第9回 建築家 増田信吾(増田信吾+大坪克亘)

窓の先の世界をつくる

文・詩/大崎清夏 写真/金川晋吾

詩人・大崎清夏が建築家の手がけた空間をその案内で訪ね、建築家との対話を通して空間に込められた想いを聞き取り、一篇の詩とエッセイを紡ぐシリーズ。

第9回は増田信吾(増田信吾+大坪克亘)さんとともに住宅「始めの屋根」(東京・練馬)を訪ねます。大崎さんの心に浮かぶ、この空間に投影された記憶とは?

増田信吾(ますだ・しんご)

1982年東京都生まれ。2007年武蔵野美術大学卒業。増田信吾+大坪克亘共同主宰。19年より明治大学特任准教授。主な作品に「躯体の窓」(2014)、「リビングプール」(2014)、「始めの屋根」(2016)、「街の家」(2018)、「つなぎの小屋」(2018)、「庭先のランドマーク」(2019)など。主な受賞にAR Emerging Architecture Awards大賞(2014)、第32回吉岡賞(2016)などがある。http://salad-net.jp/

棒が一本あったとさ……と始まるあの絵描き歌の棒のように、その白い一枚の板は、すっきりと水平に中空に伸びています。「始めの屋根」を訪ねたのは、三月の晴天の日。どこからどう眺めても周囲の住宅街の景色からは逸脱した白さと光沢なのに、居丈高な雰囲気をすこしも感じないその屋根は、一片の変わった雲のようでした。

築45年の軽量鉄骨二階建ての家に寄り添うように、屋根は建っています。45年前。それは、ハウスメーカーと建築家が知恵を出しあい、当時最新の技術を盛りこんで、戦後の住宅供給の目標に向かった時代でした。たっぷりした敷地に、シンプルで大きな造り。生活に必要な機能はきっちりあり、無駄な飾りやオプションはなく、その頃とほとんど外見を変えずにそこに建つ家を見て、リノベーションを依頼された増田信吾さんは「十分な家だな」と思ったそうです。

植えられた頃には一階リビングの掃き出し窓から全貌が見えたはずの庭の松の木はいまや大きく成長し、二階にその背が届いています。後から建った離れによってふたつに区切られ、野放図で気ままな空き地になってしまった屋外を住む人が庭として楽しめるように、増田さんはまず家から張りだす庇を構想しました。

冬は光を採りいれ、夏は涼しさを生み、外と内を繫いで、高すぎず低すぎず……。アイデアを煮詰めてゆくうち、庇の設計はみるみる姿を変えてゆき、家の軒先からも切り離されて、冒頭の一片の変わった雲となったのでした。

構造として必要な筋交いの形を検討してゆくと、階段状に並ぶ板になりました。「昇れちゃうね」というわけで一階の庭と二階のベランダが繋がり、ベランダの周りに広がる屋上も気持ちのいい屋外スペースになりました。光沢のある白い雲には周囲の景色の色が柔らかく反射して、空を映す池のように空間をひらいています。

分割し尽くされた現代の都市空間を「建てることで広げられないか」。その狙いは矛盾のように聞こえるけれど、建ったものの実物の前では腑に落ちます。住む人の価値観の外側にあるものを提案して初めて仕事が始まる、と増田さんは言いますが、まだ建っていない「価値観の外側」を仮想し提案することに、住む人から理解を得るのは難しくないのでしょうか。

その問いに、増田さんからは意外にも「施主と戦ったことはほとんどないです」という答えが返ってきました。その提案が住む人の「価値観の外側」にある「頼んでいないこと」であればあるほど、住む人は自分の希望する暮らしやすさを、問題の解消を、建築家にしかできない仕事として任せることができるようになるのかもしれません。

雨を流すため、屋根には視覚的にはわからないほどわずかな捩れが加えられ(そのために百キロの重りが地中でがんばっているなんて誰も気づきません)、階段の手摺りは設計当初からすこしたわめてあります。どの部分も、なんでもまっすぐ作ろうとしてしまう人間の「脆い考え」を疑い、自然の複雑さを受けいれた上で、論理に基づいて実用的な検討を重ねた結果です。

内と外を行き来する人の暮らしのために、設計しなければならない箇所はどこか。それは内を延長して無理に外と一体化させることではなく、外の役割を見直し、内と外との関係を立て直すこと――「窓の先の世界」をつくること。そう話す増田さんの言葉は、どこかカウンセラーの言葉のようにも聞こえます。

雨を遮って人を庭に出やすくし、一階と二階、母屋と離れの書斎の行き来を容易にする屋根。暮らしの機能を十分に果たしながらなお、きりっとした清潔さのようなものをまとっているこの構造物が「窓の先の世界」だったら、毎日ちょっと嬉しいだろうな。そう思うと、なんだかずっと見ていたくなりました。

断熱を施され、壁をなくしてLDKがひと繋がりになった家の中は大きな掃き出し窓からの光で明るく、広々としていました。大きなダイニングテーブルには、家主が大きなやかんにたっぷり用意してくださった温かいほうじ茶。ゆったり、どっかり、暮らせそうな家です。

最後にすこし離れた場所から、庭の木々と家並みの隙間に顔を覗かせた屋根を眺めました。明るい空と、頼りがいのある家と、松の木立と、それらの中心に溶けこむように建つ、一片の白い屋根。「どうして屋根がこんな形になったんだろう?」という私の疑問は、その頃にはきれいさっぱり洗い流されていました。さっき屋内を案内してもらった時に見たキッチンの巨大なまな板のせいかもしれないけれど、ここでお弁当を広げられたらよかったな、と思いました。


Photos by Shingo Kanagawa

大崎清夏(おおさき・さやか)

1982年神奈川県生まれ。詩人。詩集「指差すことができない」が第19回中原中也賞受賞。近著に詩集「新しい住みか」(青土社)、絵本「うみの いいもの たからもの」(山口マオ・絵/福音館書店)など。ダンサーや音楽家、美術家やバーのママなど、他ジャンルのアーティストとの協働作品を多く手がける。19年、第50回ロッテルダム国際詩祭に招聘。https://osakisayaka.com/