第12回サンパウロ建築ビエンナーレ現地レポート
「日常」が展示テーマとなったその背景

▲写真左側がセスキ24・デ・マイオで、そこに映り込むのが隣に立つ「レゲエ・ギャラリー」。
©12° BIA

いま、サンパウロでは建築ビエンナーレが開催中だ。第12回開催を迎えた今回は、初の試みとしてテーマが公募され、選ばれたキュレーター陣が展示内容を構成した。

建築のビエンナーレと聞けば、時代を先取りした建築や都市設計の模型や写真の展示が想起されそうだが、タイトルに「日常(everyday)」を冠した今回は、理想よりも身近な現実にフォーカスした内容となった。

▲「日常」を強調したシャワーカーテンのようなビエンナーレのプログラムパネル。

会場そのものをテーマとしたサイトスペシフィック・アート

会場となったのはサンパウロ市中心街の民間施設セスキ24・デ・マイオとサンパウロ文化センターの2箇所で、いずれも日頃から利用者の多い文化施設だ。開催から19日間のみ会場となったセスキ24・デ・マイオは、2006年度プリツカー賞受賞者のパウロ・メンデス・ダ・ロシャが設計し、2017年にオープンした未だ新しい施設。ここでは、施設そのものと周辺の土地柄の特性を活かしたサイトスペシフィック・アートが多数展示された。

ケープタウンのウォルフ建築事務所とサンパウロの文化人類学者エリオ・メネーゼスは、セスキ24・デ・マイオの隣に以前から立つ、「レゲエ・ギャラリー」の通称で知られる雑居ビルを題材にして、ヘアサロンの理髪器具一式を会場のエントランス・ロビーに展示。

その通称のとおり同ビルは、黒人系若者文化の発信地であり、アフロ系に特化したヘアサロンも多い。黒人系活動家でもあるメネーゼスは、両施設間の拒絶に近い無関心を感じ取り、歩み寄りを促す挑発的なマニフェストを理髪器具に託した。

▲ウォルフ建築事務所とエリオ・メネーゼスによる作品「ノヴァ・ヘプブリカ」から理髪器具一式。

女性のみで構成される土木会社コンクレート・ホーザは、作品「カーザ(家)」を展示した。リオデジャネイロで活動する彼女たちは、住宅リフォームや水まわり、電気まわりの修繕の際に、実際に生じている、女性の依頼人への男性作業員によるハラスメントなどの問題に取り組むべく組織された会社で、これまでになかった営みとして注目されている。

「カーザ」は、修繕の際に出たエアコン、トタン屋根、水道管などの廃棄物を、修繕の依頼人の女性による生活に関するコメントの音声と合わせて展示したもので、それぞれの日常の一場面が伺える内容となっている。

▲コンクレート・ホーザによる作品「カーザ」の一部。展示品は水道の蛇口。

「この度の展示は、これまで建築のビエンナーレで取り上げられることの少なかった建築や都市の維持・管理を主なテーマとしました。ジェノヴァのモランディ橋の崩落やリオデジャネイロ国立博物館の大火災など、昨今インフラや建築の管理不全による惨事が多発しており、建築関係の専門家は改めて管理に対してより気を配るようになっています。また日常に注目することにこそ、新たな倫理や美学を解き放つための手がかりがあることを主張したかったのです」とキュレーターの一人であり建築家であるシーロ・ミゲル氏がビエンナーレのテーマ選定の理由について語ってくれた。ちなみに、キュレーター陣は、チューリッヒ工科大学の若き教授・研究者ら3人で、うち2人がブラジル人という構成だ。

各国の「日常の建築」を展示したサンパウロ文化センター

メイン会場のサンパウロ文化センターでは「日常の建築」という副題のもと、公共施設と個人住宅に関する様々な企画が展示された。

▲サンパウロ文化センターでの展示風景。ブラジルをメインとしながらも、世界から77点の展示物が集まった。

ブラジル人アーティストのタレス・ロペスによる「ブラジル的構造:近代建築とそれ以前」は、オスカー・ニーマイヤーが1950年代に建てた首都ブラジリアのモダン建築が、庶民の住まいの建設に与えた影響を追った類型学的なフィールドワークだ。

反復する曲線が織りなす複数の柱をファサードに配置するのがニーマイヤー建築の特徴の一つだが、それが後にブラジル各地で、住宅設計に取り入れられた。会場のパネルにはブラジル15州に点在する40軒の家屋の正面図と写真が展示された。

▲タレス・ロペスによる「ブラジル的構造:近代建築とそれ以前」。ニーマイヤー建築の影響の強さが感じられる。

日本からはテレインアーキテクツアトリエ・ワンが参加した。東京と東アフリカのウガンダに拠点を置くテレインアーキテクツがウガンダの首都カンパラに建て、昨年10月にオープンした「やま仙」は、安価なユーカリ材を主な構造として、X字、Y字に組まれた梁の連なりが美しい商店兼和食店だ。

また、同事務所はカンパラ郊外に、大学進学を目指す遺児のための寄宿舎をつくるなど、社会活動にも参加している。

▲既存の樹木はそのままに、敷地のなだらかな傾斜を入り口のスロープに活かした。乾燥の工夫によってユーカリ材を耐久性のある柱や梁に仕立てた。
Photo by Timothy Latim

その他には、今年半ばにミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネで「すべての人へのアクセス:サンパウロの建築的インフラストラクチャー(Access for All: São Paulo’s Architectural Infrastructure)」と題した展覧会が行われたが、そこで紹介されたサンパウロ文化センターが、ミュンヘンでの展示様式そのままに、同施設で“凱旋”展示された。

パリのポンピドゥー・センターの影響を受けて1982年にオープンしたサンパウロ文化センターは、館内施設を利用者が視覚で容易に認識できるよう、ガラス壁を多用し、3フロアの中央に広い吹き抜けを配した構造となっている。老朽化が進んではいるが、今なおサンパウロが誇る開かれた文化施設であることに変わりはない。

▲ピナコテーク・デア・モデルネの展示様式をそのままに紹介されたサンパウロ文化センター。

日常をテーマとしたブラジルの政治的背景

「セスキ24・デ・マイオとサンパウロ文化センターは、ともに市民の日常をマニフェストする建物です。セスキ24・デ・マイオはまるで街のなかのもう一つの街のようで、およそ1万人の市民が、日々、運動、食事、会話、読書をしたり、歯の治療や日光浴、昼寝をしたりするために訪れます。サンパウロ文化センターもまた、オープン以来長年、日常生活に欠かせない施設として愛されてきました。こちらも1日平均2500人の市民が様々な目的で施設を利用しています」とシーロ氏は2つの文化施設を評した。

▲サンパウロ文化センター内観。地下の図書館から1,2階展示場まで吹き抜けとなっている。

日常をテーマとした背景には、ブラジルの現政権への批判がある。

今年1月に大統領に就任した極右と評されるジャイール・ボルソナロ氏は軍政を再評価し、経済再建のために緊縮財政政策を推進。国民は極端な支持者・不支持者に二分されたかのようだ。そんななか、建築家や芸術家などの文化系オピニオン・リーダーの多くはボルソナロ政権に対して批判的だ。

「公的文化施設の多くは今、予算が削減されることを恐れています。だからこそ、私たちキュレーターは、市民を形成する場を代表する2つの文化施設の役割を強調したかったのです。また文化、環境、多様性や民主主義が脅かされているからこそ、市民が身近な話題について意見交換できるフォーラムとしてビエンナーレを企画したかったのです」とシーロ氏。

▲キュレーターの3人。左から Ciro Miguel、 Vanessa Grossman、Charlotte Malterre-Barthes。
©12° BIA

見通しの不確かな政治と回復の進まぬ経済の下にあって、足元を見直すビエンナーレとなったのは時代の必然だと言えそうだ。End