手首の上で幕を開ける華麗なる劇場
——レディ アーペル バレリーヌ ミュージカル ウォッチ

ジュエリーとバレエの幸福な出会い

文字盤の上半分に敷き詰められているのは、豪華なシャンデリアを思わせるダイヤモンド。リューズを操作すると繊細なメロディが流れ、シャンデリアの下の幕がゆっくりと開き、優雅なバレリーナの姿が現れる……。

手首の上で繰り広げられる20秒の劇場ともいえる何とも贅沢なタイムピースが、ヴァン クリーフ&アーペルが2月に発表した「レディ アーペル バレリーヌ ミュージカル」ウォッチだ。

このメゾンとバレエとの関わりは深い。バレエをこよなく愛していたルイ・アーペルが甥のクロードを連れ、ブティックがあったヴァンドーム広場に近いパリ・オペラ座に足繁く通っていたのが1920年代。40年代になると、戦争で暗くなりがちな世相を明るくしたいと、バレリーナや妖精をモチーフにした作品を発表し、瞬く間にヴァン クリーフ&アーペルを象徴するデザインのひとつとなった。

50年代に入ると絆はさらに強まる。店主となったクロード・アーペルのニューヨーク5番街のブティックに、著名な振付師、ジョージ・バランシンが訪れ、バレエに対して熱い思いを持っていた二人は意気投合。バランシンがヴァン クリーフ&アーペルのジュエリーにインスピレーションを得て創ったバレエ作品「ジュエルズ」は、67年にニューヨークで初演された。

▲ピエール・アーペル、バレリーナのスザンヌ・ファレル、ジョージ・バランシン、1976年頃。
BALANCHINEはジョージ・バランシン財団の商標です。

貴石の名がつけられた3幕からなるこの作品はストーリー性がなく、音楽と踊りの融合で宝石の美しさを表現するという珍しい作品だ。1幕の「エメラルド」にはガブリエル・フォーレの曲が、2幕の「ルビー」にはイーゴリ・ストラヴィンスキー、そして3幕の「ダイヤモンド」にはピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの曲がつけられ、それぞれバランシンと縁の深いパリ、アメリカ、ロシアを象徴した作品となっている。

2つの楽器を内蔵した腕時計

今回発表された「レディ アーペル バレリーヌ ミュージカル」には、「エメラルド ウォッチ」、「ルビー ウォッチ」、「ダイヤモンド ウォッチ」の3つのコレクションがあり、それぞれのリューズに貴石があしらわれている。

いわば、バランシンのジュエリーに対する思いを表現したバレエ作品に対し、今度はヴァン クリーフ&アーペルがバレエという芸術に敬意を表した歴史的な作品だ。ケースの裏蓋には、クロードとバランシンが初めて出会ったニューヨークのブティックの前で踊るバレリーナの姿がエングレービングで描かれ、「音楽は見るもの、ダンスは聞くもの」というバランシンの興味深い言葉が手描きで彫られている。

時計に欠かせない時間表示は文字盤の上部に搭載。12時間計の目盛りの上で時を示す星のモチーフは、パリ・オペラ座のトップダンサーであるエトワール(星)へのオマージュだ。

特筆すべきは流れてくる音楽だ。3幕それぞれの曲の主旋律を再現しているのだが、一口に「再現」と言っても、音が奏でられるのはあくまで時計のケースの中。音楽を奏でるための形状をしていない腕時計で、誰が聞いても「この曲だ」とわかる旋律をどう奏でるか。それがこのプロジェクトの大きなチャレンジのひとつだったという。

アラームウオッチやミニッツリピーターといった音を出す腕時計はこれまでもつくられてきたが、多くてもせいぜい4つの音の組み合わせ。「レディ アーペル バレリーヌ ミュージカル」は、ひとつの時計の中にオルゴールとカリヨンの2種類の楽器を内蔵した初めての腕時計といえる。「ルビーウォッチ」を例にとれば、2つの楽器を組み合わせた92もの音で20秒間主旋律を奏でる。

音を反響させるためには空洞が必要だが、防水性を保ちながらこのスペースをつくるため、裏蓋との間にわずかな空間がつくられた。そして、スピーカーの役割をしているのが、ドレープ状にデザインされた時計側面のダイヤとダイヤの間。つまり、ダイヤモンドを通して音楽を楽しむというロマンチックな構造を持つタイムピースでもあるのだ。

時の流れの奥行きを表現する

ヴァン クリーフ&アーペルの時計は、常に「驚き」をテーマにしているという。同じ時間でも、長く感じるか短く感じるかは、その時の状況によって変わることは多くの人が体験してきたことだろう。ヴァン クリーフ&アーペルでは、時計は単に時間を確認するだけのものではなく、時の流れの奥行きを感覚的に捉えて表現し、「驚き」という人の感情に働きかけるものだという考えが根底にあるのだ。

他社がどういうものをつくっているのか、市場がどう動くといったことにまったく頓着することなく、ハイジュエラーとしてつくりたいもの、つくらなくてはならないもの、後世に残るものをつくるという姿勢は、1906年の創業以来ぶれていない。何事もマーケティングありきといった風潮の現代とは違う目線を持ち、違う時間が流れているメゾンなのだ。

この「レディ アーペル バレリーヌ ミュージカル」も構想から完成まで10年もの歳月がかかっている。最初の作品があがってきた時はうまくいかず、どうしたらよいか途方に暮れたこともあったという。そこから試行錯誤が始まり、時計、音楽、貴石、エナメルといったすべての職人が総力をあげることによってこの作品が生まれた。直径わずか40mmの劇場には、こうした職人技と歴史、詩情溢れる物語、そして「驚き」という人の感情を動かす力が秘められているのだ。
(文/辻さゆり)End

本誌デザイン誌「AXIS」208号「腕にまく未来。」は、腕時計の特集号です。こちらのヴァン クリーフ&アーペルのページもご覧ください。

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