「わかりやすさ」を研ぎ澄ませて、新しい美術館像を発信する
大阪中之島美術館

長い準備期間を経て、待望の開館を迎えた大阪中之島美術館。美術とデザインを等しく扱う収集方針をもち、デザインのコレクションは逸品ぞろいと噂される。その建築もまた2016年のコンペ以来、強い関心を集めてきた。分野を超えて注目される美術館。そのキーパーソン3名に、運営や空間づくりの工夫を聞いた。

▲東側の歩行者デッキから見た大阪中之島美術館外観。2階レベルは四方に開かれ、各方角に入口がある。外壁は極力黒く見せるため、コンクリートに黒い骨材と顔料を加え、表面を削り、特別な塗装を行ったという。

伝えることがシビアに求められる美術館の発進

2022年2月2日、大阪中之島美術館が開館した。1990年の近代美術館建設準備室設置から30年、助走の長いプロジェクトだ。「30年も動いてきたので、開館時から一定水準が求められます」と菅谷富夫館長は話す。菅谷は92年に学芸員として準備室に配属されて以来、美術館整備に並走してきた功労者だ。市の財政難や行政改革の影響で紆余曲折し、菅谷によると大きな整備方針は3度も練り直されたという。立地は大阪の中心部、規模は関西有数。注目度は否応なく高く、運営側にとっては緊張感のあるスタートとなる。

「誤解を恐れずに言えば、経営的な発想で運営しなくてはならないということです」と菅谷は語る。国内の公立美術館・博物館初の 「PFIコンセッション方式」で運営されるからだ。コンセッション方 式とはPFI (プライベート・ファイナンス・イニシアティブ:民間資金等活用事業)法に基づく公共施設の整備運営手法のひとつ。本美術館では大阪市が試算した年間運営事業費7億円のうち3億円を大阪市博物館機構が支払い、残り4億円は展覧会収入などの事業収入により民間のPFI事業者が賄う。損益が出たら赤字はPFI事業者が負うことになる。

「今まで以上に“ 伝える”ことを重視しなくてはなりません。伝われば、数字に返ってきます。負債をおそれ消極的に構えるのではなく、われわれの活動をうまく伝える方法を積極的に考えていきたい」(菅谷)。

▲天井高6m、約1,700m²の5階の展示室にて、館長の菅谷富夫。寄託品を交えて構成したロシア・アヴァンギャルドのポスターの前で。「バブル期に高づかみしたと言われるが、あの時代だからいいものが集められた」と語る。コレクションの充実に加え、展示室の規模も西日本最大級だ。

家電まで扱い、家の延長に美術館を位置づける

求められる“わかりやすさ”。その期待には、本美術館がもつ間口の広いコレクションが上手く応えてくれるかもしれない。

館は美術とデザインに等しく力を注ぐ。館長の菅谷をはじめ学芸員の11名中4名がデザイン専門である。モダンデザインの系譜を示すデザインのコレクションは「質と量を総合的に捉えれば日本一」を自負する逸品ぞろいだ。

「骨格となるコレクションは90年代に揃えたもの。世界の美術館 がデザインに本腰を入れる前で、今では買えないものが市場に流れ、いい時期に収集できた」と菅谷は振り返る。

学芸課長の植木啓子もまたデザイン分野のエキスパートだ。サントリーミュージアム[天保山]で「純粋なる形象:ディーター・ラムスの時代」などのデザイン展を企画し、12年から美術館の建設準備室に所属した。

「大阪中之島美術館の質の高いコレクション約6,000点と、寄託品のサントリーポスターコレクションを活用し、多彩な分野を横断する研究や展示を行える。ひじょうにやりがいがあります」と植木は意気込みを語る。

▲学芸課長の植木啓子。隣接する国立国際美術館が間近に迫る、開放的な2階にて。「物理的に街に近いのも、美術館の特徴。まずは地元に愛されることを目指します。地元に愛されないと、日本、世界に愛されないと思うので」と話す。

コレクションを確立する一方で、植木が8年前から取り組んできたのが「インダストリアルデザイン・アーカイブズ研究プロジェクト(IDAP)」だ。家電製品を中心とした工業デザイン製品を記録(製品情報)と記憶(オーラル・ヒストリー)というふたつの軸で集積し、新たな視点での分析や研究を誘発する取り組みだ。なぜ家電なのか。目的のひとつには、美術館機能と観客の拡張があると植木は言う。

「これまで美術館で扱わなかった家電を扱うことで、問題提起と美術館の機能拡張を狙います。デザインは人々に直接関わるもの。家の延長に美術館があると伝えることは、大人人口の20%といわれる美術館の観客を拡張する、ひとつの方法になり得ると思います」(植木)。

例えば8月6日~10月2日開催予定の企画展「みんなのまち大阪の肖像[第2期]」では70年代の工業化住宅を原寸大で再現する。躯体や設備など建物の内部構造、さらに家電や衛生陶器も設置し、生活とそれを支えるデザインや技術を提示する。大阪に根ざすメー カーと連携し、家と美術館をダイレクトにつなげる。

同館の先駆的取り組みとして、資料群を整理・保管するアーカイビ ングの専門家であるアーキビストを採用していることも挙げられる。

「アーキビストは必須の存在です。美術館はアーカイブズを軸に連携や発信の幅が広がる可能性があるからです。それに作家資料があると作品はさらに生きる。制作プロセスなどの厚みが見えてくる」と植木は言う。対象は関西の前衛美術集団として国際的に再評価が進む具体美術協会や戦後に関西で創刊された広告業界誌「プレスアルト」などの資料。整理し公開情報を揃え、外部にも提供していく方針だ。

またメディア共催による大型展の巡回や、漫画やアニメーションなどの人気コンテンツを扱うことで動員を図り、収支を安定させる手法は否定しない。

「5階の展示室は多様な展覧会ができる大きさと可変性を備え、大規模巡回展も可能です。また漫画やアニメはひじょうに力のあるコンテンツです。美術館の幅を広げるという意味で、扱うべき対象です。ただし場所貸しのようなかたちで“ 別物扱い” することはしません。館がコンテンツをどう見せるかに関わっていくことが重要だと思います」(植木)。

▲オープニング展「超コレクション展 99のものがたり」(~3月21日)のデザイン分野を中心とする第3章展示風景。製作年が異なるヘリット・トーマス・リートフェルトによるアームチェアが並ぶなど、モダンデザインの系譜がわかる。

▲「超コレクション展 99のものがたり」では収蔵品と寄託品から400点の代表作品を一堂に公開。広告印刷物を同梱して読者へ届けた異色の雑誌「プレスアルト」などのアーカイブ資料も一部展示される。

シームレスな単純さを追求した建築

“わかりやすさ” は建物の整備においても追求された。建築は16年のコンペ以来、熱い注目を集める。大きな要因は、当時わずか5名のアトリエを率いる遠藤克彦が日建設計などの大手を制し勝利したことと、黒い直方体が浮かぶ外観のインパクトだ。

なぜ黒いボリュームを浮かべたのか。「ひとつは都市のなかで埋没しないこと。もうひとつは内部とのコントラスト」と遠藤は述べる。さらに、「ボリュームの隙間から人々の営みがあふれ出す様子を、黒で引き立たせること」も狙いのうちだという。

▲大阪中之島美術館を設計した建築家の遠藤克彦。遠藤克彦建築研究所大阪オフィスにて。「当時スタッフ5名の事務所を、組織力ではなく建築の力に期待して選んでいただいた。選定と同時に大阪オフィス設立を決意しました」。現在は大阪に18名、東京に5名、大子(茨城県)に2名、計25名で活動する。

黒の役割は、それ以外の部分を際立たせることにある。“それ以外の部分” は本美術館では「パッサージュ」と呼ばれ、建物の内外を接続し館内を立体的に貫く通路兼にぎわいの場である。つまり建物は「開かれた明るいパッサージュ」と「黒い閉ざされたボリューム」という対照的なふたつの要素のシンプルな組み合わせでできている。

なぜ開く部分と閉じる部分が明確な、シンプルな建物となったのか。ひとつは美術館機能に応じた工夫だ。「美術館は開くと同時に作品保存もしなくてはならない。開く・閉じるを明確にする必要がある」と遠藤は語る。そのため黒いボリュームには展示室や収蔵庫が収められ、美術品を守る構成となっている。

もうひとつの目的は建築の原理を単純化し、人々をシームレスに導くことだ。

「現代のプロダクトは、単純さの向こう側にある複雑な技術で成立している。例えばiPhoneの表面にはほとんど何もないのに、その向こう側に可能性が広がっている。僕は建築領域で“シームレスな現代性”を表現することを意識しています」と遠藤は続ける。シンプルな操作から豊かな体験をもたらすことを重視するUI/UXデザインに通じる考え方だが、建築分野では未開拓の領域だ。

その思いは、計画に大きく反映されている。展示室や収蔵庫は上層階にある。中之島は61年の第二室戸台風で浸水した経験があり、災害時の浸水被害を大きく見積もる必要がある。遠藤は美術品を水の被害から確実に守るべく、浸水高さとして想定されていた地上3mより上に展示室と収蔵庫を設定した。しかし美術館には来館者を迷わせないわかりやすさが求められる。そこで不特定多数をスムーズに最上階に導くため、四角い建物の中心を1階から5階まで縦の動線で貫き、2フロアにまたがる展示室を一筆書きでまわれる動線とした。さらに各階のパッサージュにおける水平方向の見通しも確保し、中之島の風景を四方向 から堪能しながら、今いる場所がどこなのかを容易に把握できる構造を実現した。

▲天井高4mの4階展示室約1,400m²のうち約300m²は、重要なコレクションである具体美術協会の作品を展示する。かつて中之島にあった彼らの活動拠点「グタイピナコテカ」に存在した壁色にちなみ、黒い壁で構成されている。

▲4層を縦に貫き、光が降り注ぐパッサージュ。壁や天井はプラチナシルバーのルーバー材で統一。ルーバーの幅やおさまりを細やかに調整し、点検口などの設備を巧みに隠しながら整然と目地を通している。ルーバーの色合いは入念に検討され、その背面に見える下地にはわずかに黄色と赤色を混ぜたことで、光の状態により表情が変化する。

▲ボリュームの隙間から人々の営みがあふれ出す様子を、黒で引き立たせる。

ミュージアム集積エリアの拠点となり、地域をつなぐ

都市空間との連続性も大きな特徴だ。1、2階は1階西側を除く四方に開口部が設けられ、誰もが自由に通行できる。「2階を徹底的に開き、黒いボリュームと地盤の“ 隙間”に見せて都市に接続させた」(遠藤)という設計の妙も作用し、建物と外部空間がシームレスに連続し、自ずと歩行者を建物に引き込むような求心力がある。カフェやレストラン、ショップが備えられ、周辺のオフィスワーカーや住民の憩いの場としても機能する。

周辺には国立国際美術館や大阪市立科学館などのミュージアムも隣接し、大阪中之島美術館の誕生により界隈は大阪屈指の文化・ 芸術ゾーンとして位置づけられることになる。本美術館には来館者 を誘い、周辺施設へと回遊を促す、文化交流拠点としての役割が期待される。

「従来は中之島の東側ばかりに施設が集まり、西側は開発途上の寂しいエリアでした。しかし徐々にミュージアムの集積が進み、さらに当館のオープンを機に東西南北のデッキを通じた周辺施設と物理的なつながりが生まれます。西隣には未来医療国際拠点も整備される予定です。周辺施設との連携を目指し、組織化に向けて具体 的に動きつつあります」と菅谷は語る。館は都市開発の起爆剤という期待も背負う。その活動がいかに都市にあふれ出し、新たな街の風景と美術館像を見せてくれるのか。そして収集や展示、建築空間において追求されてきた “わかりやすさ” が、どのような反響をもたらすのか。今後がとても楽しみだ。End

文/平塚 桂
写真/中村和史





本記事はデザイン誌「AXIS」216号「再び、オフィスへ。」(2022年4月号)からの転載です。