洗練の極みここにあり
マセラティのデザイン部門を率いるクラウス・ブッセ氏が語る、
MC20チェロの魅力

▲マセラティMC20に追加されたコンバーティブルモデルの「チェロ」。イタリア語でcieloは「空」を意味します。

2022年5月、マセラティは新型スーパースポーツカーを発表した。その名は「MC20チェロ」。「MC20」のコンバーティブル版で、世界でもトップクラスの性能を誇るミッドシップスポーツカーです。

トレンドに与しない

ミッドシップとは、エンジンのキャビン後方に搭載するレイアウトのこと。一般的な乗用車のようにエンジンをフロントに搭載していないのでクルマの進行方向を俊敏に変えられるうえ、後輪にエンジンの重さがしっかりとかかることから発進加速性能が良好なため、競技専用につくられた多くのレーシングカーがこのミッドシップ方式を採用してきました。

一方、本来は後席がある位置にエンジンを搭載しているミッドシップはスペース効率が低く、これが乗用車などに広く採用されない大きな理由とされています。つまり、ミッドシップスポーツカーは純粋に“走る”ためのクルマであり、それだけに贅沢な存在なわけです。ミッドシップが極めて高価なロードカー(公道走行が可能なクルマのこと)にのみ採用されてきた理由は、この点にあります。

▲2015年からマセラティのデザイン部門を率いるクラウス・ブッセ氏。「私たちは3年後のためにデザインしているわけではありません。10年後、20年後に、コレクションとして選んでいただける作品を目指してデザインしています」。

MC20チェロもまた、車両価格が3,000万円を大きく超える超高級車です。高価なスポーツカーには、それに見合ったアグレッシブなデザインを施すのが自動車業界の一般的な潮流です。しかし、マセラティはそうしたトレンドに背を向け、とても流麗で洗練されたデザインをMC20チェロに与えました。

なぜ、MC20チェロのデザインは、ほかのミッドシップスポーツカーと大きく異なっているのでしょうか?その理由を、マセラティでチーフデザイナーを務めるクラウス・ブッセ氏は以下のように話します。

「マセラティは、もともとレースを戦う自動車メーカーとして、1914年に誕生しました。当時は自動車技術そのものが未成熟だったこともあり、競技専用のレーシングカーとロードカーの垣根が低く、ロードカーで競技に出場することもできなくはありませんでした。ところが、やがて自動車の技術が進歩し、レーシングカーの性能が飛躍的に進化すると、ロードカーで好成績を挙げるのが困難になっていきました」。

▲「エアロダイナミクスのために生み出されたアンダーボディと、美しい彫刻のようなアッパーボディのコントラストがMC20の特徴」とブッセ氏は語ります。

それでも、もしもロードカーでサーキットまで出かけ、そこでロードカーでレースを戦い、さらにそのままロードカーで帰ってこられれば、ロードカーとレーシングカーの2台を用意する必要がなくなり、手間の面でもコストの面でも無駄を省けます。そしてなにより、普段乗っているロードカーでレースを戦えるという喜びを味わうことができます。

三宅一生の服にも通じるデザイン思想

こうしたコンセプトで生まれたレーシングカー兼ロードカーが、1954年にデビューしたマセラティA6GCSだとブッセ氏は教えてくれました。

「F1マシンのようにタイヤが剥き出しになっていると、法規的に公道を走ることは認められません。そこで、F1マシンをベースとしながら、タイヤをカバーするフェンダー(泥よけ)をボディと一体化したのがA6GCSのデザインの基本です。これであれば、自宅からサーキットまで自走し、そこでレースを戦ってから自宅まで帰ってくることができる。これこそ、マセラティが考えるグランツーリスモ(グランドツーリングカー。高速で長距離を走行するために開発された高性能車のこと)であり、私たちのクルマづくりの根幹を成すものです」。

つまり、マセラティは競技にも使えるパフォーマンスを備えていながら、一般道も快適に走れる。さらには、ロングクルージング中も心地いいひとときが過ごせる豪華なインテリアと、そうした贅沢なクルマの使い方ができる人々に似つかわしいエレガントなデザインを与えられた高性能車がマセラティの本質だと、ブッセ氏は考えているのです。

▲“葉巻型ボディ”とタイヤをカバーするフェンダーを一体化したデザインコンセプトはマセラティA6GCSと共通のもの。ボディ前端の低い位置に設けられた楕円形のフロントグリルが、その伝統を象徴しています。

ところで、ブッセ氏とのインタビューの途中で私が「マセラティのデザインはシンプル」と指摘すると、彼はこれをやんわりと否定しました。

「私はシンプルよりもピュアという言葉を好みます」とブッセ氏。「なぜなら、シンプルにはポジティブな意味とネガティブな意味の両方があるからです。そしてシンプルという言葉のポジティブな解釈がピュアであると、私は理解しています」。

さらに、ブッセ氏がピュアなデザインを重んじる理由を、こんな風に説明してくれました。

「私たちがピュアなデザインを心がけているのは、それがコレクションとして長く愛されるクルマとなることを目指しているからです。決して、発売から3年間だけのことを考えてクルマをつくっているわけではありません」。

▲MC20チェロは開閉可能なガラス製ルーフを標準装備。ポリマー分散型液晶(PDLC)という技術をガラス部分に応用することで、透明な状態から磨りガラス状へ、また磨りガラス状から透明な状態へと瞬時に切り替えることが可能になりました。

発売直後のことだけを考えるのであれば、できるだけ派手で、トレンドをリードするようなデザインのほうが人目を引き、販売面では有利となるかもしれません。しかし、コレクションに加えたくなるようなクルマというと、そうはいかないでしょう。そして、時を超えて多くの人々から美しいと賞賛されるためには、ピュアなデザインであることが重要だとブッセ氏は考えているのです。

「ピュアなデザインを重んじるのは日本の方々も同じではありませんか? 例えば、三宅一生。彼の作品であれば、たとえ20年前経っても着られます。それは、作品が明確なキャラクターを備えているとともに、純度の高い、ピュアなデザインだからです」。

彫刻のアッパーボディ、エンジニアリングのアンダーボディ

ここで、話をいま一度、MC20チェロに戻しましょう。

MC20チェロには、ベースとなったMC20というモデルがあります。2台はとてもよく似ていますが、MC20が屋根の開閉ができないクーペであるのに対して、MC20チェロはスイッチひとつでルーフを開けたり閉めたりできるコンバーティブルモデルとされています。ちなみにチェロはイタリア語で“空”を意味しています。「ルーフが開閉できるコンバーティブルだから、頭上の空も思い切り楽しんでほしい」 そんな願いが込められたネーミングのようです。

▲ガラス製ルーフは電動システムにより12秒間で開閉が可能。ルーフはキャビン後方に設けられたトノカバーの下側に自動的に格納されます。

ブッセ氏は、クーペ版のMC20がいかにしてデザインされたかについて語ってくれました。

「マセラティはレースの世界で生まれました。レースの世界に感傷は不要です。必要なのは科学に基づいたパフォーマンスだけです。マセラティにおいてパフォーマンス、そしてエンジニアリングはひじょうに重要です。私たちは、エンジニアリングから生まれたモデルに、美しいドレスを着せるのが仕事です」。そして、MC20の優雅なスタイリングを実現するうえで、コンパクトなV6エンジンを採用したことが大きく影響しているとも教えてくれました。

ちなみに、マセラティがミッドシップスポーツを生み出したのは15年振りのこと。そして15年前に世に送り出したMC12は巨大なV12エンジンを搭載していましたが、どうやら、このV12エンジンがMC12のデザインを決定づけていたようです。

「私たちはF1由来の高度なテクノロジーを用いることで、V12エンジンを上回るパフォーマンスをV6で実現しました。しかも、V6エンジンはコンパクトなので、理想的な位置に搭載できます。私たちは、その上に彫刻的で美しいアッパーボディを載せました」。

▲MC20チェロのデザインスケッチ。MC20チェロは、MC20のコンバーティブル版。キャビン後方のエンジンカバーには巨大なトライデントのロゴを描くこともできる。

アッパーボディとはボディの相対的に高い部分で、ボディカラーで美しくペイントされた部分と捉えていただければいいでしょう。一方で、その下側にあたるアンダーボディは、もう少し異なるプロセスから生まれたそうです。

「アンダーボディの形状はエアロダイナミクス、つまり空気力学によって決まりました。ここでは、素早いコーナリングを実現するダウンフォース(空気の力で車体を路面に押しつける作用のこと)を最大化するため、コンピュータで形状を決めました。この部分はカーボンファイバーで製作されているので黒く見えます」。

美しい彫刻のようなアッパーボディと、エンジニアリングから生み出されたアンダーボディ。このユニークなコントラストこそが、MC20のデザインの核だとブッセ氏は力説します。

「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見てください。彼が生み出した芸術は、科学技術の副産物といっても過言ではありません。マセラティも、まず革新的であることを目指し、この革新性を通じて芸術を生み出しています。これこそが、私たちのデザインフィロソフィと呼ぶべきものなのです」。

エンジニアリングに寄り添うとともに、虚飾を排し、美しいプロポーションを追い求める。マセラティのデザインが洗練されている理由は、ここにあると言っていいでしょう。

文/大谷達也

▲トノカバーには、マセラティを象徴するトライデント(三叉の矛)のロゴをオプションで描くこともできます。トライデントは、もともとローマ神話に登場するポセイドンが手にしていたもの。マセラティ家の生まれ故郷であるボローニャでは、いまもポセイドンが守護神として崇められています。

▶︎MC20チェロ スペシャルサイト
https://www.maserati.com/jp/ja/models/mc20-cielo

▶︎マセラティとAXISの企画記事を、デザイン誌「AXIS」12月号(特集:UP NEXT)にてご覧いただけます。