋製造に従事。1937年に大阪市で2代目の橋本勝二が個人経営の手袋製造を創業。1961年に香川県東かがわ市に橋本勝二商店を設立。1987年中国・南京、無錫外貿公司より手袋の輸入を開始。1990年中国・無錫に合弁会社無錫健勝手套有限公司を設立。1992年に社名をウインセス株式会社に変更。1998年本社、工場を高松市香南町に移転。2013年中国・射陽に威盛針織有限公司を設立。作業手袋、クリーングローブ、クリーンウェア、オリジナル機械カバーを製造する。http://www.wincess.co.jp

香川県東かがわの手袋産業の始まり/当人同士の想いだけで結婚が許されなかった明治時代、香川県東かがわに住んでいた住職の両児舜礼(ふたご・しゅんれい)は、三好タケノと1886年に大阪へ駆け落ちし、生計を立てるために手袋の縫製を始めた。売り上げを伸ばし事業を拡大しようとしていた矢先、1892年に舜礼は病で39歳という短い生涯を閉じる。舜礼のもとで従事していた従兄弟の棚次辰吉が事業を継承。製糖や製塩といった地場産業が陰りを見せていた東かがわに辰吉は帰郷し、1899年に手袋製造所「積善商会」を設立。それを機に、東かがわで手袋産業が発展していった。